マッシリア①
コルネリウスにより、偵察隊以外のローマ兵はマッシリア港での待機を命じられた。ローマ軍は十に区分され、一日に一区分だけがマッシリアの市街に降り立つことが許された。ローマ兵は十日のうちの九日を軍船の上で訓練や武具などの整備に従事して、一日だけ自由行動が認められたということだ。
プブリウスら騎兵部隊には、ヒスパニアの動きやハンニバルについてのマッシリア近郊での情報収集の任務が別に課せられた。有力貴族の子弟で占めるローマ軍の騎兵部隊には機動力と財力が備わっていたため、彼らの戦地での主な任務は情報の収集と伝達であった。ローマ軍の主戦力は重装歩兵であり、騎兵部隊は重装歩兵が力を出せるよう補助するのが役目であったのだ。
カルタゴ軍の偵察に中央ガリアに向かった騎兵を除き、残りのローマ騎兵は三百騎。マッシリア近郊に二百騎が放たれ、残りの百騎が軍馬を船に残してマッシリア市街での情報収集にあたることになった。
プブリウスとラエリウスは共に市街組に割り当てられた。プブリウスの父が息子らを近くに置いておきたいと思ったからだろう。
市街での情報収集だが、
「ヒスパニアとハンニバルについての情報を持ってこい」
と、上官からの指示は細かくなかった。マッシリアという大きな港町に興味津津だったプブリウスは、任務も兼ねた町の探索に大いに張り切った。張り切り過ぎて、まだ陽も昇らないうちから一人起き出して、夢見心地なラエリウスを連れて一番乗りで上陸を果たしたほどであった。
海の彼方、地平線がほのかに明るくなってきた時分、プブリウスの姿は出港間際の漁船の上にあった。漁師らに交じって出港準備を手伝っているのだ。彼らはグラエキア人で、今からアフリカ沿岸に向かうとのことだった。
内陸部のローマで育ったプブリウスにとって、漁師の生活は未知なるものである。留学したシュラクサイは沿岸部の都市と言えるが大きな港を持たず、漁業はそれほど盛んではなかった。プブリウス自身も他に興味を惹かれるものが多々あり、留学中に早起きしてまで漁師の生活を観察しようとは思わなかった。だが、今こうして漁業の一端を垣間見ると、彼の瞳は瞬きするのも忘れてそこら中を走り回るのだ。人間がどうやって魚介類を獲っているのか、その原理を垣間見たプブリウスの興奮は、漁師らの警戒心を解くのに大いに役立ったと言える。
「本当に面白い奴だな。ローマ人ってのはもっと威張ってて、傲慢な奴らだと思っていたが、気分がいいじゃねえか。そもそも俺たちはローマ人に感謝しているんだぜ。カルタゴが中海を支配しているときは、商売あがったりだったからよ。ローマがカルタゴに勝ってくれたおかげで、俺たち漁師は自由に海で漁ができるようになったんだからな。しかも、ローマから遥々こんな遠くまで軍を寄こして、俺たちの町を守ってくれようってんだからな。
特にお前はいいよ。気にいったぜ。グラエキア語も流暢だし、ローマ人もいろいろだな。あ、それはそこに運んでくれ」
漁師らは早朝の珍客に上機嫌に話しかける。
「手伝ってもらった上に、ローマの面白い話も聞かせてもらって、さらに銀貨もいただいちまった。何か貴重な情報でもあれば何でも話してやりたいんだがなあ……」
「とんでもない。もう十分いろいろとためになる情報をいただきました。それに、とても楽しかった。海の男はやっぱり頼もしいですね。私なんかじゃとても勤まりそうにない」
漁師らはプブリウスが断るのも気にせず、漁から帰ったら必ず獲れたての魚をローマ軍に届けてやるといって出向していった。これより数日後、ローマ軍船に大量の魚介類が届けられ、ローマ軍が大いに活気づいたのはまさにプブリウスの手柄であった。
「さあ、行きましょう」
漁師の出港を見送るプブリウスの横で、ラエリウスは呆れ顔でそう言った。プブリウスは漁船の造りや網の仕掛け方、どれだけの魚が一回の出港で獲れるのかなど、今知ったばかりの知識を楽しそうに披露した。中でも、自分の身体よりも大きな魚の話を聞いたと、身振り手振りを交えて大はしゃぎだった。ラエリウスは一緒にいたのだから、プブリウスと同じことを見て同じことを聞いていた。それでも、ラエリウスは嬉しそうに話すプブリウスに笑顔を向けていた。