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恋人の星  作者: 逍蕾花実
3/15

3話

 子供の頃は1日の長さがとても長く感じる。そして齢を経ると、1日は短く、早く過ぎ去ってゆく。まるで、恒星間に漕ぎ出した船が光に近づくにつれて、宇宙が時を早く刻むように。そのように年齢によって主観時間の違いを生ずるのは、細胞分裂の速度と関係するといわれている。


 劣後人が健康なのは、彼らの仕様だ。劣後人は子供の代謝速度のおかげで、怪我も速やかに治るし、病院にかかることも少ない。そもそも病院にかかれるだけの経済的余裕があるか否かは別として。40歳という劣後人の寿命は、その代償だ。


 「なんでたすけてくれたの?」


 そう問うアリルの声は少しかすれていて、いっそう魅力を増していた。ウェイトレスの制服を脱いだために、細い肩の線があらわになって、彼女の若々しさを強調していた。このような思った以上の幼さを示す娘に思いを寄せていることが、急に恥かしく思えて、僕は腕にすがりつくようにして歩くアリルから、意図的に体を離そうとした。


 「ねえ、なんで?」


 もはやアリルを見るのが怖いほどだったが、内なる欲求に負けてちらりと見てみると、彼女は僕の顔を見上げていた。すさまじいばかりの目力だった。


 今までは横顔しか目にしなかったし、正面から直視したこともないから気づかなかった。アリルの濃い赤の目は、わずかに斜視だったのだ。グッドホープの古くからの言い回しで、“ソルとシリウスを見る”というやつ。ちなみに、ここから見るソルは3等星、シリウスはソルの左下で輝く明るい1等星だ。


 彼女のそのささやかな欠陥は、近づきがたいほどに完璧なアリルの容姿に、むしろ親しみを抱かせてくれるアイテムになっている。僕は少しだけ打ち解けた思いで彼女の瞳に見入った。アリルの頬に赤みが差した。


 今度は、彼女の方が顔を赤らめるのを隠そうと、うつむくのを見た。


 「あたしのうち、ちかくよ」


 彼女の洗練されてはいないが音楽的な声は、耳にいつまでも残る感じだった。感覚的でふっくらした唇は薄い赤を帯びて、真珠色の歯列が隙間からのぞいていた。バーでの仕事中に示していたような屈折は、その口元からきれいに消え去っていた。


 「そ、それはよかった」


 僕がやっとのことで口に出した言葉は、どうしようもなく間抜けで無意味で、相槌にもなっていないシロモノだった。人助けをしておいて、むしろ謝罪したいような気さえしていた。


 僕は、他人の中に自分にはどこにも見当たらないような美点やキャラクターに完全に最適化した見事な振る舞いを見て取ると、感心して言葉が見つからなくなる性質なのだ。


 アリルは劣後人ではあるが、振る舞いや存在感に、不思議な引力というか魔力のようなものを備えていた。だから、僕が何も言葉が見つからなくなってしまうのも無理はないのだ。


 僕が無口化したのとは対照的に、アリルは水を得た魚のように快調に飛ばしはじめた。


 「ねえ、そのはっぱをとってよ」


 アリルは街路樹の葉を顔に乗せると、フッと息を吹いて葉を浮かせた。低重力のせいでふわふわと落下する葉を、また息で浮き上がらせる。何がそんなに面白いのか、アリルは甲高い笑い声をあげて葉を追いかけた。そして気まぐれに足を止めると、政府の維持費不足のせいで溢れかえった街角のゴミかごの前でついと屈んだ。おもむろにボール紙でできた中空の芯をつかみ上げて、それをぶんぶん振り回す。


 「がぉー。がぉー。かいじゅうだぞー。せんちょー、あのみぎしたのほしにしんろをとれ!」


 怪獣だったはずが、芯を望遠鏡のように構えて海賊ごっこがはじまった。屈託のない笑顔をみせるアリルの横顔を眺めて考えた。


 これは幼すぎるだろう。


 知能垂直階級制社会。それはグッドホープ政府が300年にわたって維持している政治体制だ。グッドホープ星系――古い星図に“ラカーユ8760”と印された恒星系――を含む10余りの恒星が同体制を採用し、アカーサ人やロストコロニー人が呼ぶところの“知能カースト星域”を形成している。その全てが、1000年前に復興した人類第2文明の恒星間植民事業によって誕生した、新しい植民地だ。


 シュッという音に思いを乱されて、僕は音の方向に注意を向けた。そこには、上半身を前に倒し、芯を吹き矢のように構えたアリルがいた。そして、予想通りのことを口走った。


 「これ、ふきやなの」


 急に快活な笑みがアリルの顔から消えた。そして目を丸くして口元を押さえた。


 「あらいやだ、あたしあなたのなまえ、しらない」


 アリルはうるんだ瞳で僕を見上げた。その目は「おしえて」と訴えていた。


 「ああ、僕はハポナ、ハポナ・ミナミ」


 「ハポナ? へんななまえね。おんなのこみたい」


 僕は苦笑した。子供の頃はさんざんからかわれたものだ。でも、12歳で選抜コースに乗ってからは、逆にほとんどイジられることもなくなった。利口で用心深い同級生たちは、出会って直ぐには僕の出自について質問をしなかった。頭が良い彼らは、僕の影響力や評判が固まって、自分にとって脅威になりそうもないと判断しない限り、名前のことでからかったりはしなかった。だからか、アリルの短絡的で計算高い底意の感じられない問いかけは、僕には逆に新鮮に感じられた。


 ほっとして、僕は改めてアリルの顔を眺めた。すると、不意に母親の遠い記憶が蘇った。40歳タイマーが発動して、苦しまずに逝った母親のことを。優しくて、強くて、誰かの悪口を言うのを聞いたこともない。もうちょっとということろで知能検査に不合格だったせいで、限られた寿命を生きるはめになった母さん。思春期の入口でIQ120に満たない者は、教育からも娯楽からも切りはなされてしまう、知能カーストの鉄の掟。母さんは119だったそうだ。


 まばたきして追憶を振り切った。意外なことに、今度はごく自然にアリルに話しかけることができた。


 「そうだろう、僕のご先祖様は地球のハポナという地域が生まれなんだ」


 「ふうーん。なんだかカッコイイね」


 アリルはニッと笑った。


 「いくつなの? ハタチくらい?」と首をかしげて僕の顔を見上げる。


 「肉体年齢は25くらいだよ」


 アリルの首の傾きが、角度を増す。


 「にくたいねんれい?」


 「うん、僕は航海士なんだ」と胸の徽章を見えやすいようにした。


 「ふーん、へええ」


 しきりに感心したようにうなるアリル。胸に埋め込まれたインターナル・インターフェースを触らせてやると、彼女は無邪気に喜んだ。それに気を良くした僕は、人生経験に乏しい人間に共通する癖で、自分が詳しいジャンルのことをやたらと熱心に話しはじめた。


 「エクストラ・システム船“マイダス”って船の1級航海士なんだ。イプシロン・インディやハーシェル、それにソルも訪れたことがあるんだよ」


 “ソル”という固有名詞を、僕は誇らしい気持ちで言った。


 「ソルって、ごせんぞさまのほしよね」


 そのくらい知っているんだから、とでも主張するかのように彼女は胸を張った。


 「そうそう。人類発祥の星系だよ。僕、実は197年生まれで、今年92歳になる。コールドスリープと、近光速での恒星間飛行につきものの座標系ボーナス――つまりローレンツ収縮による時間拡張効果のおかげで、肉体年齢的にはまだ25歳くらいだけどね」


 アリルの反応は、何度か瞬きしただけだった。


 直感的に、理解できてないなこれは、と思った。でも、そんなこと彼女は気にしていないようだ。僕もそんなことで彼女を蔑んだりはしない。知能や知識は本質的に人間の価値を決める基準としては不適切だからだ。もっとも、こんな時代錯誤な思想を政府の治安警察が知ったら、彼らはさぞ不愉快に思うだろうが。


 「君の家まで送るよ」


 「いっ、いいの」と手をブンブン振ってアリルは拒否した。「だいいっそうまできてくれたから」


 第1層まで送ってくれたからもう十分です、ということか。


 アリルの家は、当然ながら格安の重力使用料しか払わずに済む、ハブに近い第1層にある。エスカレーターから遠い劣後人居住区。僕のようなメザニンは低重力階層をエレベーターで素通りするのが常だから、ここに足を踏み入れるのは子供の頃いらいのことだ。


 「遠慮しなくていいんだよ。当分時間には余裕があるんだ」


 「だめ、ひみつ」


 アリルは少し怒った顔をしてみせた。


 ああ、そうか。僕はそれ以上、好意を押し付けるのを止めた。“女には秘密しかない”という格言は、第1文明時代のものだったか。記憶は定かではないが、そんなセリフを目にした記憶があった。秘め事こそ男を魅きつける。だから、どの女も秘密を持って、情愛の駆け引きを、恥じらいの遊戯を楽しんでいるのだ。それは性の性格であって、そこに知能は関係ない。


 そのことに思い至った僕は、無理に押すのを止めた。どんな女性にだって、この駆け引きを楽しむ権利と、おそらく義務がある。


 家に送るという僕の申し出を断ったアリルは、何か悪いことをしでかした子供のように、少し怯えが混ざった表情で僕を見上げていた。


 「もう、かえるの? あとじゅっぷんだけあそぼうよ」


 僕がアリルのおねだりする表情にみとれていると、彼女は更に言い募った。


 「じゃあ、ごふん、いっぷん……」


 少しずつ数字が下方修正されるごとに、彼女の顔が悲しそうに歪み、瞬きが多くなってゆく。そして、ついに破れかぶれの大声で叫んだ。


 「あと、いちびょう!」


 ああもう、わかったよ可愛いやつだな! こんな良いもの見せられたら、まる1日だって遊んでやるよ!! そんな内心の歓喜を抑え、控え目に微笑んだ。


 「いいよ、遊びに行こう」


 「やったあ!」


 アリルはニパッと微笑んで、跳ねるような歩みで僕の手を引っ張った。






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