11話
マイダスの工業意匠は考え抜かれ、無駄も不足もない。よって、ユニバーサル加速度デザインは僕の知る限り一切変更せずに使われている。加速度ゼロ=無重力時でも2Gの加速時でも、船内のどのフロアの、どの部屋でもごく自然に移動することが可能だ。
僕がブリッジに到着したとき、そこは当然ながら無人だった。停泊時には基本的に一部の人間以外の出入りが禁じられているので、ストーカーの減圧によって苦悶の死に様をさらしている死体は、ここには存在しなかった。
航海士の当直席に腰かけ、飛び散った紙片を床に落とすと、おもむろに運行情報を呼び出した。画面に系内の惑星配置や航路上の微小天体ベクトル、恒星風濃度分布が表示された。使われているのは全て英語と呼ばれる古代文字だ。
今日でも学術論文や科学技術分野では、英語が一般的だ。インターナル・インターフェースのAIもアルファベットがソースコードに採用されている。まあ、現文明の技術的基盤はあらかた前文明の遺産から成り立っているのだから、それも当然だった。
本来なら機関士の職掌分野ではあるが、ついでにVEDの運転情報、船内の環境情報も呼び出した。さらに、普段はまずやらないセキュリティ検索まで実行した。メモリの最適化の指示をした直後、画面にストーカーの苦笑いが現われた。
「何を目論んでいるのだ?」
僕は素っ気無く答えた。
「別に。日常的な作業だけど」
ストーカーはしばし黙っていた。おそらく、以前僕が当直したときの作業内容でもメモリから掘り起こしていたのだろう。
「よかろう、いまさら君には何もできない。それより、彼女と添い寝でもしていたまえ。その、肉体がなくなったせいかもしれないが、人間の肉の交歓というものが楽しみで仕方ないのだ。ぐふ、彼女もその気なのだろう、今から奪ってしまいなさい」
……この腐れ童貞が。てめえの背中のコブでも揉んでいろ。
怒りを飲み込んで、ちょいと鼻先をくすぐってみた。
「これは意外だな。あんたみたいな純愛に生きる人は、肉体を越えた精神的な愛というものを信じているのではないかと思っていたが。精神的愛は肉体的欲望より気高いものじゃないのかな」
予想通り、ストーカーは食いついてきた。
「当然だ。一般論的に、君たち第2文明は本能に従順だから、老婆心ながら背中を押してやろうとしただけだ。富や快楽といった実際的な物事に惑わされない純潔、欲望に磨耗されない魂の清らかさといった精神性を私は高く買っている。君もそうだったのか。すまない、軽率なことを言ってしまった」と謝罪する。
さっき、「楽しみで仕方ない」とか言ってたのはどこのどいつだ。
「分かってもらえたか。あなたも紳士とお見受けするからお願いするが、アリルを監視するのはやめてくれないか。女の子なんだから、見られたくないことだってある。そうだろう? いやいや、僕のことは別にいいんだ、ただし、僕と彼女が一緒にいるときくらいは、無遠慮な視線で彼女を困らせないで欲しいのだが……」
画面の中でストーカーは大げさに手を振った。
「失敬失敬。どうも長らく肉体がないと、世間の常識に疎くなってしまうらしい」と頭を掻いている。「いま、昔のプライバシー保護ソフトウェアを適用した。アリル君の周囲が選択的にブランクデータ化するものだ」
「わかりました、結構でしょう」
決行してやる。
「ああ、もうこんな時間か。アリルがお目覚めかもしれない。ちょっとブリッジをみせてやろう」
独り言には長すぎるセリフを聞こえよがしに残して、僕は個室に引き返した。