表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第一話:孵化(ふか)の夢魔(むま)

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

胎動。

否、蠕動ぜんどうか。

混沌とした闇の奥底で、何かが蠢いている。

それは、いにしえよりこの地の魂魄こんぱくに巣食う、根源的な恐怖の残響であった。

粘つく闇は、甘美な蜜の匂いを纏い、誘う。

誘惑は、そのまま虚無へと繋がる奈落の淵を想起させる。

意識は、まるで糸の切れた操り人形のように、ゆらゆらと揺蕩たゆたう。

私は誰なのか。

そして、この空間はどこなのか。

微かな振動が、脳髄の奥深くを掻き乱す。

それは、羽ばたく音か、脈打つ音か。

あるいは、生命が孵化する瞬間の、おぞましい産声か。

視界は、まだ濁っている。

しかし、嗅覚だけは異常なまでに研ぎ澄まされていた。

濃厚な、いやらしいほどに甘い花の蜜の香り。

そして、もう一つ、冷たく、滑らかな、どこか血肉を連想させる磯の香りが混じり合う。

不協和音。

しかし、その不協和音こそが、この狂気の調律を成しているかのようであった。

意識の深淵から、一つの像が浮かび上がる。

それは、巨大な蜜蜂の巣。

黄金色に輝く、おぞましいほどに完璧な幾何学模様。

その中心には、まどろむように横たわる、巨大な存在。

女王。

彼女の周りには、無数の羽虫たちが蠢き、卑しくもその身を捧げている。

彼らの羽音は、まるで狂ったオルガンのように、私の精神を蹂躙じゅうりんする。


「女王様……女王様……」


囁きが聞こえる。

それは、羽虫たちの合唱なのか、それとも私自身の内なる声なのか。

定かではない。

ただ、その声は、私をある一点へと誘う。

この混沌とした世界の中心、聖なる蜜の滴る場所。そこには、ただ甘美なだけの蜜ではない、この地の根源的な力を宿す「聖蜜せいみつ」があるという。

だが、聖蜜を求めるのは、女王だけではなかった。

闇の奥から、別の感覚が這い寄る。

それは、ねっとりと湿った、しかしどこか魅惑的な粘液の感触。

触手。

無数の触手が、うごめきながら、蜜蜂の巣へと忍び寄る。

その先端には、獲物を貪り喰らうための、おぞましい口が隠されている。

触手植物。

大地に深く根を張り、生命を吸い尽くす、緑色の悪魔。

彼女たちは、その根を伝い、聖蜜の源流を探っているのだ。

そして、もう一つ。

冷たい水の気配。

ざわめく水面の下から、鈍い銀色の光が瞬く。

それは、この地の魂を抱く、水の精霊の化身か。

いや、違う。

それは、生殖と繁栄の象徴。

卵を孕み、命を繋ぐ者。

イクラ持ち鮭。

彼らは、清冽な水の流れに乗って、聖蜜の満ちる泉へと遡上そじょうしようとしている。

その身に宿す膨大な数の卵は、この地の未来を象徴する、生きた宝玉であった。

彼らの目的もまた、聖蜜。

その力を得て、己の血脈を永劫えいごうに繋ぐこと。

三つ巴の戦いが、今、まさに始まろうとしている。聖地を巡る、おぞましくも崇高な争い。

私の意識は、この狂気の螺旋に巻き込まれていく。私は、この物語の傍観者なのか、それとも、この混沌の只中にいる、ある種の被験者なのか。

混乱は増すばかりだ。

しかし、この混乱こそが、真実の扉を開く鍵となるのかもしれない。

闇は深まり、羽音はより一層、耳朶じだを打つ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ