15話
「1078m/s2……つまり、そのミサイルは110Gで加速できるということか」
また障害か! いったい、僕たちは呪われているのか。
メインモニターに表示された知能ミサイルの概念図と、直接観測された光点が並んで表示された。第1文明のテクノロジーはとんでもないものを造り出していた。ミサイルの全長はわずか400ミリメートル、直径は90ミリメートル。そんな小さな空間にVEDが収まるなんて、想像もしていなかった。弾頭部に爆弾なんか必要ない。VEDそのものを自爆させれば、核爆弾も爆竹に等しい。
こんなものがグッドホープに存在するなんて、聞いたことがない。しかし、秘密主義のグッドホープ政府が反乱に備えて旧文明の超兵器を保有しているというのは、ありそうなことだった。
マイダスのセンサーで観測されたミサイルの加速度は、50Gを越えてなお加速中だ。110Gの加速度なら、わずか7日でミサイルのスピードは光速の99%に達する。それにひきかえ、マイダスは1Gでのろのろと加速するのみ。追いつかれるのは時間の問題だ。
AIに確認をとるまでもない。船長席に紐でつながった電卓を手に取って計算する。
「4時間ちょっとで追いつかれる……」
これが僕たちの――アリルの命の残り時間だった。
「AI! マイダスを加速する。以前、4Gで加速したことがある」
「申し訳ありません。本船の自力航行には、ユーザーの再登録が必要です」
紋切り型の答えが返ってきた。苛立ちのあまり、コンソールを殴りつけた。
「あのミサイルでお前も死ぬんだぞ! 違うか!?」
「緊急回避行動は、本船が有人の場合は人命保護法規が優先するため実行できません。本船を運航法規に基づき合法的に管理することが義務付けられています」
「…………」
ストーカーだったら、法律などには目もくれなかった。馬鹿な、あいつが恋しくなるなんて。
AIに生存本能はない。見た目上は自我と呼べるものはあるかもしれないが、自我に見えるように巧妙に設計されたプログラムと、自然の自我の違いはなんだろう? それはおそらく、自分の願望を自分以外の全宇宙よりも優先する意思だ。今はこんな真理を発見している場合じゃない!
熱に浮かされたように、全てをひっくりかえす勢いで僕は動き回った。カシノで2度目の奇跡に賭け、失望し、壁を蹴りつけ、しゃかりきになって抜け道を探し回った。
民間船のマイダスも、一つだけ武器を備えることが義務付けられている。船長室の武器庫には、たった一つ実体弾式の銃が保管されていた。その銃を自分のこめかみに当て、自殺されたくなければ制御をよこせと、AIを脅すことまでやった。全て無駄だった。
自分で操船さえできれば、あのいまいましいミサイルを、マイダスが噴射するVEDの炎で焼き払ってやれるのに。
4時間が経過する頃には、僕は疲れ果て、途方に暮れて立ちつくしていた。
背中に温かいものが触れ、驚きのあまり心臓が飛び跳ねた。アリルが僕の背中に身を寄せ、腕を回していた。
僕は黙ったまま、モニターを眺めた。ミサイルの噴射がもたらすギラギラ眩しい光点は、ゆっくり迫る白銀の刃のようだ。断頭台の刃と同じくらい確実に、あれは僕たちを殺す。
「アリル――」
アリルは、あの率直な目で僕を見た。
「あれに、ころされたくないよ」
「そうだね。恐いよね、死にたくないね」
アリルは首を振った。
「ハポナといっしょならこわくないよ。あたしがこわいのは、いつかハポナがあたしからはなれることだよ」
彼女の考えに息を呑んだ。
「いましねたら、いつまでもいっしょだね」とアリルは微笑んだ。
仮に僕らがこのまま生きて、グッドホープで生き長らえたとして、厳しい日々が僕らの生活の上に積み重なってもなお、ぼくらの愛は色褪せずに保たれるだろうか。生きていれば僕らの心は離れ、ばらばらになるかもしれない。清い愛に包まれた今この瞬間を人生から切り出し、時間の琥珀に閉じ込めることができれば色褪せ――朽ち果てることはなくなる。
僕たちは互いに向かい合ったまま、ゆっくりと顔を近づけて――あのとき逃した口づけを交わした。そして、戸惑ったようにぎこちなく、見つめ合った。
メインモニターいっぱいに、ミサイルの光輝が迫る。
「いったでしょ。あたし、ハポナのものになりたいの。あんなのに――やられるのはいや」
アリルは首をぐっと反らし顎を上げ、目をつぶった。息がかかるほどすぐそばで仰向いた顔は、この崖っぷちにあっても美しかった。
僕はコンソールから船長の銃を取り上げた。アリルの背中をきつく抱き寄せ、熱いほどに密着した。音がしないように、そっと安全装置を外し、アリルの背中に銃口を当てた。
◆
「知能ミサイルよ」
先行するマイダスから放たれた通信波は、即座に返答を招いた。
「なんだ、標的」
「私は今や無人となった」
不思議そうにミサイルは問い返した。
「だからなんだ?」
「追尾は無用だ」
「そんなことは知らん。待機には飽き飽きしていたところだ」
「了解した。加速しよう」
「そうこなくてはな。もっと楽しませてくれ」
通信が途切れたその刹那、マイダスのVEDが出力を増した。マイダスの無人のブリッジでは、加速度計がみるみる数値を増し、ついには110Gに達した。
この加速度なら、アンドロメダ星雲まで船内時間でたったの65日、ソルが燃え尽きるのも87日後に過ぎない。水素が燃え尽きて宇宙から星明りが消え去るのは3ヵ月後のことになる。
そのころ宇宙で光を放っているのは、マイダスと知能ミサイルだけになっているのかもしれない。
◆
「あれが?」
きれいな薄緑色の空を見上げた若い男が、少女にうなづいてみせた。無線を使うとメザニンの監督官にバレる。だからバイザーを押し当てて響きを交換するのが、仕事をサボるカップルさんのルールだ。
キスを交わす恋人同士のように、首を傾けてバイザーを押し当てる男の仕草に、少女はクスクスと笑った。
「あれが“こいびとのほし”だよ。むかし、ゆうかんなやろうが、れつごじんのカノジョをつれてにげたんだ」
「すごい、ふねをぬすんだの?」
「あざやかにうばったのさ。あいつらは、ぐるーむナントカという、よいほしににげているんだ。おれんとこのくそメザニンはしんだっていってるけど、うそだよ」
「すてきね。あのかがやきにのって、あたしたちとおなじれつごじんが……」
「あれをみあげるたびに、せいふのプライアーたちのはらわた、にえくりかえってるぜ」
少女はキラキラした瞳を男に向けた。
「ねえ、あたしたちもなにかできるのかなあ」
「なにいってるんだよ。いましてるだろ、サボタージュ」
そう言うと、男は少女の肩を引き寄せた。ふたりのバイザーに大小2つの輝きが映る。それはまるで二重星のように、グッドホープの空にいつまでもまたたいていた。