情報
商人の生命線は情報なのかもしれない。プブリウスは戦略論や戦術論を学ぶ中で、情報の重要性を強く意識していた。ただ、机上ではその情報の集め方を教えてくれなかった。商人ほど情報の集め方に長けた人たちはいないのではないだろうか。そう考えたプブリウスはまた一つピュテアスから学ぶことが増えたと思った。と同時に、彼の脳裏にはまた別の考えが浮かび上がってきた。
「ピュテアス、ローマ軍が軍需物資をマッシリア政府から購入することは、多分変わらないと思う。そこに一商人が入り込む余地はないだろう。だから、別の商品をローマ軍に売るべきだ」
プブリウスのこの言葉にピュテアスは怪訝そうな顔で、
「やはり軍需物資は難しいですか……。でも、私には他に売れそうなものはないですがね」
と、首を捻る。
「情報だよ。あなたは情報をローマ軍に売るべきだ。そうすればローマ軍は高い報酬を出すと思う」
ラエリウスが手を打って、
「なるほど、確かにそうかもしれませんね。ピュテアスならガリア人やイベリア人との交流もあり、我々よりもはるかに情報を集めやすい。カルタゴ軍の動向や目的などの貴重な情報を掴むことができれば、確かにローマ軍は多額の報酬を約束するはずです」
興奮を隠しきれないといった様子である。だが、ピュテアスは眉間に深い皺を寄せて少し考え込み、
「いや、今から情報を集めるのでは後手を踏むことになりますので、少し難しいかもしれません」
と、奥歯に物が詰った言い方をした。
「ラエリウスもピュテアスも少し勘違いをしているよ。私が言っているのは、今のことではなく、これからのことだよ。情報を商売にすれば、ピュテアスは儲かるのではないかと言っているんだ」
二人はしばし呆気にとられていたが、次第にプブリウスの考えていることを飲み込み始めたようで、
「それは、また話しが違ってきそうですが……」
と、ラエリウスが苦い顔をすれば、
「どうでしょうか……。情報を集めることは問題ないですが、それが将来必要とされる情報かどうかの判断が少々難しいかもしれませんね。多額のお金で情報を集めたはいいが、それを誰も買ってくれないなら大損になってしまいますからな」
と、ピュテアスも否定的な感想を述べた。
「だからこそですよ。必ず儲かるというなら、皆がします。競争相手が多ければ多いほど儲けが少なくなると教えてくれたのはピュテアスではないですか。もし、あなたが情報を商売にすればその市場を独占することができます。私は何もローマ軍だけに情報を売るとは言っていませんよ。カルタゴ軍やガリア人にだってローマ軍の情報を売ればよいのですよ。情報を集めたら、それを欲しているところに持っていけばいいんですから」
「いえいえ、商売は売買する品よりももっと大切なものを売買しています。それは、信用です。私たちは品物よりも信用を売買していると言っても過言でありません。ローマ軍に情報を提供し、その一方でカルタゴにも情報を漏らしていたとなれば、ローマ軍はいったい何と思うでしょうか。カルタゴ軍にしても自軍の情報を盗みにきたとなるでしょう」
「そうだろうか。その情報が必要なら、自分の情報を渡してでも得たいと思うのではないでしょうか。それに、隠したい情報は隠せばよいのですから。隠してほしいと言われた情報をあなたが隠せば、それがまた信用になるのではないでしょうか」
ピュテアスは反論せずに考え込んでしまった。彼の頭の中では情報が商売になるのかどうかの計算がされているのだろう。プブリウスは情報が商売になると本気で考えていたが、ピュテアスにそのことを勧める理由が実はもう一つあった。ピュテアスと別れて軍船に戻る途中に、プブリウスはラエリウスにそのことを打ち明けた。
「争いが起こるのは、相手のことがわかっていないからだと思う。互いのことをよく知り抜くことができれば、争いを未然に防げるのではないだろうか。ラエリウス、カルタゴはローマと戦端を再び開いたけど、それは無知が原因なんじゃないかと思うんだ。強国ローマに今のカルタゴが勝てるわけがない。それがわかっていないから戦争を始めた。ガリアもカルタゴも、もっとローマのことを知ってくれれば、無謀な戦いを挑まずに済むと思うんだ。もちろん、ローマもガリアやカルタゴのことをもっと深く知ることができれば、彼らとの争いを回避することができるはずだ。お互いに無知だから争いが起こる。情報が発達して、いつの日か戦争がなくなればとよいと考えるのは、ローマ人として間違っているだろうか」
ローマ人はこれまで、戦争によって多くの利益を獲得してきた。戦争による戦利品がローマを強国にし、戦争に勝利することでローマ人は自信と権利を獲得してきたのである。そうした歴史から、戦争がなくなればよいという思考にたどり着くローマ人は皆無だろう。
「ローマ人としては間違っているかもしれませんが、私はプブリウス様のお考えは人としては正しいと思います。ただ、万人受けする考え方ではないので、大きな声では言わないほうがよいと思いますが」
友人の賛同を得られただけで、プブリウスは満足だった。世の中に何の影響力も持たない自分が、所詮は何を考えても意味がないとも思った。だが、プブリウスはその考えをすぐに覆して、
「理屈ではない。理想を持つことは自分が生きている証であり、理想を実現するために努力することが人の幸せに繋がるのだろう」
という自分の心の声を聞いた。戦争をなくすため、何かできることがしたかった。