12話
ドアが閉じるのを待ってからささやいた。
「起きているか、アリル」
照明を落とした室内を、データ端末のランプがかすかに照らしている。アリルの輪郭がベッドに見て取れた。毛布の固まりがモゾモゾと形を変える。床に落ちた小物に注意しつつ、僕はアリルに近づいた。
「アリル?」
毛布越しに肩に触れると、アリルは「キャッ」と笑いを含んだ悲鳴をあげた。完全に起きている。呼吸を整えて、アリルに言いかけた。
「ちょっといいか、実は――」
毛布から音もなく伸びてきた手に、服をぎゅっとつかまれた。クスクスという、どうもシリアスな気分をぶち壊しにする笑いが漏れている。アリルの白い腕が闇に浮かび上がっていた。思ってもみなかった強い力で、僕はベッドに引き倒された。
「何を――え!?」
毛布が生き物のように大口を開け、僕はパクリとベッドの中に収まっていた。眼の前にはアリルの顔が迫り、きれいな歯列が一瞬だけ濡れた光を反射した。僕の顔をアリルの良い香りがする髪がくすぐる。
「もっとこっちによってよ」
アリルが顔をさらに近づけてささやく。そのまま、彼女は額を僕のあご先につけた。僕とアリルが息遣いを重ねるにつれ、湿った熱気が限られた毛布の中の空気を濃密にしてゆく。心臓が痛いほど高鳴り、こめかみが脈打った。
闇に目が慣れるにつれ、アリルの顔がはっきりと表情をみせた。その顔は赤く上気しているのだろう。それを知るには、熱い吐息だけで十分だ。
僕のてのひらが体に触れると、しなやかな彼女の筋肉は滑らかな肌の下でビクンと緊張した。アリルは、自分の肉体がそんな反応を示すなどとは想像していなかったのだろう、狼狽したように目を見開いていた。そっと背中に腕を回すと、下着の紐があるはずの場所を、僕の指先は抵抗もなくさらりと通過した。彼女は裸だった。
ああ、なんて展開だ! 心から愛しい女と睦まじく抱き合う日が来ることを想像しては、このベッドの上で絶望に苦しんできた。コールドスリープの冷たい眠りのなか、星々の間で何十年も空しく時を重ねながら。それなのに……どういう星辰の巡りか、ようやく奇跡が起きたというのに……なんということだ! 今はその時ではないのだ。
「アリル――」
彼女はおずおずと唇を僕の頬に触れさせ、優しく滑らせて耳にキスした。ちょん、と僕のわき腹を指先がかする。まるで怯えた小動物をを手懐けるかのように、遠まわしに、警戒するかのように探りを入れてくる。
ああ。僕は嘆息した。
アリルは僕を逃がしはしないか、離れてしまいはしないか気遣っているのだ。僕の愛を確信できずに、それでもありがたく感じているのだ。その臆病さと初々しさ、細やかな感情全てが一瞬の閃光のように彼女の行動を、心を照らした。毛布に包まれた闇の中で、現実は希薄に霞んだ。
もう、死んでもかまわないくらいの深い感動と、今から僕がやろうとしている破れかぶれの戦闘は、噛み合わずに僕の心をかき乱す。僕だって、アリルの額に、目に、首に、耳たぶに――聖像に捧げる祈りに似た敬虔なキスを、捧げたかった。愛おしく大切であるがゆえに。でも、今はだめだ。
このエロエロな状況でもストーカーが沈黙しているということは、あいつの約束は本物だったのだろう。アリルが一緒にいれば、あいつは僕を監視できない。好都合だった。
僕はアリルの肩をつかんだ。
「これから、自由を取り戻す戦いをはじめる」
アリルは僕の顔に視線を彷徨わせた。
「もしかしたら僕たちは死ぬかもしれない。アリル、君の命を僕に預けてくれるかい。僕を信じて」
目に真剣な光を宿して、アリルはコクンとうなづいた。