試験
高校3年生となった。私は夏に近づくにつれて大学入試に向けた勉強を強いられるようになった。もちろん、強制されると言う訳ではなく、究極を言えば今までのように勉強などせず、遊び呆けるのも構わないのだ。しかし特別決定した将来を持たない私にとって、とりあえず大学へと進むことが選択肢を広げるためには必須であった。
私の通う高校は、偏差値で言えばある程度上位の方であるので、ほとんどの生徒が大学へと進学していくのであった。皆3年生になると少しづつ勉強をし始めていくもので、夏休みに入る頃には塾に入ったり、遊ぶことをしなくなったりと明らかに勉強一筋となるのが見て分かった。
そんな変わり始めた学校生活にある違和感を感じていたのは私だけだったのかもしれない。それは勉強に対する反抗ではない。私は周りの人間が異常となっていくのをおそらく見た。私が違和感を感じ取り始めたのは夏休みの開けた頃であった。私は普段5人程の集団で学校生活を送っており、他の4人に対して私は大きな友情を持っていた。修学旅行も、遠足も、授業も、休み時間もすべてこの集団で過ごした。しかし、この歳の夏は勉強の為になかなか会うことも無く、それぞれの夏休みを過ごしたのである。二学期の始め、夏休みの終わり、その1日を過ごしたのはもちろんこの4人だったが、そこで私は違和感を感じたのだ。いつも通り。しかしなんとなく違う。前と比べ、明らかに話がしにくくなっていた。始めこそ久しぶりに会うことが原因かとも思った。けれども7日たって
もその過ごしにくさは消えることがなかった。しかし変わらない過ごしにくさと引替えに私は違和感の正体を見つけることが出来たのだ。私が今まで感じていた違和感は一言で表せば、会話の中で起きる攻撃性であったのだ。夏休みに入るまで、この4人に対して嫌な感情を持ったことはなかった。喧嘩なんてしたこともなかったし、
意見の食い違いだって起きることはあっても、言い合いとなる前には話をまとめてみせた。それほどに気持ちのいい連中だった。のに。それは今では確かに変わっている。笑いは減り、喧嘩もどきは多発した。冗談のように互いを弄ることは今までもあったけれど、今その弄りも相手を自分より下の地位まで下げ、それで自分を守るために存在していると感じさせるものへと変化した。私は卒業したらこの4人と関わらず生きよう。そう思った。それとも、この違和感は受験が終わり、元の生活に戻れば居なくなってくれるのだろうか。受験の疲れによって変わり果てた姿がこれなのか、いや、元々の姿が出てきているだけなのかもしれない。嫌だなあ。そうであるならば私が今まで楽しいと感じていた4人との思い出は、あくまで仮面誤字であったのか、私が素を出して接していた相手は素でなかったのか。なんて恐ろしいのだろうか。私はこれから先疑わなければならない。どんな人に会っても、どの集団で過ごしても、大学に入っても、会社に務めても、誰かを好きになっても。あらゆる関係は私の信じていたものから些細なことで変わってしまうのかもしれないのだ。受験なんてものがあるのがいけないのかもしれない。せめて過度な疲れのないものになるべきである。それともこの状況になることも試験なのだろうか。我々の心を剥き出しにして、蹴落としあって、生活をも捨て去って、人を堕として。ならば現代の人間というのは、過酷である。あまりにも。
こんなにも辛いのなら、おかしくなっているのは自分だけならいいのに。周りが変わっているのではなく。ただ自分の能天気な心が勉強による疲れですり減り、ようやく正しい世界を見ることができるようになっただけで。そう考えれば、きっと少しは楽である。これからはこの世界を正しい視点で見れるのだ。




