出会いは突然に。
小説の冒頭に書かれる、女の子が書店で大人気小説を見つけては読む場面ですが、
この本は現在実在していません。
とある書店に並ぶ見慣れない名前の本。
本のすぐ上にあるボードの張り紙には、「今、売れまくっている小説はこれ!!」と書かれている。
「へぇ~。売れまくってるんだ!え、新人作家にして40万部突破?」
私は小説を手に取るなり、裏表紙に目を向ける。
『本人より一言コメント:これは、僕の実話に基づく話です。遠い過去の記憶から現在に至るまで、記憶を手繰り寄せては、一生懸命繋いで書きました。こうして手にとって下さったのも何かの縁。ぜひ最後まで、僕等の恋を見届けてください。』
何なの。ストーリーの内容、全然分かんないじゃん。
あ、それで気にならせて買わせるって手ね。
ま、騙されたと思って買ってもいいかなー。
何か今日は、目的も無しに本屋に来ちゃったし。
暇潰しに買って、読んでもいいかな。
私は、その本に勝負でも挑むかのような気持ちで、早速最初のページを開いてみる……。
聴いてくれますか?
僕と、僕の彼女の話。
幸せでいて、そして切ない。
それは、僕にとって初めての恋でした……。
聞き慣れたアラーム音が朝を知らせ、また今日も、いつもと変わらぬ平凡な一日が始まる。
仕事に憂鬱感を抱きながらも、コップ一杯の水を飲み干し、背伸びをしては「今日もがんばるぞ」と自分に喝を入れる。
オープントースターから漏れる焼きたてのパンの匂いの後に、僕は家を出る。
「行ってきます」
そう伝える相手もまだいなくて、
「行ってらっしゃい」
そう言ってくれる相手もまだいない。
契約社員からやっと解放された今日この頃で、安心しきっているも未だ汗にまみれた日々。
若手社員の僕は、まだまだ覚えることもたくさんあるし。
一つ一つ、失敗しながらも覚えていけたらいいなと思う。
いつもの改札口を抜け、電車の到着を待っていると、一人の女性の姿が目に留まった。
慌ただしい朝の光景だから同化しているように見えるが、僕には他との焦り様の違いがハッキリと分かった。
どうも、彼女は平常心ではなさそうだ。
今にも泣き出しそうな彼女を見ていると、いてもたってもいられず、僕は彼女に声をかける。
「あの、どうかしましたか??」
そう。今思えば、この時この瞬間に、既に僕等は始まっていたのだ。
僕は、何のためらいもせず、真っ先に彼女を見つけ、彼女に声をかけたのだから。
「……?」
彼女がこちらを振り向く。
彼女の背中までかかった長い髪が、風に吹かれた。
その瞬間に、ふわっと柔らかい風が吹いたように思え、僕は不思議な感覚に囚われる。
その風は、彼女の匂いを載せて僕の元まで届いた。
彼女そのもののような、愛らしい花の香りがした。
「えっと……その……」
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、驚き、言葉に詰まっているようだ。
彼女は小さな白い花がよく似合うような、可愛くて愛しい女性だった。
僕は、そんな彼女を梔子という花に見立ててみた。
花言葉は「私は幸せ者」、「とても幸せです」、「優雅」、「清潔」……
まるで、結婚式の妻を思い起こさせる。
彼女を早く救い、「幸せ」な笑顔にしてあげたいと思った。
背丈は自分よりいくらか高く、体は細めで肩幅も小さい華奢な感じだ。
それに比べて、自分は男の癖に背も低く、印象の薄い顔だ。
彼女とこうして並んでみると、自分の見た目の悪さがよく分かる。
そうこう考えている間に、彼女が次の言葉を発した。
「私、電車、実は初めてで、さっき乗り間違えてしまったんですよ……」
電車が初めて?
僕の推定では、20歳前後で、僕よりは2歳か3歳程歳下。
だけど、最近の若者のような妙に着飾った感じも見受けられない。
彼女はどこのお嬢様なのだろう。
僕は、この街ではあまり見かけない上品さに、彼女をお嬢様だと思っていた。
「それで、もう電車乗るの怖くなっちゃって。また間違えたらどうしようって。恥ずかしいです……。いい歳して」
彼女は、もはや半泣き状態だった。
僕は焦って、彼女を安心させるような言葉を探す。
とりあえず、彼女がどこへ行きたいのか聞いてみることにした。
すると、僕と彼女が途中まで同じ方面に向かうということが分かり、一緒に電車に乗ることにした。
「本当にすみません」
小さく何度も頭を下げる彼女。
その姿さえもが愛しくて、僕は彼女ともっと一緒にいたいと思ってしまった。
「いいんですよ。誰だって、最初は不安ですからね」
僕は優しく微笑んで見せた。
「ありがとうございます。よかったぁ。優しい方に出会えて……」
彼女は、胸元で両手を合わせていた。
「もうどうなるかと」
そして、安堵したように先程までとは違う、落ち着いた表情を見せた。
空いた席に適当に座ると、彼女が遠慮がちに、僕との間を鞄1個分くらい開けて座った。
それが少し寂しく思えたが、初対面の女性とそんな接近するのもおかしいと自分に言い聞かせた。
僕は話す言葉も見つからず、ただ呆然と窓の外を見ていた。
すると、彼女が突然、僕の肩に頭を預けてきた。
僕は驚いて、彼女の顔を確認する。
彼女はとても気持ちよさそうに眠っていた。
最初の不安から解放されて、安心しきっているからだろうか。
いろいろ疲れたのだろう、僕はそう思った。
それにしても、先程から緊張が止まらない。
こんなにも可愛い女性が僕の肩に寄りかかっているなんて。
こんなことはもちろん初めてで、時間が長く感じられるのに、「もっともっと」と僕は願った。
今にでも恋してしまいそうなくらい、僕は彼女に気を盗られていた。
恋……もう随分していないなぁ。
学生時代に、何度か「これが恋だ」と思えるものを経験したが、至って行動に出ることはなかった。
それらは全部、僕の一方的な片思いであって、叶うはずがなかったからだ。
久しぶりに戻ってきたときめきに、心が動揺したり喜んだり、複雑な模様を描いているが、どうせまた片思いのまま終わるなら、もう少しこの気持ちを楽しみたいなとも思った。
しばらくして、目的地に電車が到着した。
数人が電車から降りていくのを見ながら、僕は彼女に声をかける。
「あのー、起きてください」
……彼女の返事はない。
今度は少し声を大きくして呼んでみるが、彼女は、起きる気配を見せなかった。
相当眠いのだろう。
僕はなんだか彼女を放って置けない気になって、自分の仕事を諦めることにした。
社長さん、ごめんなさい。
僕は仕事を放棄して、今日初めて出会った愛しい女性のことを優先してしまいました。
きっと、神様の天秤にかけてみれば、もちろんのこと仕事が重くなるはずだが、僕は何故かこの時に、今この瞬間に運命を感じたのだった。
「すみませんっ!!本当にすみません!!」
そう言っては、ペコペコと頭を下げる彼女。
「もう、いいんですよ。気にしないでくださいって」
「いや、ダメです!私、すごく悪いことしました。ごめんなさい!!」
彼女が目を覚まし、二人で電車から降りた後、彼女はしつこいくらいに謝ってきた。
やっと、この状況を把握したのだろう。
「私なんか無視して、仕事に行けばよかったんですよ~。どうして私なんかに……」
彼女は、折れる様子がなかった。
「いいんです。僕が着いて行きたくてしたことですから」
「え……?」
思わず、唾を飲む。
僕は、何と恥ずかしい台詞を吐いてしまったのだろう。
「あ、いや、何でもないんです。気にしないでください」
「そう……ですか?分かりました」
彼女がふっと笑みをこぼす。
初めて見た彼女の微笑み。
もっともっと、彼女の笑顔が見たい。
そう思ってしまった。
「着いていきますよ。あなたの用事が済むまで」
「え、でも仕事は……?」
彼女は目を丸くする。
「仕事はいいんです」
僕は言う。
「諦めた」とは言わずに。
彼女は、首を振り言った。
「いえ。そんなの申し訳ないです……」
俯く彼女に、僕は優しい調子で話しかける。
「本当にいいんですよ。どこまで行きますか?」
彼女は少しためらった後、
「実家のおばあちゃんの家です」
それから、人差し指を一方向に向け、
「あっちの曲がり角の先を真っ直ぐ歩いたら、すぐ家が見えます。駄菓子屋やってるので」
僕はてっきり家族の団欒かと思って、
「そうなんですか。じゃあ、僕はお邪魔ですからここで失礼します」
「あっ、待ってくださいっ」
彼女が僕の袖をとっさに掴んだ。
「……?」
恥ずかしそうにしては、すぐに手を離した彼女。
「あっ、す、すみませんっ。私……あなたにお礼がしたくて」
彼女の頬は、ほんのり赤く色付いている。
「お礼?いいですよ、そんなの」
「いえ。あれだけ丁寧にしてもらっては申し訳ないです。どうかお礼をさせてください」
「本当にお礼なんていいのに……」
そう遠慮がちに言うと、彼女は僕の先を歩いた。
僕は、ゆっくりとした足取りで彼女の後を着いていった。
しばらくして、彼女が足を止めたその先は、昔ながらの匂いがする駄菓子屋さん。
木材でできた今時珍しいドアを開けると、彼女は靴を脱いで家の中へと入っていった。
「おばあちゃーん。只今」
彼女は明るい声で言う。
「おかえり」
その“おばあちゃん”の声が聞こえる。
彼女が部屋の中へ入り、僕の視界から消えていく。
僕は玄関の前でただ突っ立っていた。
彼女がお嬢様だというのは、どうやら僕の勘違いのようだ。
あの柔らかくて清楚な雰囲気は、一見お嬢様に思えたが。
もしかして、電車を間違えたのも天然なだけなのかな?
この家の様子を見るからにして、僕はそんなことを考えていた。
「あら、来てたのかい」
彼女の言う、“おばあちゃん”の声が聞こえた。
「おばあちゃん、なかなか顔見せられなくてごめんね」
彼女が言う。
「いいんだよ。元気だったかい?」
おばあちゃんは、クシャッとしわを寄せた目で笑って見せた。
「うん。おばあちゃんも大丈夫?」
「あぁ。相変わらずだよ」
「あっ、そう。おばあちゃん!ちょっと紹介したい人がいてね」
そうして彼女が僕の元に来るなり、「すみません、どうぞ中へ入ってください」と僕を促す。
僕は彼女の背中を前にして、茶の間へと足を運んだ。
何だか、結婚相手を紹介する場面を想像してしまった。
僕は緊張感を覚える。
「ほぅ。この人は?」
おばあちゃんが興味深そうに僕を見て言う。
彼女は僕の様子を伺って、
「うん。おばあちゃん。この人は、私の命の恩人だよ。今日知り合ったの」
僕は苦笑いを浮かべた。
「い、命の恩人……ですか?そこまででは……」
おばあちゃんは僕の顔を眺め回すようにして見てるなり、「なかなかいい顔をしてますねぇ」と言った。
「えっ?」
僕が唖然としていると、おばあちゃんは続けた。
「この人は、本当にいい人なんだろうねぇ。優しさと誠実さで一杯だ」
僕が恥ずかしそうに下を向いていると、「私もそう思います」と、彼女が隣で微笑んだ。
「どうぞ、ゆっくりしてってください。あ、私、お茶でも淹れますね」
彼女が立ち上がるのを止めるかのように、おばあちゃんが言った。
「それよりありさ、薬は買ってきたのかい?」
ありさ……この子ありさって名前なんだ。
ずっと聞こうと思ってたけど、初めて名前を聞いたなぁ。
「あっ!!忘れちゃった!どうしよう」
彼女が焦る様子を見て、再度天然ぶりを確認した僕。
「本当ごめんね、おばあちゃん。明日、必ず買ってくるから」
彼女は、小さなその顔の前で両手を合わせた。
「いいのよ。そんなに焦ってないのだから」
おばあちゃんは優しく微笑む。
「あの、僕着いていきましょうか?よかったら、一緒に行きませんか?」
「えっ」
彼女が僕の方を振り返り、僕の目を見つめる。
僕は恥ずかしくなって思わず目を逸らしそうになったが、きちんと彼女と目を合わせる。
「いいですよ、そんな。悪いです。ここで、ゆっくり休んでてください」
「いえ、僕はあ、ありささんのために何かしたいなと……」
「うーん」彼女はしばらく考えた後、「本当に大丈夫ですか?」
「もちろんです」と、僕は笑顔で答えた。
「薬って、おばあちゃん、どこか体でも悪いんですか?」
何となく親しみのある雰囲気の町並みを、僕等は歩いた。
「えっ、あぁ。元々はおばあちゃん、すごく健康的だったんです」
少し間を置いた後、彼女は続ける。
「でも最近になって、頭痛を持つようになったんです。だから、私が薬局で薬を買う担当を」
「なるほど。頭痛って、気の持ち用から来るもの……とも言いますけど、ありささんのおばあさん、何か心配事でもあるんですかね?」
「うーん。どうだろう」
彼女は少し目線を頭上に向けて、考える様子を見せた後、
「私の前では、いつでも元気なおばあちゃんだから、心配事とか全然ないように見えるんですけどね……」と続けた。
「そうですか……」
どことなく切ない雰囲気を残しつつも、彼女がバス停の前で足を止めた。
彼女は電車には疎いけれどバスは慣れてる感じなのか。
僕は、そこであることに気づく。
「あれ、バスですか?えっと...大谷薬局じゃなくて?」
「あっ、大谷薬局は前に通ってたんですけど、おばあちゃんに合う薬がなくて……。ちょっと遠いけれど新製薬局に変えました」
「あ、そうだったんですか。僕はてっきり大谷薬局かと……」
勘違いをしていた自分に恥ずかしさを抱き、思わず彼女と目を合わせることを辞める。
彼女も申し訳なさそうな顔をして、顔を俯かせる。
少しの沈黙が続いた後、彼女が声を発す。
「1時52分……。あと30分程ありますねー」
彼女の目線は、携帯画面の時計表示にあった。
「けっこうありますね」
僕も、腕時計を見る振りをしてみる。
「はい……。どうしますか?すぐそこの喫茶店にでも入って、待ってますか?」
そう言って、彼女はすぐ後ろの喫茶店を指差す。
「えっと、僕はどちらでも……。ありささんはどうですか?」
結局、優柔不断な僕。
「私も……どちらでも……」
彼女も優柔不断だった。
結局、決まりそうにないので、
「じゃあ、このまま待ちましょう」
彼女が言う。
「はい」
「……」
今度は長い沈黙が続く。
こういう時に限って、言葉は出てこないもので。
どうでもいい時に、どうでもいい言葉が次々と出てきて止まらなくなる時があるってのに。
先に声を発したのは彼女の方だった。
「あの……、失礼ですが名前……」
彼女は遠慮がちに聞いた。
「あぁ、そういえば自分の名前言ってませんでしたね」
僕は、手を伸ばし自分の髪を触って、「あはは……すみません」と笑う。
「僕、市村公一って言います」
「ありがとうございます。市村さんですね」
「はい。ありささんですよね」
彼女が、途端に驚きの表情を見せた。
「えっ、何で私の名前を?」
僕は、平然とした表情で答える。
「そりゃあ。さっきおばあちゃんと話してたの、聴きましたから」
「あははっ。そうでしたね!!」
先程の沈黙から、少し穏やかな雰囲気になった。
「あ、バス来たみたいですね」
淡いオレンジ色の夕日が、横になって歩く二人を染める。
「いろいろと迷惑をかけましたね……。本当に」
彼女が俯きながら言う。
「いやいや、大したことしてないですよ」
「だって、お礼するとか言っておいて、また面倒をかけてしまって……」
彼女の目線は、アスファルトの地面を見つめたままだった。
「気にすることないですよ。本当にお礼なんていらなかったんですから」
彼女の顔を拝見すれば、その申し訳ないという感情は一目瞭然で分かった。
本当のことを言えば、この1日は僕にとって忘れ難い、最高の一日になった。
ドキドキで一杯だった。
昔に戻って、初めての物をたくさん見るような感覚だった。
僕の淋しげな表情を横目で見ながら、彼女は言った。
「あの……!!よろしければメアド交換を……」
「えっ……」
僕は、途端に体を固まらせた。
「ご、ごめんなさい。よく知りもしない私とメアド交換だなんて、無理に決まってますよね」
彼女がヘラヘラと笑いながら言う。
「いや、いいですけど。その、ちょっと驚いただけで」
僕は、動揺しつつ、言う。
「えっ、いいんですか!ありがとうございます!!」
彼女の表情が、パァッと明るくなった。
「赤外線で送りますね」と彼女が、僕の携帯に、自分の携帯を近づける。
彼女が僕の近くに寄って、ドキドキした。
それと同時に、嬉しさで一杯だった。
顔には出さないようにと思いながらも、少し口角が上がってしまう自分。
彼女も僕に断られるとでも思っていたのか、安心した様子で微笑んでいる。
「では、後に送りますね。その時は、よろしくお願いします」
彼女は、携帯を胸元で握り締めていた。
僕はその様子を見て、思わず顔がほころんだ。
「あっ、はい!!こちらこそ」
そして僕はタクシーを捕まえては、彼女に別れを告げた。
「さようなら。ありがとうございました!!」
車窓から、必死に手を振り続ける彼女の姿が見えた。
その表情は、愛しい笑顔で一杯だった。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
第二章もよろしくお願いします☆




