聖母と悪女と騎士(2/4)
「オリーは……フェアリー・アイをメアリアナ王女にあげたって言っていました。でも、真実は違うんでしょうか? 王女がオリーから無理やり奪い取ったとか……」
だけど、そうだとしてもどう確かめればいいんだろう? まさかオリーに、「あなたのお母様って、すごい悪女だったらしいね!」なんて言うわけにはいかないし……。
「メアリアナ王女は百年前の人だ。その真の姿を知るのは、難しいだろう」
トリスタン様が複雑な顔になる。
「だが、これだけは言える。王女はどこか普通じゃないところがあった。そうじゃなかったら、王城を出て一人きりで離宮になんて住むわけがない。彼女には人目を避けるだけの理由が……」
「そんなものはないよ」
廊下から声がして、私もトリスタン様もぎょっとなってしまう。いつの間にか客間の扉が薄く開いていた。私がドアを大きく開け放つと、オリーの姿が目に飛び込んでくる。
「母さんは普通の人だったよ。おかしいところなんてどこにもない。それに、ここに一人で住んでいたわけでもなかった。僕が一緒だったんだ。もちろん、他の妖精たちもね」
オリーは踵を返す。私は「待って!」と反射的に彼を追いかけた。
けれどオリーは止まらず、開いていた窓から空へ飛び立ってしまう。
「オリー!」
私はとっさに羽を顕現させた。そして、窓枠を蹴る。ヨタヨタと飛びながら、オリーの背中に向かって必死に声を張り上げた。
「ねえ、オリー! 待ってよ! 待ってったら……きゃあ!」
不意に突風が吹き、私はバランスを保てなくなる。風に煽られた体が、糸が切れた凧のようにクルクルと宙を舞った。
「コンスタンツェ!」
オリーの叫び声がするのと同時に、何かに強く叩きつけられる。頭の中で星が飛び、肺から空気が押し出されて一瞬息が止まった。
飛行能力を制御できなくなり、そのまま遙か下に見える地面に落下していく……と思ったけれど、次の衝撃は案外早く訪れた。どうやら最初にぶつかったのはどこかの建物の外壁で、今度はその真下にあったバルコニーに墜落したらしい。
体中が痛んで、すぐには起き上がれなかった。だけど、これでもまだ運がいい方だろう。落ちた距離が短かったお陰で、大ケガはせずに済んだのだから。
「コンスタンツェ! コンスタンツェ!」
半狂乱になりながら、オリーが傍に降り立った。彼は私を助け起こし、強く抱きしめる。
「ごめんね、コンスタンツェ! 僕がすぐに止まっていれば、こんなことには……! どこか痛いところはない? ケガとか、それから、それから……!」
「オリー、私は大丈夫だよ」
正直に言えばまだ体のあちこちがズキズキしていたし、手足もひどく震えていたけど、オリーを心配させたくないから黙っておいた。
「もっと飛ぶ練習、しないとね」
「……コンスタンツェ! 血が出てるよ!」
私の頬に触れたオリーが、火傷でもしたように飛び上がった。
「医者を呼んでくるからここで待ってて! 動いちゃダメだよ!」
止める間もなく、オリーは慌ただしくバルコニーから飛び立っていった。私も頬を触ってみたけど、指にはうっすらとした血痕しかつかない。多分、彼が大騒ぎするほどひどいケガではないんだろう。
でも、お医者様に診てもらった方がいいのは確かだと思う。二度も体を強打したんだもの。妖精は結構タフらしいけど、半分は人間の私も同じように考えていいかは疑問だから。
「大丈夫かい、コンスタンツェ」
背後から澄んだ声がした。振り返っても誰もいない。私は「パーシモン?」と呼びかけた。
その拍子に、ここがどこだか気付く。円塔の最上階の部屋だ。私はバルコニーの窓を開け、這うようにして室内に入った。
「ボクに実体があれば、落ちてくる君を受け止められたんだけどね。幽霊というのは無力な存在だよ」
「気にしないで。私は無事だから。……【色に出でよ】」
辺りに魔力が拡散し、青いオーラが人型になる。パーシモンの柔らかそうな頬が、苦しげに歪んでいるのが見て取れた。
「そんな顔しないでよ。私は平気だよ? ね?」
「……ああ」
パーシモンは頷いたけれど、彼のオーラはまだ青い。【色に出でよ】の前では嘘は吐けない。これは悲しみの色だ。私はちょっとため息を吐いた。
「飛ぶのって本当に難しいね。私、オリーを追いかけようとして風に飛ばされちゃったの」
「知ってる。見てたから」
パーシモンは頷いた。
「トリスタン王子とメアリアナのことを話していたんだろう?」
さすが、パーシモンは情報通だ。
「君は……というより君とトリスタン王子は、メアリアナが悪者だと思った。それでオリーは動揺したんだろうな。彼は母親思いだから」
「パーシモンはどう?」
私は慎重に尋ねた。
「そんなのデタラメだ! って思う?」
「いいや、思わない」
パーシモンはかすかに首を振った。彼を形作るオーラが様々な色に変色する。怒りも悲しみも後悔も……ありとあらゆる感情が交ざっているようだ。
「君の推理力には驚かされるよ、コンスタンツェ。メアリアナは悪者だ。メアリアナは、フェアリー・アイをオリーから無理に奪ったんだ」
「そんな……!」
私がフェアリー・アイ強奪に言及したのは、あくまで可能性の一つとしてのことだった。でも、それが真実だったと知ってしまい、強いショックが体を突き抜ける。
「どうして!? どうしてメアリアナ王女はそんなひどいことを……」
「自分勝手な理由からだ」
パーシモンは吐き捨てるように言った。
「いいかい、コンスタンツェ。オリーの語るメアリアナの話を鵜呑みにしてはいけないよ。彼は妖精であり、メアリアナの息子だ。普通の人とは物の見方が違うんだよ」
呆然としながらパーシモンの話を聞いていた私は、ドアの外から階段を駆け上がる足音がするのに気付いて我に返る。ドアが勢いよく開いた。
「コンスタンツェ、無事かい!?」
蒼白な顔をしたオリーが入室してきた。後ろを振り返り、「先生、早く!」と大声を上げる。
「ねえ、オリー。私……」
どうしたらいいのか分からずに辺りを見回したけれど、パーシモンはどこかに行ってしまっていた。どうして彼はオリーが近くにいるといつも消えちゃうんだろう。まるで、オリーから逃げようとしているみたいに。
その後、私はお医者様から大したケガはしていないと診断結果を告げられた。ただ、あちこちに包帯を巻かれることにはなったけど。
この一件でオリーは大いに動揺したようで、二度と飛行訓練のことを言い出さなくなってしまった。
それに加えて、空を飛ぶことを「すごく危ない行為」に分類すると決めたらしい。クインが私を空の散歩に誘った時なんか、血相を変えて止める始末だった。
「飛ばねえ半妖精はただの人間だぜ?」
クインが呆れたように言う。
ここは春の庭だ。
カラッと晴れた夏の空の下で、私はお気に入りのカモミールのベンチに妖精コンビに挟まれる形で座っていた。
「別に人間だっていいよ。コンスタンツェが何だろうが、僕は気にしないから」
オリーは私の肩を強く押さえる。そんなことをしなくても、勝手に飛んでいったりしないと思うけど。
「でも、スズランの姉ちゃんは『気にしない』って顔してないけどな」
クインに見つめられ、ハッとなる。少しぼうっとしていたみたいだ。
「どうしたの、コンスタンツェ。飛べないからって、別に引け目を感じなくてもいいんだよ?」
「ええとね……そうじゃなくて……」
正直に言えば、私は二人の会話をほとんど話半分で聞いていたのだ。そのせいで、いきなり声をかけられてもギクシャクした反応しかできない。
「何か最近の姉ちゃん、変だよな? しょちゅうぼんやりしてるっていうか」
「何かあるの?」
「えっとね……」
ないと言えば嘘になる。
近頃の私は、ずっとメアリアナ王女のことばかり考えていたからだ。
――メアリアナは、フェアリー・アイをオリーから無理に奪ったんだ。
全ては、パーシモンが衝撃の告白をしたことが原因だった。あの話を聞いてからずっと、私は王女がオリーに乱暴を働いた動機について考えていたんだ。
だけど、どれだけ頭を悩ませたって答えは出ない。だって私は、メアリアナ王女のことを何も知らないに等しいから。
そうなってくると、取るべき手段は一つだけだ。生前のメアリアナ王女と交流があった人に話を聞くのである。
そして、その条件に合う人物は目の前にいた。
「ねえ、メアリアナ王女ってどんな人だったの?」
私は努めて何気ない風を装って尋ねる。妖精コンビは、私がいきなりそんな話題を持ち出したことが意外だったようで、虚を突かれたような顔をしていた。
「うーん……そうだなあ。活発な性格だったな」
「外にいるのが好きだったよ。妖精たちともよく遊んだりしてた」
「そうそう! 皆、メアリアナ、メアリアナってさ! 人気者だったよな」
二人は楽しそうに笑い合う。私はどんな反応を返したらいいのか分からなかった。
息子を虐待した悪女。
妖精たちを可愛がる聖母。
一体どちらが本当のメアリアナ王女なんだろう? どちらも本当だとするならば、優しいメアリアナ王女が悪行を働いてしまった理由は何だったのか?
パーシモンはオリーの判断は当てにならないと言っていた。でも、クインもメアリアナ王女には悪感情を抱いていないようだ。
クインは正義感の強い子だ。もしメアリアナ王女が根っからの悪人だったのなら、こんな風に好意を抱いたりはしなかっただろう。
「それにしても、改めて『どんな風』って聞かれると説明が難しいね。何て言っていいのか分からないよ。母さんは別に変わったところのない普通の人だったし……」
「いっそのこと、俺たちの頭の中でも覗き見させてやれればいいんだけどなあ」
「そういう魔法が使える妖精はいないの?」
記憶を直接覗くのは、中々いい方法かもしれない。でも、妖精コンビは渋い顔だ。
「それって固有魔法のこと? そうだなあ……僕の知り合いには、そんな感じの力の持ち主はいないかな」
「同じく」
まあ、そう上手くはいかないか。生前のメアリアナ王女をこの目で見る、素敵なアイデアだと思ったんだけどなあ。
「あっ、オリーくん! ここにいたのか!」
春の庭に男性が入ってきた。すっかり話し込んでいた私たちは、慌ててベンチから立ち上がる。
今日は庭の開放日だから、園内には彼のような一般のお客さんもいるんだ。ちょっと時間ができたから妖精コンビとお喋りしていたけど、いつまでも駄弁っているわけにはいかない。
お客さんに呼ばれたオリーは、カモミールのベンチから立ち上がり、急いで駆けていった。
それを合図とするように、私とクインも席を立つ。クインは花壇の見回りに行くそうなので、私はお客さんの対応をすることにした。




