アスチルベの花言葉は「恋の訪れ」(1/1)
「あっ……」
円塔の出口でオリーに出くわした。彼は私の背後に伸びる階段に、閉じた目を向ける。
「円塔の最上階に入ったの?」
「……うん」
オリーにやめてくれと言われていた手前、少し気まずかったけど正直に認めることにした。
「別に、普通の部屋だったでしょう?」
オリーがふいと顔を逸らす。
「特別なものなんて何にもない、面白くもない場所。だから入らないでって言ったんだよ。行ってもめぼしいものなんかないから」
「……私ね、幽霊に会ったよ」
本当はお母様が亡くなった場所だから入って欲しくなかったんでしょう?
そんな風に指摘するのは躊躇われたから、話題を変えた。
「その幽霊も、私に協力してくれるんだって」
「……幽霊?」
オリーはポカンとした。
「そんなのいないよ」
「いるんだよ」
私は軽く笑う。
「オリーには無理みたいだけど、私には声が聞こえたの。パーシモンっていう男の人。ずっと昔からこのお城に住んでたんだって。何か心当たりある? 向こうはオリーのこと、知ってるみたいだったよ」
「いや、全然」
オリーは首を捻った。パーシモンを見つけようとするかのように、辺りをきょろきょろと見回す。
「そんな同居人がいたなんて初耳だよ。……君はすごいね、コンスタンツェ。幽霊まで仲間にしちゃうなんて。どんな手を使ったの?」
「私は何にもしてないよ。向こうの方から協力したいって言ってきたの。メアリアナ城を昔みたいしたいんだって」
「お嬢様、これを見てください」
花瓶を手にした侍女のベラが声をかけてきた。
「このお花、お屋敷のお庭から持ってきたんですよ」
「へえ、アスチルベか。コンスタンツェの実家には外国の花も咲いてるんだね」
オリーは花瓶の中から花を一本取り出す。
アスチルベは長い花茎にふんわりとした小さな花をいくつも咲かせる植物だ。ちょっと地味にも思える見た目だけれど、花の色は可愛らしいピンクで、あまり日の当たらない場所でも元気に育つ逞しい一面も持っている。
「これ、お嬢様のお部屋にどうでしょう。掃除は終わってもまだ家具も揃っていませんから、何だか物足りない雰囲気ですもの。お花でも飾っておけば、少しは華やかになるかなと思いまして」
「わあ! ありがとう!」
温かな心遣いに感謝して、私はベラから花瓶を受け取った。彼女は「では、私はこれにて……」と立ち去ろうとする。
「こりゃ! このバカ孫娘が!」
途端に、廊下を疾走してきたばあやの怒声が飛んだ。ベラは「げっ、おばば」と顔をしかめる。
「仕事をサボろうたってそうはいかないよ! どうせまた、街で男あさりでもする気だろう!?」
「人聞きの悪いこと言わないで! ただの食事会よ! 恋人募集中の男女が集まって、いい人を探すの! あっ、お嬢様も行きません? それで、私たちだけの王子様を見つけるんです!」
「え、ええと……」
「ダメダメ」
私が戸惑っていると、オリーが会話に割って入ってきた。
「コンスタンツェはそんなところへは行かないよ。変な虫がついたらどうするんだ」
「全くその通り! お前はお嬢様を何だと思ってるんだい!」
私の周りにいる人は大抵は過保護気味だけど、オリーもその仲間に入りかけているらしい。二人ともぶうぶうと文句を言う。
総攻撃を食らったベラは「分かりましたよぅ」とむくれた。
「お食事会へは私一人で行きます。今ところ、ゼロ勝十五敗って感じの戦績ですけど、今回こそは運命の人と出会ってみせますから!」
「だからサボるなと……」
「まあまあ」
私の勧誘を諦めてくれてほっとしたのか、オリーは手に持っていたアスチルベの花に向かって詠唱する。
「【花のご加護を】」
そして、その花をベラに返した。
「あっ、もしかして噂に聞く魔法ですか?」
ベラは目を輝かせる。
「確か、オリーさんは花言葉を現実にできるんですよね? アスチルベの花言葉は何です? 『素敵な男性に巡り会ってきゃっきゃうふふふハッピーエンド!』とか?」
「……『恋の訪れ』だったと思うよ」
そんな妙ちきりんな花言葉、あるわけがないと思いながら私が返す。
「他には『控えめ』とか『気まま』とか。でも、この状況には相応しくないし……」
「コンスタンツェの推測通りだよ。花言葉が複数あっても、僕が一度に叶えられるのは、その内の一つだけだからね」
「つまり、このお花が素敵な出会いをもたらしてくれるというわけですね!」
ベラは興奮状態になって、アスチルベをエプロンドレスのポケットに突っ込んだ。
「こうしちゃいられない! 早くお食事会に行かないと……!」
スキップしながら、ベラは廊下を走り去っていく。ばあやが「こりゃあ!」と追いかけようとした。
その時だった。ベラは曲がり角の向こうからやって来た人と盛大にぶつかってしまう。「きゃあ!」と悲鳴を上げて、彼女は床に尻もちをついた。
「ごめんなさい!」
曲がり角の向こうからやって来たのは、パンをくわえた青年だった。
「歩きながら昼飯食べてたせいで、よく前を見てなくて……」
青年がベラを見てハッとしたような顔になった。ベラの方も、彼を魅入られたような目で眺めている。
「俺……中央商会から来ました……。お屋敷へ行ったら、こっちの人たちにも何かいるものがないか聞いてきて欲しい、って言われて……」
「まあ……御用聞きの方だったんですね……。でも、初めて見るお顔です……」
「今日から働き始めたばかりなんです……。初仕事がメアリアナ城に行くことだなんてツイていないと思っていました……。でも、俺は幸運でしたよ……。こんな美しい人とお知り合いになれたんですから……」
お互いに熱心に見つめ合い、完全に二人だけの世界って感じだ。ばあやですら邪魔をするのは躊躇われたらしく、いそいそとどこかへ行ってしまう。
私とオリーも彼女に倣って、足音を消しながらその場を後にした。
「オリーの魔法、やっぱり効果絶大だね。こんなに早くカップル成立させちゃうんだもん」
「うーん……。僕は機会を提供しただけだから、ああなるとまでは予想してなかったけど……」
「でも、二人ともとっても幸せそう」
振り返ると、彼らは熱烈にキスを交わしているところだった。
ちょ、ちょっと! 急展開すぎるよ!
慌てて視線を逸らす。
「……これ、使えないかな?」
恥ずかしさを誤魔化すように首を左右に振っていると、不意にあるアイデアが降ってきた。
「オリーの魔法で皆を幸せにするんだよ! お庭にたくさん花を植えて、街の人たちに庭園を開放して……来てくれた人には、オリーの魔法をかけたお花をプレゼントするの! そうすれば皆オリーの力が分かって、きっと街中の人がこのお城を訪問したがるようになるよ!」
――ここは昔、賑やかで楽しい、楽園みたいな場所だったんだ。
パーシモンがそう言っていた。廃城となる前のメアリアナ城を……かつての姿を私は想像する。
庭園は季節の花で彩られ、その美しい風景を眺めながら皆でお喋りしたりお茶を飲んだり……。
それって、とっても素敵じゃない?
「ここが楽しい場所だって分かったら、もう誰もメアリアナ城を呪われてるとか言わなくなるよ! モーリス殿下もきっと悔しがるに違いないよね!」
私は元婚約者が愕然とした顔をしているところを想像し、ちょっとにんまりした。
「君は……面白いことを考えるね」
オリーは驚いているようだった。
「メアリアナ城を人間でいっぱいの場所に、か……。うん、分かった。試してみよう。ただ、それには準備が必要だね。……コンスタンツェの実家にはイエローアイリスって咲いてる?」
「うん、あったよ」
私は頷く。
「また魔法をかけるの? えっと……イエローアイリスの花言葉は……『幸せをつかむ』!」
「残念。今回は『音信』の方を使うよ」
訂正を入れつつも、オリーは感心したような顔だ。
「君は花言葉に詳しいんだね」
「お母様がお花が好きだったから、実家の書庫には植物に関する本がたくさんあるんだ。そこで覚えただけだよ」
私は照れ笑いを浮かべる。花言葉なんか覚えててもあんまり役に立つ場面なんかないかなと思っていたけど、教養ってどこで使うか分からないものだ。
「植物って、植えてもきちんと育つまで時間はかかるけど、気長にやろうね、オリー。まずは種まきから始めよう!」
「そのことなら気にしなくていいよ」
オリーは楽しそうに笑った。
「ここは不可能を可能にする場所なんだから。すぐに緑に囲まれた庭が見られるようになるよ」