手がかりを求め、夢の世界へ(3/3)
気が付いた時には、私は長い階段を駆け上っていた。
でも、変な感覚。手足のコントロールが利かなくて、自分が自分じゃないみたい。まるで誰かの体に無理に憑依しているようだ。
……そうだ。この感じ、前にも一度味わったっけ。
あれは、オリーの目を通して昔を見た時のことだった。つまり、今回もあの時と同じことが起きているんだ。
「母さん!」
私の口から出たのは、オリーの声だった。やっぱり私はオリーの体にお邪魔する形で、彼と記憶を……夢を共有しているんだ。
「母さん! 待って!」
オリーが登っていたのは、円塔の階段だった。視線の先にいるのはパーシモンだ。
でも、いつもの彼女とは違う。後ろ姿しか見えないけど、着ているのは軍服じゃなくて白いドレスだ。婚礼衣装みたいに見えるけど……。頭にはベールも被っている。
「母さん、待って! 話し合おうよ!」
オリーが母親の背中に呼びかける。
「さっき持って行った僕の目……フェアリー・アイは危険なんだよ! それを使い続けると、死んじゃうんだ!」
「こうするしかない! こうするしかないんだ!」
パーシモンはヒステリックな声を上げた。
「もう嫌だ! もう全部! ボクは何もかもなくしてしまったんだよ!」
パーシモンは最上階のドアを開き、室内に転がり込んだ。ガチャリ、と中からカギがかけられる音がする。
「母さん、母さん!」
オリーはドアを乱暴にノックした。
「母さん、開けてよ! 母さんのためなら、目なんて二つともあげるよ! でも、フェアリー・アイは普通の宝石じゃないんだ!」
答えは返ってこなかった。ただ、パーシモンの狂ったような甲高い笑い声が聞こえてくるだけだ。
「母さん! 母さんはまだ全部失ったわけじゃない! だってまだ……」
「まだ、何だって言うんだ!」
パーシモンは怒ったように返す。
「ボクにはもう希望なんてない! 何にもないんだよ!」
ドサリ、という重たい物が床に落ちる音。それきり室内からは何の音もしなくなってしまった。
「母さん……?」
オリーの声は震えていた。
「ねえ、どうしたの? 何か言ってよ」
パーシモンは何も返さない。オリーは踵を返し、階段を駆け下りた。
外に出ると、羽を顕現させ、空を舞う。向かった先は円塔の最上階の部屋だった。
窓の外から様子をうかがったオリーは悲鳴を上げた。室内にパーシモンが倒れている。傍らには輝く赤紫の石……フェアリー・アイが一つ落ちていた。
「母さん!」
オリーは窓を叩いたけれど、パーシモンはピクリとも動かない。その瞬間、オリーは察したようだ。彼の母親は、すでに事切れていると……。
オリーの体から急速に引き離される感覚がして、私は目を覚ました。跳ね起きると、自室のベッドの上にいる。
「姉ちゃん! 意識が戻ったんだな!」
ベッドの横の椅子に、クインが腰掛けていた。私の顔を見て、はあ、と大きく息を吐き出す。
「ちょっとばかり力加減を間違ったかもしれねえ、って心配してたんだぜ? 何ともないか?」
「うん……」
不思議と痛みなどは感じなかった。ただ、頭が少しぼんやりしている。
やっぱりオリーは、パーシモンがフェアリー・アイを奪ったところを夢に見ていたんだ。
ただ、夢に入り込んだのは強奪後のことだったから、奪われた瞬間の詳細までは分からない。
でも、断片的な情報から推測するに、パーシモンは何かに絶望していて、その状況をどうにかしたくてオリーのフェアリー・アイを盗ったんだろう。
その後、パーシモンは逃亡。オリーは彼女の後を追いかけたけど、もう手遅れだった。パーシモンは死んでしまっていたんだ。
……でも、何で?
「ねえ、クイン。パーシモン……メアリアナ王女の死因って知ってる?」
「死因? 原因不明の病気とかだったと思うぜ」
クインは私がいきなりこんなことを言い出して、ちょっと面食らっているようだった。
「まあ、おかしいっちゃおかしいけどな。メアリアナって体は丈夫だったからなあ。雨や雪の日に外で走り回っても、風邪一つ引かなかったんだぜ?」
体は丈夫なのに病死。しかも、「原因不明」ってことは何の病気か分からなかったということだろう。どうも怪しい。
それに、フェアリー・アイに関する謎もある。
オリーの両目はパーシモンが持って行った。あの夢は、恐らく強奪直後のものだろう。
だったらパーシモンは、フェアリー・アイを二つとも持って自室に閉じこもったことになる。事実、片方のフェアリー・アイは床に転がっていた。
あのフェアリー・アイは、あの後どうにかして室内に入ったオリーが回収したんだろう。そして、大事に保管しておいた。それから八十年ほどが経ち、メアリアナ城に盗人が現われるまでは。
でも、もう一方のフェアリー・アイはどこにいったの?
あそこは円塔の最上階の部屋だ。入り口は一つだけ。後は窓と、バルコニーから屋上に出る階段があるのみだ。
考えられる可能性は三つ。
一つは、パーシモンが部屋、もしくは屋上のどこかに隠した。
二つ目は、彼女がまだ持っていた。
最後は、窓の外に捨ててしまった。
一番ありそうなのはどれだろう?
「スズランの姉ちゃん、大丈夫か? 随分と難しい顔してるぜ?」
私が推理に没頭していると、クインが心配そうに話しかけてくる。
「具合悪いんなら、医者を呼んでくるが……」
「ううん、平気」
お腹がぐぅと鳴る。時計を見ると、もう朝になっていた。
「クイン……もしかして寝ないで私を看ててくれたの?」
「まあ、あのままくたばっちまったら、後味悪いしな」
「……ごめんね、無茶なお願いしちゃって」
私はベッドから降りた。
「でも、お陰で色んなことが分かったよ。もしかしたらオリーのフェアリー・アイを見つけられる日も、そう遠くはないかもしれない」
「それならよかった」
クインが深々と頷く。
「じゃあ、俺は先に朝飯食ってくるぜ。スズランの姉ちゃんも早く来いよな」
「分かった」
クインが退出していった。着替えを済ませた私も、食堂に向かう。
テーブルには先客がいたから、「おはよう、オリー」と挨拶をした。
「おはよう、コンスタンツェ」
オリーはどこか元気がない。重苦しい動作で、パンにバターを塗っている。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと変な夢見ちゃっただけ」
「ああ、パーシモンの?」
何も考えずにそう口走ると、オリーが口を半開きにした。しまったと思い、私は冷や汗をかく。
……こうなったら、正直に本当のことを話す方がいいか。
「あのね、オリーの夢、覗き見しちゃったの」
私はオリーに、ニゲラの花を使ったこと、そして、そこで見た夢の内容を全て語って聞かせた。話が進むにつれ、左目に黒い眼帯を宛がったオリーは、どんどん複雑な表情になっていく。
「オリーの右目は、あの後すぐに取り戻せたんでしょう?」
申し訳ないと思いつつも、暴露してしまったからにはもう後戻りはできない。こうなったらもっと情報を取ろうと開き直ることにした。
「それで、もう一つのフェアリー・アイの在処なんだけど……私ね、あの部屋のどこかにあるか、パーシモンがまだ持っていたか、外に捨てちゃったかの三択だと思うの」
「まあ、論理的かつ妥当な推測だよね」
オリーは頷いた。彼も開き直ってしまったんだろう。もう私に何かを隠しても無駄だ、って。
「でも、どれもあり得ないよ。後で僕はあの部屋や屋上を探したけど、フェアリー・アイはなかった。それに、母さんもそんなものは持っていなかったよ。あの後、僕は王城へ行って母さんのことを話したんだ。そしたら医師が派遣されてきて、遺体をあちこち触って死因を調べ始めたんだよ。もし母さんがフェアリー・アイを持ってたなら、その医師が気付いてるはずだ」
「気付いたけど、黙ってた、って可能性は?」
私はひねくれた見方をする。
「たとえフェアリー・アイの力を知らなくても、あれはすごく綺麗な宝石なんだもの。失敬したくなってもおかしくないと思うな」
「それは無理だよ。だって検死の間、僕はずっとその医師の傍にいたんだから。不正があったらすぐに気付いたよ」
オリーはちょっと顔をしかめる。
「でも、もし母さんがフェアリー・アイを持ってたとしたら、あの医師なら盗みかねないかもね。だって、『現状、死因については何とも言えませんな。解剖する方がよいかもしれません』なんて恐ろしいことを言うんだよ? 僕が猛反対したから、実現はしなかったけど。母さんの遺体を切り刻むなんて! 死者は安らかに眠らせてあげるべきだよ!」
どうやらパーシモンの死因が「原因不明の病」という歯切れの悪い結論になったのは、オリーに原因があるらしい。
別に医師は遺体をオモチャにしようとしたわけじゃないんだろうけど、母親の体にメスを入れられるのは、彼には耐えられなかったみたいだ。
これも妖精独特の価値観なのかな。妖精は自然を愛するから、死者は死者のまま、亡くなった時の状態で葬ってあげたかったのかもしれない。
「じゃあ、最後の可能性の『窓から捨てた』は、どうしてあり得ないと思うの?」
「僕がフェアリー・アイを探すために、この城中を引っかき回したからだよ」
オリーが肩を竦めた。
「こんなところにあるわけないじゃないか、っていうところも全部見た。当然、円塔周辺の庭も探したよ。土まで掘り返してね」
「でも、どこにもなかった」
「その通り」
オリーは首を縦に振る。私は唸った。
パーシモンの不審死に、消えたフェアリー・アイ。謎が謎を呼ぶ展開だ。
「あっ……」
不意に、あることを思い出した。
「パーシモンのお墓って、庭園の木立の中にあるんだよね? 遺言でそこに埋葬されたんでしょう? でも、それって変だよ。普通、健康で若い女性は遺言なんて残さないんじゃない? つまり、パーシモンは自分の死を予感していたんじゃないかな?」
「遺言? 誰がそんなこと言ったの? あれはそんなに大げさなものじゃないよ。ただ、いつだったか雑談していた時に母さんが、『もしボクが死んだら、あの木立に埋めてくれ』って言ったんだよ。会話の流れ上の、ほとんど冗談みたいなノリでね」
「……そうなの」
ジョークなら、パーシモンが自分の死を身近に感じていたわけじゃなさそうだ。やっぱり、彼女の死因は「不明」のままか。
「とにかく、僕は城中フェアリー・アイを探したんだよ」
食事を終えたオリーが席を立つ。
「でも、どこにもなかったんだ」
「だけど、フェアリー・アイはメアリアナ城のどこかにあるっていうのは、論理的かつ妥当な推測なんでしょう?」
「その通りだよ」
矛盾を残して、オリーは去っていく。私は運ばれてきた朝食を食べながら、頭をフル回転させた。
どうも何かが引っかかる。何かを見落としている気がする。
オリーは城中探したと主張していた。一方で、パーシモンの部屋や木立には入らないで欲しいと言っていたことも事実だ。お母様の死を連想させるところだから、って。
他人に入って欲しくないくらいなんだから、自分でもあまり足を踏み入れたくなかったに違いない。
だったら、探し漏れた場所があっても不思議じゃないんじゃないかな?
……よし、まずはパーシモンの部屋から捜索してみよう!
私は手早く朝食を片付けると、椅子を引いた。
その瞬間、雷電のような閃きが脳裏を走り抜ける。
――死者は安らかに眠らせてあげるべきだよ!
オリーが絶対に探さなかった場所。そして、誰にも探らせなかったところ。
それがどこなのか分かった気がした。
だとするなら、やっぱりオリーのフェアリー・アイはこのメアリアナ城にあることになる。
「誰か! 誰か来て!」
私が大声を出すと、「どうなさいました、お嬢様!」とばあやがすっ飛んできた。
「シャベルを用意して欲しいの!」
「シャベル? 庭いじりでもなさるのですか?」
「違うよ! 宝石探し!」
私は首を左右に激しく振った。
「とにかく、急いで持ってきて!」
「承知いたしました!」
何が何だか分からなさそうな顔をしつつも、ばあやは部屋を飛び出して行く。
私は大きく息を吐き出した。
まだ確証があるわけじゃない。
でも、もうすぐ全部終わる。あるべきものが、あるべきところへ収まる。
そんな予感がしていた。