「おめでとう」が素直に言えなくて。一人泣く私を抱きしめたのは、不実なはずの彼でした
「結婚おめでとう」
それは心からの言葉だ。
嘘偽りのないお祝いの言葉。
けれど、少しの寂しさと自分のままならなさに勝手に傷ついてしまった。
親友であり、私の補佐官でもあるクロエが私の護衛騎士と結婚した。
それはとても喜ばしいことで、結婚式にもそのあと彼女の実家で開かれたパーティーにも参加し、心の底から嬉しいと思う。
でも、どうにも心がざわついて、一人になりたくてそっとパーティーを抜け出し庭のベンチにお邪魔していた。
嬉しいのに、嬉しくない。
ずっと一緒だったクロエが遠くに行ってしまったようで、寂しかった。
「お久しぶりです、アイリス殿下」
「ルカ様……」
「クロエがあなたの居場所は把握しているが心配だからと、俺を寄越したんです。何かありましたか?」
私の隣に座り、顔を覗き込んできたルカ様は相変わらず綺麗な顔をしていて、見惚れてしまう。
子供の頃もこんな風に私が一人でいるとどこからともなくやってきて、優しく笑って抱きしめてくれていたなと懐かしい気持ちになる。
「昔から綺麗なお顔をされていますね、ルカ様は」
クロエのお兄様であるルカ様は、お母様に似て華やかな容姿をしている。その容姿で数多の女性を魅了し、特定の相手を作らず、夜ごと止まり木を変えているという噂は王宮にまで流れてきている。
ただ、それは仕方のないことだろう。女性は美しいものが好きだし、一夜の夢と分かっていても優しさに縋ってしまう夜もあるのだから。
「アイリスがそういった事を口にするのは珍しいね」
「昔はよく口にしていましたわ。ルカ様は綺麗で優しくて、頭が良くて憧れでしたから」
この家に遊びに来ると毎回ルカ様は私とクロエの相手をしてくれていた。クロエはちょっと嫌がっていたけれど、私としては綺麗なお兄さんに遊んでもらうのは楽しかったのだ。
それにクロエには言えない事を言っても優しく受け止めてくれたから、子供の頃の泣き場所はいつもルカ様の腕の中だった。
「それで?俺の顔のことは置いておいて、何をそんなに悲しんでいるの?」
「悲しいとは少し違います。ただ、クロエが遠くにいってしまったようで寂しくて……」
「何も変わらないだろう?クロエは結婚しても君の元で働くんだから」
「そうですけれど……」
男性から忌避されている私は結婚できないから、クロエの苦労を理解できないかもしれない。
親友として、クロエの支えになりたいけれど、彼女が悩んだ時に現実味のない理想論を言ってしまうかもしれない。それで距離が出来てしまうことだってあるだろう。
見ている視点が違ってしまうのだから。
それが不安でたまらなかった。私の大事な友人が幸せを掴んだことは嬉しい、自立した女性でも男性から選ばれるという証明にもなり、私がやってきたことは間違いがないのだと確信が持てた。
でも、未婚と既婚では見ている風景が違う。いつも同じ未来を見ていたクロエと私に明確な違いが生まれてしまった。きっとこれからお互いに理解できない事もある、その理解できない事を受け入れる覚悟が私にはまだなかった。
「アイリス?」
「……私はクロエと同じ視点には立てないから。女性の自由という象徴であろうと努めてきた私に結婚は無理なのです」
「どうして?」
「男性は私のような女はお嫌いでしょう?」
自分の意思をはっきりと持ち、時には意見を戦わせる。媚びない、男性の付属品として生きない。それが父の目指した女性の自由の具現化だったから、私は一生懸命に王女として期待にこたえてきた。
けれど、意識改革には多くの時間がかかる。男性に付き従う事が女性の美徳とされる世の中で、私のような女は好まれない。それでも挫けなかったのは、多くの女性の未来に私がなると信じていたからだ。
「アイリス、ちょっとごめんね」
腰に腕をまわされぐっとルカ様の方へ引き寄せられる。何をするのかと顔を上げれば、間近にルカ様の顔があって赤面する。
そんな私の頬を撫でて「真っ赤だね」と微笑む彼から距離を取ろうとその胸を押すがびくともしない。
「離してください!」
「まだダメ」
そういって私の額にこつんと額を当て、ルカ様は言葉を紡ぐ。
「俺は君の努力を知っているよ。涙を零し、唇を血が出るまで噛みしめ、悔しい気持ちを自分の中に閉じ込めていたことも知っている。たくさん頑張って、それでもまだ頑張るアイリスが俺にはとてもまぶしい」
「ルカ、様……」
「うん、そうやって涙を零していいんだよ。寂しい気持ちも、よくわからないモヤモヤも何もかも流してしまおう?」
止めようとしてもあふれる涙をルカ様は優しく唇で拭う。
こんな事されたら単純な私は彼を好きになってしまう、誰の物にもならない憧れの人だからこそ、憧れで留め置けたのに……。
昔と変わらぬ安心できるその腕の中なのに、優しい口づけが確実に憧れの種を恋へと芽吹かせていく。
「アイリス。可愛い可愛い俺のアイリス……」
その意味を問おうとした言葉は、ルカ様の口づけによって紡がれることはなかった。
◆◆◆
side ルカ
「ルカ様!」
妹のクロエの友人、アイリス王女様。天真爛漫な天使のような彼女は、随分と俺に懐いてくれていた。
公爵家の三男として生まれ、求められる価値などほとんどない俺に「綺麗ね、優しいね、頭がいいね」と褒めることしかしない子だったので、俺の自尊心を大いに満たしてくれる子だった。
ただ、成長と共にそういった天真爛漫さはなりをひそめ、”自由な女性の象徴”として彼女は見えない所で血反吐を吐くような努力をしていた。
そんな彼女であったが子供の頃は定期的にうちに訪ねて来て、一人の女の子としてクロエと遊んでいる事が多かった。
けれど、たまたまクロエの帰宅が定刻通りにならなかったときに俺は見てしまったのだ。
庭のベンチに座り涙を流してる場面を。
だから思わず駆けつけ抱きしめてしまった。小さく震えるその体は思ったよりもずっと華奢で、”女の子”だった。
「アイリス」
「ルカ様、見ないで……。お願い、私は泣いちゃダメなの、笑っていないと……。そうしないと、女性が自由になれない」
「大丈夫、見ないよ。でも、一人は寂しいだろう?」
「……寂しい。とても寂しいよ」
俺の腕の中で涙するアイリスを自分の邪な想いを隠すように力強く抱きしめる。
こんな価値のない俺なのに、この国の王女であるアイリスは必要としてくれる。もっと求めて欲しい、俺を価値ある存在として傍に置いて欲しい。
その醜い欲望を抑えつけながらも俺は、アイリスが訪ねてきた時はつぶさに観察していた。いつも、どこでも俺を求めてくれるように、どうしたら彼女が俺を必要としているかタイミングと言葉を計算していた。
そうして、気づいた時には美しさのかけらもない執着じみた恋心を持ってしまっていた。
でも、俺の思いは成就しない。
子供でなくなったアイリスはうちを訪ねて来なくなったし、社交界でも公爵家の三男である俺との接点はほぼなかった。
どんなに己の立場を呪っても、状況は好転しない。
アイリスは王女で、俺はなんの価値もない公爵家の三男。
家から受け継ぐものが何もない俺には、この国のお姫様を嫁に迎えるだけの財力も地位もない。
アイリスは手の届かない人なのだと諦めるしかなかった。
その虚しさを紛らわせるために、数多の女性と関係を持った。それについて、家族からは呆れられていたが、改めるつもりはなかった。
アイリスが手に入らないならば、どの女性も同じだからだ。
小さく震える女の子、俺を必要としてくれた唯一の子、俺のアイリス……。
多くの女性に必要とされても、この渇望は埋められず、乾くばかりで益々女遊びが激しくなっていった。
そうしていつものように朝帰りをした日、珍しく出迎えたクロエに「いい加減にしなさい!」と扇で殴られた。
「誰でも知っている情報をまだ手に入れてないなんて、ほんとバカ!アイリス様について、陛下は婿探しをしているの。それを知らないままうじうじ、遊び惚けて何をしているの!?」
「婿探し?」
「有能なアイリス様を陛下が手放すのを拒否したのよ。だから、婿を探している。けれど、先進的な女性すぎて誰もアイリス様について来られないの。この意味分かるわね?」
「けど、俺は……」
「うるさい!私の結婚パーティーに、アイリス様を招待したわ。そこで何もないならもう知らない」
「お前は俺でいいのか、クロエ」
「……正直、ルカお兄様の事はクズでどうしようもない男で、絶対にアイリス様に近づけたくないと思っている。でも、アイリス様が一番リラックスしているのはお兄様の前だけなんだもの」
「いいんだな、俺が貰っても」
「アイリス様のお気持ち次第よ」
そうして、アイリスとの逢瀬は叶ったのだった。
あの頃のように俺の腕の中で肩を震わせ泣く姿に乾いていた心が満たされていく。もう手放せない、手放してあげられない。
「アイリス。可愛い可愛い俺のアイリス……」
唇、頬、瞼、また唇、彼女の顔のいたるところにキスをして、合間に愛を囁く。
戸惑うように俺の名を紡ぐアイリスの答えを聞きたくなくて、言葉をキスで封じる。
「俺が必要だと言って?ずっとずっと君の為に生きるから、俺を求めて、アイリス」
「……求めて、いいのですか?」
「俺がアイリスに求めて欲しいんだよ。ねぇ、言って?俺が欲しいって」
「私の傍にいてください、ルカ様」
熱に浮かされた瞳で俺を見つめ、おずおずと俺の背に手を回したアイリスに理性が焼ききれそうだった。
深く口づけ、アイリスの名を呼ぶ。
ずっとずっと欲しかった。俺の居場所。俺の存在する意味。
もう君無しでは俺は生きていけない。




