聖母と悪女と騎士(3/4)
四季の庭を繋ぐ広場へ行くと、噴水の周りに並べられたテーブルから、お客さんたちの歓談の声が聞こえてくる。
以前は建物の中の食堂でしか飲食物を出していなかったけど、最近では庭でも軽食を振る舞っているのだ。
「うへぇ。何、このお茶!?」
近くのテーブルにいたお客さんが顔を皺くちゃにしながら、音を立ててティーカップをソーサーの上に置いた。
「匂いも味も独特過ぎない!?」
「それはドクダミっていう植物で作ったハーブティーです」
私は苦笑いしながら説明する。
「とっても栄養があるんですよ。お肌を綺麗にしてくれるんです」
「そうなの……? でも、まるでお薬を飲んでるみたいだわ!」
と言いつつも、美肌効果は見過ごせなかったのか、お客さんは息を止めてカップの中身を一息に飲み干してしまった。
うーん……。このお茶、もっと美味しく飲んでもらえる方法を考える方がいいかも。だって、どうせなら楽しく栄養を取って欲しいし……。
そんなことを考えながら、私は庭園をブラブラと歩き回る。でも、何かが頭の片隅に引っかかっていた。
その疑問が解消されたのは、夏の庭へ入った時だった。
日陰にあるドクダミの花壇の前を通りかかる。慎ましやかに咲く白い花を見ながら、先ほどのお客さんとの会話を思い出していた。あのハーブティーは、ここのドクダミで作ったものだったんだ。
物思いにふけりながら、ドクダミの花壇に設置されている花言葉を書いたプレートに何気なく目を遣る。
『ドクダミ:白い記憶、野生』
その文言を流し読みした私は、花壇に背を向けて立ち去ろうとした。
でも、三歩も歩かない内に飛び上がる。
ドクダミの花言葉は「白い記憶」。
白い記憶!
白い記憶だ!
私は花壇に突進すると、ドクダミの花を一つ摘んだ。興奮ですっかり息が上がってしまっている。
「オリー! どこ、オリー!?」
大声を上げながら、庭園中を走り回った。そんな私に、「コンスタンツェさん!」と声をかけてくる人がいる。
「オリー!?」
息を弾ませながら振り返ったけど、そこにいたのはオリーじゃなくて女性のお客さんだった。
でも、別人だったからってそそくさとこの場を立ち去る気にはなれない。だってこの女の人、ひどく青ざめた顔をしていたから。
「どうかしましたか?」
「息子の姿が見当たらないんです」
女性は頬に手を当てながら言った。
「ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって……! どうか一緒に探してくれませんか?」
縋り付くような目で尋ねられたら、嫌なんて言えなかった。私は女性から息子さんの特徴を聞き出し、使用人にも話をしておくと言って、迷子捜しを始める。
だけど、メアリアナ城は結構広いのだ。人手を集めても、捜索には時間がかかってしまうかもしれない。
「いっそのこと、空から探そうかな……」
お母様が息子さんを最後に見たという、秋の庭の東屋から出る。ここも手がかりなしだった。
オリーには飛んじゃダメって言われてるけど、迷子くんは今頃不安で泣いてるかもしれないもの。そんな子を放っておくなんてできなかった。
「……あっ」
ふと、気付く。迷子くんは不安を覚えてるかもしれない。そう、「不安」という「気持ち」を抱いているかもしれないんだ。
「……物は試しだよね」
私は大きく息を吸い込んで集中力を高める。
「【色に出でよ】」
すると、東屋のベンチの上に光り輝くオーラが出現した。色は黄色。意外なことに、喜びを現わす色彩だった。
黄色のオーラは人の形を取る。小さな男の子だ。お母様から話を聞いていたから、私はそれが問題の迷子くんだとすぐに分かった。
迷子くんのオーラはベンチから降りると、いきなり走り出した。目線の向きや手を前に伸ばしている仕草から推測するに、きっと珍しい虫か何かを見つけて追いかけたくなったんだろう。
私も迷子くんのオーラを追跡する。彼は秋の庭を出て、広場を通り抜け、そのまま真っ直ぐに進んでいった。
「もしかしてこの子がいるのって……」
私の予感は当たった。迷子くんのオーラは、庭園の奥にある木立の中に入っていったんだ。
ここは、以前オリーが「入らないで」と言っていた場所だった。
でも、それは木立が危険なところだからじゃなくて、ここにオリーのお母様……メアリアナ王女のお墓があるからだ。オリーはお母様の死を連想させるこの場所に、いい感情を抱いていないんだ。
そんな背景があったから、お城の住民は誰もあえてここに来ようとはしなかったけど、だからといって別に立ち入り禁止としているわけでもなかった。
侵入できないようにする柵なんかも設置されていないので、何も知らないお客さんがうっかり入ってしまうこともあるだろう。
迷子くんのオーラは、木々の間を通り抜けながら、どんどん奥へ分け入っていく。
木立には初めて入ったけど、ここにもクインの【繚乱の夢】の影響が及んでいるようだ。本来なら現在の季節には姿を見ることのできない色々な植物が生えている。
樹木の種類も豊富だった。できることなら立ち止まってじっくりと観察したり木の実を採集したりしたいところだけど、残念ながら今は手が離せない。周囲のお宝の山の脇をすり抜け、ひたすらに迷子くんのオーラを追いかけた。
オーラが手近な茂みに飛び込む。私も後を追った。その途端、何かにつまずいて転んでしまう。
「痛い!」
甲高い声が聞こえてきて、私は打ったところをさすりながら振り向いた。そこにいたのは、幼い男の子だった。体にオーラをまとわりつかせた生身の迷子くんだ。ただし、今度のオーラは驚きを表す緑色になっている。
どうやら迷子くんは茂みの傍に身を屈めていて、私はそれに気付かず彼に脚を引っかけてしまったらしい。迷子くんは自分のお尻の辺りを眉をひそめながら見ていた。
「ごめんね、大丈夫だった?」
「うん、平気だけど……ああ! 逃げちゃってる!」
迷子くんは手のひらを見つめ、愕然とした顔になった。
「やっと捕まえたのにぃ! でっかくて羽が生えてて、足もいっぱいある気持ち悪い虫!」
「そ、そう……。残念だったね。ええと……ごめんなさい」
正直に言えば、そんな虫とご対面しなくてほっとしていたけれど。でも、残念がる迷子くんには悪いことをしてしまったので、ここは謝っておくことにしよう。
「さあ、もう帰ろう? お母様が心配してたよ?」
「え、ママ?」
言われて初めて、迷子くんは自分が見知らぬ場所にいると気付いたらしい。辺りを見回し、急に心細そうな顔になる。彼のオーラも、不安を示す灰色に変わっていた。私は少年を励まそうと、その小さな肩に手を置く。
「大丈夫! 私がお母様のところまで送り届けてあげるよ! ……あっ、そうだ。これ、使ってみる?」
私はペンダントの小瓶に入ったスズランの香水を軽く振る。迷子くんは「何、それ?」と首を傾げた。
「私のお守り! これさえあれば、不安なんかあっという間に解消されるよ!」
私は迷子くんに向けて香水をプシュッと振りかける。彼はきょとんとした顔になった。
「……僕、何か変わったの?」
「もちろんだよ! 感じない? 希望が体の奥から湧き上がってくるのが……」
「……あんまり」
迷子くんは困惑した表情だ。事実、彼のオーラも灰色のままだった。
……おかしいなあ。これはオリーの【花のご加護を】が付与された魔法の香水なのに。私にはいつもバッチリ効くんだけど、どうしてこの子に対しては効果がないんだろう?
「お姉ちゃん、早くここから出ようよ。ママのところへ帰りたいよ」
迷子くんはそう言って、フラフラと歩き出す。私は我に返り、「待って!」と彼の背中を追った。
「勝手に歩いたらダメだよ。また迷っちゃったら……」
不意に開けた空間に出て、私は言葉を切る。そこだけ故意に木が伐採され、円形の広場のようになっていた。
「あれ、何かな?」
迷子くんが広場の中心を指差す。盛り上がった地面に、棒状の何かが刺さっていた。
「……剣?」
何故か言い知れぬ緊張感を覚える。問題の物体の傍まで、そっと近寄ってみた。
思った通り、それは刀剣だった。サヤから抜き取られ、切っ先が地面に突き刺さっている。細身で軽そうな造りだ。
……これ、どこかで見たことがある気がする。
刀身は日の光を浴びて鈍く輝いていたけれど、サビだらけで切れ味は悪そうだった。武具については全然知識がなかったものの、長年ここに放置されていた古い品であることは素人目にも判断がついた。
しばらく剣を前にたたずんでいた私だったけど、突然に閃く。
「パーシモン!」
そうだ! これはパーシモンが持っていた剣と同じだ!
「コンスタンツェ?」
何の前触れもなく木々の間からオリーが現われて、心臓が止まりそうになった。彼は迷子くんのお母様を引き連れている。母親の顔を見た瞬間に、迷子くんは「ママ!」とはしゃいだ声を出し、オーラも喜びの色に変わった。
再会を喜ぶ親子を見て和んだ気持ちになりつつも、オリーに質問した。
「どうしてここが分かったの?」
「君が木立の方に走っていく姿を見たって人がいたから、もしかして何か手がかりでも掴んだのかなと思って。……そんなことより、早くここから出よう」
オリーは固い表情で言った。剣が刺さっている場所からは、何故か必死で目をそらそうとしているような印象を受ける。
「う、うん……」
私としてはあの剣のことを質問したかったんだけど、オリーの暗い表情を見て後にした方がよさそうだと思い直す。
迷子くん親子と一緒に、私たちはその場を離れた。
「本当に本当にありがとうございました!」
「お姉ちゃん、また遊ぼうね!」
ペコペコ頭を下げるお母様や、嬉しそうに手を振る迷子くんと木立の出口で別れる。これで迷子騒動は一件落着だ。




