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耳納より来たるもの  作者: やしゅまる
9/10

第9話 祈りの果てに

封印の井戸が静まり返った夜、耳納の山は久しぶりに風を取り戻していた。

ざわり、と木々が揺れ、虫の音が戻ってくる。


ユウカとリョウは、井戸の前に立ち尽くしていた。

それは安堵と、まだ信じられないという混乱の狭間にいたからだ。


「……マジで、生きとるんやな、俺ら」


リョウがぽつりと言った。

ユウカはうなずいた。その瞳には、泣き疲れたような優しい光があった。


「水の中で……声がした。

 “お前の祈りは確かに届いた”って。

 なんかね、お母さんの声にも、聞こえたと」


リョウはユウカの手をそっと握った。


「祈りって、届くんやな。バカにできんやん、神様も」


井上がその隣に歩み寄ってきた。


「……見事だった、ユウカ。君は“水の巫女”として、十分すぎるほど役目を果たした」


ユウカは小さく笑った。


「もう二度と、巫女はやりたくなか」


リョウと井上が笑う。

その笑いは、ようやく訪れた朝の空気のように、穏やかだった。



町に戻ると、封鎖されていた道路がひとつ、またひとつと解放されていた。

自衛隊のヘリが飛び、テレビ局のレポーターがざわつくなか、久留米市は“原因不明の集団パニック”という報道でまとめられつつあった。


それでも町の人々は知っていた。

あの耳納山の奥で、“何か”が鎮まったことを。


人々の視線が変わる。

ユウカを見れば、誰もが静かに頭を下げた。

それは、言葉を超えた敬意だった。


「すごいな、ユウカ。英雄やん、お前」


「やめてよ。目立ちたくないとに……」


それでも彼女は、どこか誇らしげだった。



数日後――


一通の封筒がユウカに届く。

差出人の名前を見て、息を呑む。


『井上真理子』


「……お母さんやん」


震える手で封を開けると、そこには手書きの手紙が一枚、入っていた。


「ユウカ。あの封印が解けたと聞いて、私は自分の逃げた過去と、ようやく向き合うことにした。

本当は、ずっと会いたかった。けど、私はもう、娘に会う資格なんてないって思ってた。

でも、あなたが祈ってくれたから、私はもう一度“母”として生きたいと思った。

もし許してくれるなら、会いに行ってもいいですか?」


ユウカは、じっとその手紙を見つめたまま、しばらく動けなかった。


そして、静かに立ち上がった。


「リョウ。……私、お母さんに会いに行く」


「うん。行ってこいよ。俺、ちゃんと待っとうけん」


その背を押してくれる人がいることが、ユウカの胸を温かく満たしていた。



その日の夕暮れ。

久留米の空には、やわらかな光が差していた。


川沿いの土手には、もうカッパの影はなく、子どもたちの笑い声が戻っていた。


耳納の山も、ただの山に戻ったかのように、静かにたたずんでいた。


だが、ユウカは知っている。


――本当の恐ろしさも、

――本当の優しさも、

あの山の奥には、ずっと眠っているのだと。


彼女はそっと胸に手を当てる。


「……ありがとう、ミミノウ様」


そう呟いた声は、夕陽に溶けて、風に流れていった。


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