襲撃
紀元前二一八年十二月二十二日、トレビア川が凍りつくかと思われるほど冷え込んだ夜間、大地に吹きつけられる強風が灯火を激しく揺らし、一層の寒さを演出していた。ローマ陣営で見張り台に立つ兵士らは眠い目をこすり、寒さでガタガタと震えながら自分の吐く白い息を見ては身体を丸め、早く交代の時刻がこないかとそればかり考えながら、この辛い任務に耐えていた。
まだ夜明け前、分厚い雲に覆われた空は明け方を知らせる陽光が差し込む隙を全く見せない。いつ雨や雪が降り出しても不思議ではない雲行きも、まだ闇に身を潜めていた。
暗闇の中で何か動くものに気づいたときにはもう遅かった。見張り台に投げ込まれた数本の投げ槍によって、まず三人のローマ兵が帰らぬ人となった。異変に気づいた他の見張り台から、敵の襲撃を知らせる喇叭がけたたましく鳴らされた。静かにときを刻んでいたローマ軍宿営地が、あっという間に喧騒の渦に飲み込まれた。
ローマ陣営は敵の夜襲に不意をつかれ、兵士らは慌ただしく起床して戦の準備に追われた。だが、センプローニウスはむしろ敵の襲撃を待っていた。寝起きとは思えぬきびきびとした動作で甲冑に身を包み、参集した将官らに的確に指示を与える。襲撃してきたのが騎兵の小集団であることを知ったセンプローニウスはすぐさま騎兵を出陣させ、歩兵にも急いで支度を済ませて出陣するよう命じると、自らも勇んで陣営地を飛び出した。
カルタゴ軍襲撃の報せを受けたプブリウスは、ラエリウスと共に父の天幕に向かった。そこで、
「襲撃してきたのは一部の騎兵のようだ。この地は要塞であり、落とされる心配はないが……。お前たちは見張り台に立って戦況を見極め、私に報告せよ」
と、コルネリウスの指示を受けた。
見張り台に上ったプブリウスは薄闇の中で目を凝らした。はっきりとはわからないが、確かに何かが動いている。
闇夜に目が慣れてきたためか、夜が明けてきたためかはわからないが、視界が徐々に広がっていく。そして、騎馬同士の小競り合いの様子を視界が捉えた。が、その光景はプブリウスが全く予想していないものだった。
ティキヌス川での戦いであれほど精強だったヌミディア騎兵が、数では劣勢なローマ騎兵に押し込まれているのだ。さらに、戦闘準備を終えたローマ騎兵が次々と陣営から飛び出してくる。
ヌミディア騎兵はトレビア川を背に戦う格好で一見不利にも映るが、逆に後方からの攻撃に備える必要がなく、体勢としては悪くない。しかし、起伏の激しい丘での戦いが本来の機動力を失わせ、高い丘の上から突進するローマ騎兵の勢いに抗う術がなく、少しずつだが後退を余儀なくされているのだ。
敵の夜襲は完全に失敗したと考えたのは見張り台にいるプブリウスだけではない。実際に剣を交えるローマ騎兵も同じだった。一刻一刻と加勢で数を膨らますローマ騎兵は、ティキヌス川での借りを返せとばかりにあのヌミディア騎兵を圧倒した。
さらに、陣営地の前面にはローマ歩兵が徐々に隊列を組んでいき、ローマ軍四万の戦闘態勢が整えられつつあった。ローマ軍は指揮官だけでなく、兵士もいつでも戦う心構えをしていたのだろう。この夜襲によって混乱したのは、かけられた方ではなくむしろかけた方であるようにも見えた。それぐらいローマ軍の対応は迅速であったと言える。




