作戦会議①
古代ローマの氏名は固有名詞ではなく、一般名詞のように扱われていた。古代ローマの氏名は固有名、氏族名、家族名の三つで表わされるが、固有名は氏族名と家族名が同じである家族の中で識別するためのものであり、十数個程度しかない。また、親の固有名を子供が受け継ぐ習慣があり、プブリウスの父は神の子に自分の固有名を受け継がせた。即ち、プブリウスの父の名も息子同様、プブリウス・コルネリウス・スキピオであった。
プブリウスの父コルネリウスは、作戦会議の場に集まった面々に向かって、
「カルト・ハダシュトを発ったおよそ六万のカルタゴ軍が、ピュレネ山脈を越えたことまでは確かなようだが、その後の足取りがつかめていない。当初、カルタゴ軍の狙いはピュレネ山脈より西のグラエキア人の諸都市を占領し、ヒスパニアでの勢力拡大を図るものだと考えられていた。我々の目的もカルタゴのヒスパニアでの勢力拡大阻止にあった。だが、カルタゴ軍はピュレネ山脈より西のグラエキア人の諸都市を攻めることなく、さっさとピュレネ山脈を越えてガリアに侵入したとのことだ。その後、南ガリアの諸都市にも向かわず、未開の地であり好戦的なガリア人の縄張りである中央ガリアに入ったという。ここに至っては、カルタゴ軍の真意がわからぬ。皆の意見を聞きたい」
と、一同を見渡した。コルネリウスの表情は鉄仮面のように動きがなく、口調は至って事務的だった。
父は部下の意見によく耳を傾ける。指揮官が自分の感情や考えを始めに発言すれば、下の者はそれに従った進言しかできない。司令官の考えとは異なる意見を出しても、それは自分の評価を下げるだけだからだ。部下の本音を聞きたいなら、父のように決して自分の考えを先に述べないことだ。プブリウスは自分の心にそう刻み込んだ。
プブリウスは父を尊敬していたが、ただ崇めているだけではなかった。彼は父のふるまいをよく観察し、優れた指揮官になるための資質をその姿から見出そうとしていた。
早速、五十代半ばの将官が意見を述べた。
「執政官殿、宜しいでしょうか。敵は我が軍の出立を知り、急いで山奥に隠れただけなのではないでしょうか。先のカルタゴとの長き戦役で、向こうは我が軍の強さが十二分に分かっているはずです。この際、逃げた敵など放っておいて、ヒスパニアに侵攻すべきです。ヒスパニアさえ押さえてしまえば、帰るところを失った敵軍は降伏するほか道がありますまい。所詮、敵軍は傭兵の集まり、本拠地を失えば時間と共に離散しましょう」
この発言を皮切りに、将官らが次々と意見を述べた。
「エブロ河を超えたカルタゴ軍は当初、海岸都市のタラコやエンポリオンなどを攻略することで領土拡大を狙っていたんでしょうが、我がローマ軍の迅速な動きに恐れをなし、急遽中央ガリアに逃げ去ったに違いない。パドゥス河より北のガリア人との戦争で、我が軍が身動きできないとでも踏んでいたんでしょうな。この際、ヒスパニアを攻略して、二度と我がローマに立てつかないようお灸をすえてやりましょう」
「ヒスパニアのカルタゴ軍にはそもそも我がローマ軍と戦火を交えるつもりなどないのです。ヒスパニアのカルタゴ軍はたんなる陽動、アフリカからシキリア島に攻め入るのがカルタゴの真の目的です。最初から戦う気のないハンニバルを追うのはまさに敵の術中にはまるようなもの。私もヒスパニアに即刻攻め入るのに賛成です。それに、カルタゴ軍は中央ガリアを進めば必ずガリア人の攻撃を受けますので、放っておいてもいずれは壊滅するでしょうな」
「いや、この際迅速にハンニバルを討ち、カルタゴへの見せしめにするのがよろしいかと。ヒスパニアに侵攻した我が軍の背後をハンニバルに突かれるとやっかいです」
「いや待て、我が軍は二万しかいないのだぞ。カルタゴ軍がガリア人に袋叩きされた後、弱っているところを叩けば被害が少なくて良かろう」
「逃げたハンニバルに戦う意思がないのは明白です。そんな弱腰の相手など我が軍の敵ではありません」
「ハンニバルに戦う気がないのは賛成だ。奴は恐れをなして隠れたのだからな。縄張り意識が高く、好戦的なガリア人の領土に足を踏み入れたのは自殺行為といえる。それぐらい、奴は我がローマ軍を恐れたということだろう」
プブリウスは上官らのハンニバル恐れるに足らずという意見には、賛成ではなかった。ハンニバル・バルカは先の戦役でローマを苦しめたあの名将ハミルカル・バルカの息子である。傑物の子が必ずしも傑物になるわけではないが、優れた王であったマケドニアのフィリッポス二世から歴史的な大事業を成し遂げたアレクサンドロス大王が生まれたのだ。先のローマとカルタゴとの戦争で局地的とは言え、ローマを散々な目にあわせたあのハミルカルの血筋を侮るべきではないだろう。ハンニバルが凡庸ならそれでよい。非凡であると警戒するにこしたことはない。
その後も議論が交わされるが、中央ガリアに消えたカルタゴ軍を放置して、すばやくヒスパニアに侵攻するべきだという意見が優勢だった。議場に閉そく感が漂い始め、一同がコルネリウスの決断を待つ空気になった。