第4話 灯火
「高熱、瞳孔の揺れ、光への過敏反応……」
理科教師・城戸真琴は、三谷カズキの容態を確認しながらメモを取っていた。
翔太が必死に看病する中、カズキはうわ言を繰り返しながら浅い呼吸を続けている。
「ウチのばあちゃんが言いよった……」
1年女子の花村ミクが、ポツリと呟いた。
「カッパに尻子玉抜かれた人は、“水に引っ張られる”っち。水を見ると溺れたくなるって……」
「……それって、水を見ると発症が進むってことか?」
真琴が顔を上げた。
ミクは静かに頷く。
「それに、昔の田主丸じゃ“耳納様の供え水”って言って、封じた井戸に水を供えよったっちゃん。
毎日、水を替えんと“穢れ”が溜まって……カッパが出るって」
「それ、どこにある?」
「分からん。でも、うちの町内会長が毎月山に登って水換えしよったの、見たことある」
真琴の目が鋭く光る。
「つまり……封印が破られたのは、供えの水が絶えたから……?」
「じゃあ、もう一度供えたら……戻せる?」
生徒たちに希望の声が広がる。
だがその時、バリケードを打つ窓の外から――
ドン。ドン。ドン。
濡れた手の平で叩く音がした。
「来た……!」
柴崎リョウが立ち上がる。竹刀を肩に担ぎながら、眉間に皺を寄せた。
「またあいつらか……何でこんなに執拗に、ここば狙ってくるとや?」
「多分、ここに“生きてる人間”がいるからです」
静かに立ち上がったのは、生徒会長のユウカだった。
彼女は片手にノートを持ち、表紙にはこう書かれていた。
『耳納連山・怪異記録 昭和14年』
「理科準備室の引き出しから見つけた。先生のとは違う視点で書かれてる」
ユウカが開いたページには、こんな記述があった。
『水神の封印が崩れたとき、人は“水の声”を聞くようになる。
それを拒むには、“火”と“言葉”の力が必要である――』
「火と……言葉?」
「人間らしさ、ってことかもしれない」
真琴が答えた。
「だから翔太の“言葉”が、カズキを一時的に人に戻した。火は……理屈で言えば体温。
つまり、体が冷えたら“水に引かれる”」
「じゃあ、感染者を温めて、呼びかけ続けたら……!」
「元に戻る可能性がある」
それは、ほんのわずかな光だった。
だが、その光は暗闇の中で確かに輝いた。
「俺、やるよ」
翔太が立ち上がる。
「カズキだけやない。これから“引かれそう”になるやつ、絶対助ける。
だって、ここにおるみんな、仲間やけん」
誰かがすすり泣いた。
そして、拍手が起きた。
「バカが……」
リョウが呟きながら、顔を背けていた。
その瞬間――
「水道、止まった!」
給水班の女子が叫んだ。
「嘘やろ!?」
「もう、水もない……?」
体育館の中がまたざわめく。
「井戸水を探そう」
真琴が言った。
「山の封印場所に供え水があるなら、そこに“生きた水”が残ってる。
それを汲んで戻ってこよう」
「誰が行くと……?」
全員が沈黙する。
「俺が行く」
リョウが、竹刀を肩に乗せて前に出た。
「どうせ動かんと死ぬなら、暴れた方がマシやろ。
それに、カズキが人間に戻ったんは、翔太が命張ったからやろ?
次は、俺が張る番やん」
「……リョウ……」
ユウカが涙ぐみながら、懐中電灯を手渡した。
「じゃあ、私も行く」
ユウカが続ける。
「会長として、誰かが見届けなきゃ。絶対に水を持ち帰って、みんなで生き延びよう」
二人は、体育館の非常口を見つめた。
その扉の向こうに、怪物がいるか、救いがあるか。
誰にも分からなかった。
だが今、ここに一つの“覚悟”が芽生え始めていた。