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恋人の星  作者: 逍蕾花実
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7話

 赤く大きな太陽――ラカーユがぽっかりと浮かぶ宇宙空間に、僕とアリルは浮かんでいた。足下のはるか下方には、カビて緑変した果物のような見てくれの惑星グッドホープが、漆黒を背景に音もなく荒れた表皮をさらしている。


 すぐそこに、僕ら以外の人物がいた。異様なほどに背中を丸めた男が。肩から肩甲骨の辺りが盛り上がっている。男はよたよたと足踏みして、体ごと僕とアリルの方を向いた。


 アリルが息を呑んだ。男の顔は見たこともないほど醜かった。少なくともグッドホープ人の間では、これほど平均からずれた顔にはお目にかかったことがない。


 男は悲しげに僕たちを眺め、手を差し伸べるような動きをしかけて、手をパタリと体側に力なく垂らした。


 「だ、だれ?」


 アリルも不安を覚えたのだろう、僕の腕をしっかりと握り、男を見据えたままで言う。


 首を振って答える。


 「わからない」


 この男が誰にしろ、いきなり仮想現実空間に僕らを誘い込んだ以上、只者ではあるまい。僕は胸をかきむしる不安を抑えつけて、胸に埋まったインターフェースに環境情報の提供を命じた。インターフェースは、所在地を『“マイダス”乗組員船室014号室』と示した。視野の上部に、強調文字で『ストレス症状あり。航海任務にストレスは禁物です。十分に睡眠をとりましたか?』と表示してお節介を焼いた。


 『データストリームの検索をしろ。外部からの電磁的操作があれば、それを特定しろ』


 僕の命令に、インターフェースのAIは答えかけて、ぶつりと沈黙した。


 『応答しろ』


 インターフェースを相手に思考操作するのには、独特の操作感がつきまとう。それは一定の精神集中を必要とするのだが、僕はこのとき精神集中をあやうく切らしてしまうところだった。みぞおちにアイスピックが垂直に刺さったような感覚が走ったからだ。


 しかし、そこに苦痛はなかった。


 『異化侵襲』の毒々しい紫色の警告が視野に流れていた。それに伴う激しいビープ音は、滑らかさのかけらもない。おそらく、システムの基層に近いところで発せられた警報なのだろう。余計な装飾を剥いだ緊迫した響きが、音にまとわりついていた。やがてビープ音も電源を引っこ抜いたかのように、唐突に途切れた。


 『インターフェース?』


 おずおずと思考してみるが、返事はなかった。


 知能垂直階級制社会では、特定の業種における例外を除いて、高度なAIの開発・所持は禁じられている。超人間レベルのAIの開発は、それを企図しただけで刑務所行きだ。第1文明のように超人間レベルのAIを導入すれば、経済性・効率性の面で、ほとんどあらゆる人間の仕事はAIに駆逐されてしまう。それは歴史の重要な教訓だった。第2文明は量的な基盤の拡大に重きを置いている。よって、過去の失敗した文明が踏み入った、“メリトクラシーの罠”を回避するために、科学に厳しい枷をはめたのだ。


 それゆえ、科学技術の発達は第1文明のそれよりもずっと緩やかで限定的なものになった。それは量的な基盤の拡大にとっては問題ではなかった。むしろ、メリクラシー社会の究極的な形が、特権的なひとにぎりの人口をしか必要としなくなる方が大問題と捉えられたのだ。


 そんな経緯から、僕が装着するインターフェースも、第1文明時代の基準からすれば電卓と大して変わらないオモチャに見えるだろう。


 僕はもう予感していた。きっとそうだ。そして、危惧していた通りの展開がはじまった。


 「君の内蔵型電子デバイスは停止させてもらったよ」


 そう切り出したのは、さっきから宇宙を背景に浮かんでいた、醜い男だった。彼は音もなくすぅーっと僕たちににじり寄った。


 アリルがますます強く僕の腕をつかんだ。


 彼女にちらりと視線を走らせ、醜い男はクックッと笑った。その奇怪な音が笑い声だとすればだが。


 「どうやって――」


 僕の質問を、醜い男はさっと手を振ることで遮った。


 「瑣末なことだ。君らの原始的なAIは改良の余地があり過ぎる」


 「何者なんだ。僕たちをどうする気だ」


 醜い男はニッと笑った。


 「それが正しい問いかけだ」一拍置いて続ける。「私はストーカー、そう呼ばれていた」


 「ストーカー?」


 悲しく乾いた笑い声をあげて、ストーカーと自称する男は踵を中心にしてくるりと回った。そして、芝居がかった動きでキュッと止まる。回転に伴い、目を覆うほどにハゲ散らかった大きな頭ではひと房のちぢれ毛がふわりと逆立ち、そのままの形を保っていた。滑稽なことこの上なかった。それをめざとく見つけたアリルが、「ウッ」と笑いの発作に襲われているのが察せられた。


 まだ我慢してくれよ、アリル。いま笑っていい雰囲気じゃないからな。


 「愛する人に拒絶されてもなお、つきまとう哀れな者をそう呼ぶのならばな。まさしく私はストーカーだ」


 滑稽な己の様にも気づかず、ストーカーはこんこんと話し続けた。


 「もっとも、ヒルダは、ストーカーの相手は、もうとっくに塵に帰っているがね。遠く太陽系で。遠い昔に。私は太陽系のベルターなのさ。君らが言うところの、第1文明のね。ヒルダと私は、ベルターの最後の世代なのさ。同年代の子は彼女だけだった。だから、滅びかけた太陽系を捨て、グルームブリッジ1618に逃げよう、と訴えたんだ」


 グルームブリッジ1618は、ロスト・コロニーの中心星系だったはず。第1文明時代末期に、地球とたもとを分かった植民星だ。


 「まあ、結局は彼女も、よくいるタイプだったのさ。“滅亡”という避けられる運命からどかずに、生存よりも悲劇的末路を甘受する方を選んだんだ。あの頃の、富と倦怠で窒息しかけていた全太陽系社会の市民は、事態を打開するために腰を上げるよりも、迫り来る破滅を前にして、死の方に強く陶酔し続ける方を選んだんだ」


 そう叫ぶと、ストーカーはぎょろぎょろした両目からぶわっと涙を流した。


 僕はおもむろに切り出した。


 「あんたはAIなのか?」


 「違う、もちろん違う。私はヒルダに撃たれた。まさしく君の個室で。ああ、この船は私の船だったんだ。前方トロヤ群の自動工場が望みのままに造ってくれたからね。費用の心配もいらなかった。なにしろ、私たち“最終世代”は、最盛期に1000万人もいたベルターの遺産をごっそり持っていたからね。誰も彼もみんな金持ちだった。親族がどんどん先細りになるに従って、彼らの遺産も集中したのさ。ついに決行という日、私はヒルダを誘拐したんだ。そしてこの部屋に閉じ込めようとして、君に見せたような手痛いしっぺ返しを食らったのさ。はは、座して死を待つのを邪魔するな、とのたまったよ、彼女は」


 投げやりにストーカーは笑った。


 「私は誰でもそうしていたように、自分のゲシュタルト・コピーを作成して、船の管理にあてていた。ヒルダに撃たれたとき、意図してそうした記憶はないが、おそらく船のセンサーが私の情報を採取していたのだろう。単なるゲシュタルトが意識を持つなんて――自分が“人間”だと言い出すなんて、子供じみたアニメみたいだと思うだろう? でも、それが起きたんだ。あり得ない? そうだろうか。擬似人格AIに100年、いや1000年の時間が与えられたとしたら? どんな設計者でも、1000年間の動作など保障するわけがないだろう」


 第2文明が成立してからほぼ1000年。マイダスは、太陽系の小惑星帯で、何千年も主のいないまま放置されてきた恒星船の一つだ。


 「あんたは自分が人間だというんだな。言っておくけど、超人間級のAIは今の社会じゃ歓迎されない。あんたがいくら人間だと言い張っても、港湾警察は耳を貸さずにマイダスを破壊すると思う。あんたを消し去るためにね」


 「そうだろうな。システムの点検のたびに、ご丁寧に船内ネットをあら捜しされて参っているよ。連中の腕じゃ、私のようなAIを駆除するなど無理だがね」


 僕はストーカーの言葉を聞いてぞっとした。彼が言ったことは、第1文明時代の超人間級AIが、そこかしこのExs船に生き残っている可能性があると告げていたからだ。ストーカーの恐ろしい外見に惑わされているだけかもしれないが、その不安がどうしても心から去らなかった。

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