救国者伝説
海上で行き交う船が次第に増えてきた。マッシリアが近い証拠である。
櫂を握るプブリウスの胸が高鳴った。ガリアで最も大きな港町マッシリアは、中海で商業を営むグラエキア人の町である。良港として知られるこの地には、グラエキアやオリエント、アフリカなど世界各地から商船が入港してくる。様々な地域の特産品や海産物、珍品が集まり、多種多様な人々の交流の場でもあった。ローマとシュラクサイしか知らないプブリウスにとって、出征であっても心が躍らないはずがない。
マッシリアへの入港を済ませ、甲板の上から物珍しげに町並みを眺める一団の中にプブリウスはいた。町並みはシュラクサイとよく似ていたが、グラエキア文化を尊重するシュラクサイとは違い、マッシリアは交易一色の町であった。其処彼処に商売の臭いが漂っている。ローマの軍船のすぐ横で、はるか遠方の土地から運び込まれた品物の数々が、競い合うように陸に上げられているのだ。
「そんなにきょろきょろしていては、ローマ軍団の名折れだ。上陸の命令が下されるまで各自所定の場所で待機するように。ほれほれ、持ち場に戻れ」
上官の言葉に顔を赤らめた者が数人いたが、プブリウスもその一人だった。
ローマは市民からなる四千五百人程度を一個軍団として、一人の執政官が二個軍団を率いる制度を敷いている。また、そのローマ市民兵の同数から二倍ほどまでの兵数を同盟諸国が提供するため、実際に一人の執政官が率いる二個軍団の兵数は二万程になった。出征のために平時よりも増強された二万四千二百を率いてローマを出発したプブリウスの父は、ガリア人対策としてピサエに四千程の兵を配備し、残りの二万を引き連れて海を渡ってきた。
マッシリアに到着して間もなく、船内で作戦会議が開かれた。執務室に集まったのは、執政官であるプブリウスの父、十二名の将官に一名の騎兵部隊長、十二名の上位の百人隊長、三名の同盟諸国の指揮官、それにプブリウスとラエリウスであった。軍の最高司令官である執政官は言うまでもないが、将官や百人隊長に名を連ねる面々も軍務経験豊かな戦士たちである。このときも集まったほとんどが十年以上の軍務経験を有する三十歳以上であった。共に初陣で十七歳の二人の若者には座るための場所は与えられなかったが、その場にいる権利は与えられた。これは執政官であるプブリウスの父の意向によるものであった。
「プブリウスとラエリウスのどちらかはわからぬが、いずれローマの救国者となるだろう」
執政官にも当選し、人格者としても知られるプブリウスの父は、かつて元老院でそう公言した。そればかりか、プブリウスの父はそれ以前から同じ言葉を民衆にも投げかけていた。ローマ市民の多くが迷信深いこともあり、この救国者伝説は多くのローマ人に知られるようになっていった。
ある寒い冬の日、貧しい身なりの一人の老翁とも老婆ともわからぬ占い師がスキピオ家の門を叩いた。
「突然の訪問に無礼をお許し頂きたい。どうかこの家の主人にぜひお伝えしたいことがあるのです」
その老いた占い師は扉を開けた家人にしわがれた声でそう切り出して頭を垂れた。家人からそのことを聞いたプブリウスの父は不審に思いながらも、その占い師に会うことにした。スキピオ家は名門貴族であるコルネリウス一門の筆頭に挙げられていたが、階級意識の強い他の貴族とは違って平民に対して威張ったところがなく、誰にでも開かれた家として名声を得ていた。それに、私財を使った奉仕活動にも力を入れていたため、市民に対して非常に人気があった。みすぼらしい老人から面会を求められても、それを承諾する度量がこの家にはあったということだ。
占い師はスキピオ家の主人が姿を見せると相手が椅子に腰を下ろすのも待たず、
「十日後、この家に幼い命が誕生します。生まれてきた子は未来の救国者となるべく神の御加護を受けております。喜びなさい。これは神のお告げなのです」
と、神妙な顔でそれだけ伝えるとそそくさとスキピオ家を後にした。しばし呆気にとられたプブリウスの父は、この占い師をすぐに連れ戻すよう使いを出したが、方々を探すも結局見つけられなかった。
その十日後、つまり占い師が予言した日にプブリウスは誕生した。信仰あついローマ人であるプブリウスの父は、それを偶然として片づけることができなかった。何者かも知れぬ占い師がかえって神秘的にも映り、プブリウスは誕生と同時に神の子供として崇められることになったのだ。
だが、この逸話はそれだけでは終わらなかった。プブリウスが生まれた一室とはまた別のスキピオ家の一室で、なんと同時刻に家人の一人が男子を出産していたのだ。その男子こそがプブリウスの親友ガイウス・ラエリウスであった。
将来の執政官がほぼ約束されている名門スキピオ家の御曹司と、リグリア人の解放奴隷の出身で貧しい平民から生まれた子供とでは比べようもない。スキピオ家ではラエリウスの両親でさえも救国者はプブリウスの方であると断言した。しかし、プブリウスの父は、
「救国者がどちらなのか、または両者が救国者となるのか。未来しか知りえぬ」
として、ラエリウスの教育に援助してプブリウスとの間にできるだけ環境の差が生まれないように配慮した。このことで、ラエリウスはプブリウスと同じ教師のもとで学び、貧しい平民では習うことのできない乗馬や指揮官としての戦術論などの指導を受けることになる。ラエリウスはスキピオ家の援助で、シュラクサイへの留学も果たしている。そうしたスキピオ家からの無償の援助にラエリウスの両親は、
「ラエリウス、あなたはスキピオ家からの大恩にいつか報いなければならない。あなたが受けている施しは、決して小さくはない」
と、幼少の頃からことあるごとにラエリウスにそう言い聞かせた。ラエリウスの方でも、
「プブリウス様から決して離れず、いかなるときも守りとおす」
と、物心ついた頃にはそう考えるようになっていた。ラエリウスは未来の救国者が自分ではなく、プブリウス・コルネリウス・スキピオであることを疑いもしなかった。