転校初日に、食パンをくわえた女子高生と曲がり角でぶつかったのだが
運命の出会いなどというものを、俺は信じてなどいなかった。
心底ばかばかしい。
少女漫画のテンプレートみたいな展開など、現実では起こるはずがないのだ。
現実は漫画ほど面白くはない。
この先も、きっと平凡な人生を送っていくのだろう。
―――――――――――――
令和5年。
高校2年生の五月。
俺は転校することになった。
元居た高校は町からは離れており、周りは田んぼに囲まれていた。その、のどかな雰囲気に包まれた高校は割と気に入っていたのだが、これといって仲のいい友人や、恋人などはいなかったため、転校が決まったときはあまり悲しくはならなかった。
これといった思い出もない。
小規模の文化祭も、夏の勉強合宿も別に楽しくはなかった。
まあ、そんなこんなで、俺の元居た高校の話は終わり、今日から俺は新しく東京にある藤原高校へと入学することになっている。
今日は初日で、いわゆる俺は転校生というやつだ。
時刻は8時20分。
朝の朝礼は8時30分から始まるため、本来ならば急いで学校に向かわなければいけない時間帯なのだが、転校生の俺は8時40分集合になっているのでまったく焦る必要はない。
だから俺は初めて通る東京の道を、ゆっくりと歩いていた。
もちろん、この場所にはすでに俺以外の藤原高校の生徒は見当たらなかった。
俺は東京の中心にある静かな住宅街を、朝の陽ざしを浴びながら気持ちよく歩いていた。
新しい環境に対して、不安と期待の両方を抱きながら、一発目の自己紹介の内容を考えている時だった。
「いっけなーい!、遅刻遅刻!!」
と、遠くから少女漫画のテンプレみたいな台詞が聞こえてきた。
俺は耳を疑った。
……まさかな。
この令和の時代に、今どき食パンをくわえた女子高生なんているはずがない。
朝、学校に遅刻しそうになり、朝食をとる間も惜しんで食パンを口に咥えて、家を飛び出す女子高生なんてよくある設定だけれど、実際にそんな奴は見たことがない。
仮に、百歩譲って、そんなトースト娘がいたとして、その上で、転校生である俺とぶつかる確率なんて、それこそ天文学的な確率だろう。
だから俺は安心して、曲がり角を直進したのだ。
そんなはずはない、と。
それがいけなかった。
曲がり角を抜けたとき、視界の端で、トーストをくわえながら勢いよく走ってくる少女が映った。
瞬間、俺は予期せぬ衝撃を受け、バランスを崩した。
「うわっ!」
俺はトーストが空中に舞い上がるのを見ながら、地面に倒れ込んだ。俺の目の前にいたのは一人の女子高校生だった。彼女も倒れたまま、俺を見つめていた。
数秒間見つめ合ってから、
「す、すみません! 大丈夫ですか?」
彼女はそう言って、素早く立ち上がると、俺に手を差し出した。
「いや、こっちもごめん。見てなかった」
俺は手を取り、立ち上がった。
「怪我はありませんか?」
「うん……大丈夫」
「よかった~」
彼女は安堵して、胸をなでおろしていた。
「今日は本当に急いでて……本当にごめんなさい!」
そう言って深々と頭を下げてから、彼女は再びトーストを口に咥えた。それから、今度は左右をしっかり確認して、『もう行かなくちゃ!』といって走り出して行った。
「ほんほうに、ほめんなはーい」
トーストを口に咥えているせいで、上手く発音できていないが、おそらく、『本当にごめんなさーい』と言っているのだろう。
頭の中を整理するために、どんどんと小さくなっていく彼女の背中を見ながら、数秒間立ち尽くした。
そして、思う。
うん、テンプレすぎるだろ?!?!?!?!
そんな事起こるか、普通?
おかしくない?
おかしいよねぇ!?
今、令和だよ?!
平成じゃないんだよ!?
いや、平成でもいねぇよトーストをくわえたまま登校してくるやつなんて!!!
どうなってんだ……
どうやら俺は天文学的な確率を引き当ててしまったらしい。
はぁ〜、と大きなため息が口から溢れる。
もう、どーせ同じクラスだ、これ。
ガラガラ。
担任の合図で教室に入った俺が軽く自己紹介を済ませると、真っ先に俺の方に指を差し、声をあげる人物がいた。
例のトースト娘だ。
「あっ、今朝の?!」
ほら見ろ、同じクラスだ。
どうやら俺の人生はいつの間にかテンプレ漫画の軌道へと乗ってしまったらしい。
それならば、次に担任の先生はこう言うだろう。『なんだお前ら知り合いだったのか?』と。
「なんだお前ら知り合いだったのか?」
……まじかよ。
当たっちゃったよ。
「じゃあ、適当に空いている席に座ってもらおうと思うが……」
きたきた。定番のセリフね。
そうしたら、次の展開は簡単に予想できる。
どうせあのトースト娘の隣の席が謎に空いているんだよな。
「おっ、楠原の隣空いてるな。とりあえず、そこに座ってもらおうか」
やっぱり。
あまり少女漫画を読んだことのない俺にでも分かるベタベタな展開だ。
はあ。
と、ため息をつきたくなるが、俺は今日転校初日で、しかもクラスメイト達は俺の方に視線を向け、興味津々に睦めているため、こんなところでため息なんかついてしまったら、みんなから、『何、あの転校生? 印象悪ー』なんて思われてしまうので、ぐっと我慢した。
こうなったらもう流れに身を任せるしかない。
俺は草船だ。流れに身を任せてどこまででも突き進んでやるさ。
俺は言われた席に移動して静かに着席した。
「今朝は本当にごねんね……私は楠原恵美。ええっと、河野結人君……だっけ? よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」
あらためてトースト娘こと楠原の顔をまじまじと見ると、今朝は気づかなかったが、かなりの美形だ。
「今朝のお詫びに、お昼休み学校を案内するね!」
「……ありがとう」
学校を案内してもらえるのは非常に助かる。
自分から申し出てくれるとは、案外楠原はまともな奴なのかもしれない。
いやいや、待て。こいつは朝食パンをくわえて猛ダッシュしてたんだ。まともなはずがない。
そもそも、今は少女漫画的展開が続いている。
絶対、学校案内も何かのイベントが起こる伏線だろこれ!
油断はできないぞ。
―――――――――――――
というわけで、無事昼休みを迎えてしまったわけだが……
「河野君、まずはお昼ご飯食べよ! 学校案内はそれからねっ。私、いい場所知ってるから、お弁当持ってついてきて!」
いい場所?
どこだろう?
俺はとりあえず楠原の後ろをついて行った。
「ここだよっ」
「ここって……まさか……」
「そう、屋上!!」
出た出た。
漫画あるある、謎に入れる屋上!
いい場所ってまさかここか。
学校生活で屋上に入れる日が来るとは……
なんか少し嬉しいな。
「とってもいい景色じゃない?」
「そうだな」
そして俺たちは適当な所に腰をおろし、弁当を食べることにした。
「「いただきまーす」」
二人で一緒に手を合わせた。
直後。
「ってあれ!!!!!」
「どっどうしたっ?…………って、まじか……」
楠原の方を見ると、二段になっていた弁当の、その両方が白米だった。
「いっけなーい! おかず……忘れちゃった」
うん、ドジっ子だ、こいつ。
しかも相当やばめのドジっ子だ。
「朝急いでたから、間違えちゃった。はぁ、今日はこれで我慢するしかないか……」
露骨に悲しそうな顔をする。
…………
…………
…………
分かったよ!
俺の分のおかずをわけてやればいんだろ!!
「……良かったら、俺のおかず食べる? レシピとか結構自己流だから口に合うかは分かんないけど」
「え? いいの!?」
「ああ、実は今日、初日だから張り切って作りすぎちゃって」
「トゥンク♡」
うぇ!?!
トゥンクって何?!
もしかして、胸がときめいた音なのか?
絶対口で言うセリフじゃないだろそれ!
少女漫画とかで心情を表す吹き出しに入ってるやつだろそれ!
しかも古いよ!今どき『トゥンク』なんて使わねえよ!
はぁ……はぁ……。
俺は心の中でどんだけツッコミを入れなくちゃならないんだよ。
「はい、どうぞ」
そう言って俺は弁当のおかずを楠原に差し出した。
「ん~おいし~!」
「それは良かった」
「河野君てお料理上手なんだね! 私にも今度教えてほしいなぁ」
う……
またイベント発生の予感だ。
ここでイエスと答えるかノーと答えるか……。
しかし優柔不断な俺はどっちつかずな返事をした。
「……ま、また時間があったらね」
「うん!!」
お昼ご飯を食べ終わると楠原は張り切りだした。
「おかずも分けてもらったし、案内は頑張らなくちゃ!!! じゃあさっそく私についてきて!!」
屋上から出て、初めて通る学校の廊下を二人であるいていく。
楠原が美人ということと、俺が転校生ということもあり、周りからじろじろと見られていた。
あまり注目を集めるのは好きではないので、少し気分が悪い。
まず最初に向かったのは図書室だった。
「ここが図書室だよ」
中に入ると生徒たちが集中して勉強や読書に取り組んでいた。入り口から本棚がずらりと並び様々なジャンルの本がそろっていた。
「せっかくだから本の借り方も教えてあげるね。何か気になる本があったら私に言って。私も丁度借りたい本を探してくるから」
そういうことなので、俺は図書室の中を自由に散策してみることにした。
とりあえず、図書室全体を回ってみることにした。元居た高校の図書室よりも比較的大きくて、俺好みのものが多かった。友達が出来なくても、最悪ここで時間をつぶせるな。
一通り見てから、小説が置いてあるコーナーへと足を運んだ。
最新のものから、古くてマニアックなものまで種類は豊富だった。
端から順に、並べられた本のタイトルを見ていくと一冊の本に目が留まった。
映画化もされた人気のある小説で数年前から読みたかったものだ。
俺はすぐにその本に手を伸ばした。
この時、俺は自分が少女漫画の世界にいることを完全に忘れていた。
指先が本の背表紙に触れたその瞬間、思いがけず柔らかな感触が指に伝わった。
目線の先には同じ本を取ろうとした女の子の手があった。
……まさか。
その人物を確認する。
うん、楠原だ。
「あっ、ごめんなさい……って河野君?!」
「お、おう」
「すごい、偶然!! 同じ本を取ろうとして、手が触れ合うなんて。私、こんな少女漫画みたいなこと初めて」
初めて?!
嘘だ!?
こいつ、自覚ないのか??!!
俺の人生はお前と出会ってから全部が少女漫画なんだよ!!!
「なんだか、運命みたいだね……」
いや、もっと運命みたいなことあっただろ!!
食パンをくわえた女子高生と、転校生がぶつかってるんだぜ。
それが一番の運命だろ!
「はぁ。その本、先に借りていいから、読み終わったら、貸してくれ」
「え? いいの? でも河野君の方が先にこの本に触れたじゃん。カルタだったら、私負けてたよ」
「別に、良いよ。そんな急いで読みたいわけじゃないし」
「……トゥンク♡」
だから、『トゥンク』やめろ!!!
そして俺は楠原から本の借り方を教わってから、学校の様々な場所を教えてもらった。
「ここが、体育館裏だよ!」
うん、こんなこと多分行かないから大丈夫。
「ここが、裏玄関だよ」
うん、学校から抜け出すつもりなんてないから大丈夫。
「ここが、非常階段だよ」
…………
「ここが、もう使われなくなった校舎だよ」
もっとまともな場所を教えてくれよ!!
さっきから、必要のない場所ばかり教えられている気がするんだが。
もっと他にあるだろ!
理科室とか、家庭科室とか!!
「ふう。さてと、もう時間ないし教室戻ろっか。どう? 少しはタメになった?」
なってるわけねえだろ!
しかし、案内してもらっている手前、そんなことは言えないので。
「……ま、まあね。ありがとう……」
「良かった~」
こうして、お昼休みは終了したのだった……
放課後。
なんか流れで、一緒に下校することになった。
そして帰り際、玄関を出ようとした時。
ザッーーーーー
急に雨が降り出した。
天気予報を見ていなかった俺は当然傘など持っていないわけで。
「あ、私、傘持ってるよ!!」
まさかの転校初日にして相合傘イベントが発生したのだった。
―――――――――――――
なんやかんやあり、転校してから一か月が過ぎた。
この一か月間も非常に濃かった。
体育の授業で楠原がケガをしていまい、なぜか俺が保管室にまで同行することになり、そしてなぜか保健室の先生が不在で俺が手当することになったり、
楠原に料理を教えることになったのだが、彼女は絶望的にセンスがなく、あわや大惨事になりかけたり、
いきなり変な奴から楠原をかけてテストの順位で勝負を挑まれたりと、本当にこれ全部が一か月間の間に起こった出来事だとは思えないようなくらいに濃かった。
毎日が、本当に漫画みたいな日々で。
振り返れば、全部楽しかった。
そして、今日もまた新しい一日が始まる。
「結人~、お待たせ!」
もうぶつからないように、俺は毎朝、楠原の家まで迎えに行き、一緒に登校する。
「お弁当、ちゃんとおかず入ってるか?」
「うん、大丈夫! 私、今日のお弁当は結構自信あるんだ~。結人にも食べてほしいな!!」
「……遠慮するよ」
「もう、今日は大丈夫だって!!」
「あははっ」
笑い合いながら二人並んで、学校へと向かう。
「あ、この本、読み終わったから、結人に貸すね」
「ありがとう」
俺の人生は彼女と出会って変わった。
毎日が漫画みたいに面白い。
「今日は何が起こるんだろうな」
気が付けばそんなことを口走っていた。
「え? 今日は別に何もない日だよ?」
「ふっ、そうだな。なんでもない」
本来ならば、学校生活などつまらないものだ。
前の学校ではそうだった。
毎日、同じことの繰り返し。
きっと転校先でも同じだと思っていた。
しかし、違った。
あの日、彼女と出会ってから。
彼女のおかげで、俺は……。
つまらないと思っていた学校生活を、楽しくしてくた彼女に、俺はあらためてお礼を言った。
「ありがとう」
「え? なんのこと?」
「ん? 秘密ー」
運命の出会いって本当にあるんだな。
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