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聖母と悪女と騎士(1/4)

 私の飛行訓練は、苦難の連続だった。


 柔らかなクッション性の素材で四方を囲まれた室内だからいいようなものの、そうじゃなければ、間違いなく体中がアザだらけになっていただろう。何度も壁や天井にぶつかり、数え切れないほど気絶寸前の状態を経験した。


「やっぱり半妖精は普通の妖精とは違うんだなあ。ここまで飛ぶのが苦手な奴なんて、会ったことねえもん」


 クインがそう言っていたけど、妖精コンビは嫌がりもせずに練習に付き合ってくれる。


 その甲斐あってか、練習を始めてから十日ほど経つ頃には、まだヨタヨタした飛び方ながらも、どうにか飛行能力と呼べそうなものを身につけることができた。


「よし、屋内訓練はこの辺でいいだろう。明日からは野外での練習だな」


 クイン教官が言った。フラフラと飛んでいた私は床に足をつけ、うーんと伸びをする。


 今日は庭園を締め切っている日だから、丸一日練習漬けだった。訓練中は一瞬も気が抜けないので、解放されてほっとする。


「あれ、コンスタンツェ。どこかへ行くの? もうすぐお茶の時間だよ?」


 室内練習場を後にした私が妖精コンビとは反対方向へ足を向けたものだから、オリーが不思議そうに聞いてきた。


「ちょっと予定があるんだ。帰りはいつになるか分からないから、私の分もお菓子も食べちゃっていいよ」


「やった~」


 クインがうきうきとした声を出す。まったく、小柄で可愛らしい見た目とは裏腹に、食い意地が張ってるんだから!


 妖精コンビと別れ、私は馬車を出してメアリアナ城を出発した。


 向かった先は王宮だ。


 ここに来るのは、モーリス殿下を断罪した夜会以来だ。私を見ると、皆にこやかな顔で挨拶をしてくる。


 王城の空気は、モーリス殿下がいた頃とは一変したように感じられた。心の重荷が取れたように、誰もが明るい顔をしている。妖精の力を利用していた殿下の支配は、それほど強烈だったんだろう。


 王太子の居室へ向かうと、扉を守る衛士が慇懃いんぎんに一礼して、部屋の主に私の訪問を告げる。中から「入れ」と声がした。


「今日はどうしたんだ、コンスタンツェ」


 重厚な黒檀の机に向かっていたトリスタン様が腰を上げる。礼儀正しい方だ。王太子なのに立ち上がって訪問者を迎えるなんて。モーリス殿下とは大違い!


 トリスタン様の様子も、以前とは少し変わっている。かつてはいつも黒一色の服装だったが、今ではその色が真っ白になっていたんだ。常に暗い影をまとわせていた表情からも、陰りが消えている。


 王宮に仕える廷臣たちと同じで、彼もようやく長年の苦悩から解放されたらしい。


 それに、蒼白く不健康そうだった肌も少し日焼けして、血色がよくなったように見えた。


 話によればトリスタン様の日課は、お母様を車椅子に乗せて王宮の庭を散歩することなのだそうだ。精神的に打ちのめされていた彼女だったけれど、王城に戻れたお陰か、今では少しずつ元気を取り戻していると聞く。


「ご婚約、おめでとうございます」


 私はスカートを持ち上げ、膝を折った。


「私といたしましても、この度のご決断は非常に……」

「前置きはいい。用があったから来たんじゃないのか?」


 変わったところもあるけれど、トリスタン様はやっぱりトリスタン様だった。私はすぐに本題に入ることにする。


「メアリアナ城について知りたいです。お城の図面か何かありませんか?」


「メアリアナ城の図面? 何故そんなものが欲しいんだ?」


「隠し部屋のようなものがないか確認したいんです。オリーのもう一つのフェアリー・アイがあるかもしれませんから」


 ここ最近は妖精の力を身につけるのに必死になってすっかり疎かになっていたけれど、私はオリーのフェアリー・アイ探しについても忘れていなかった。


 あなたの目は絶対に見つけてみせるとオリーと約束したんだ。だったら、それを果たさないといけない。


「関係者に話を聞いてみたんですけど、メアリアナ城は私に下賜されたとはいえ、書類上はまだ離宮……王家の持ち物ということになっているそうです。だから、王族の許しがないと関連資料の公開はできないとか」


「面倒なことだな。まあ、メアリアナ城の図面くらいなら、父の許しを得なくてもわたしの権限で君に譲ってやれると思うが……」


 トリスタン様は複雑そうな顔になる。


「残ったフェアリー・アイはどうしても必要なのか? あんなものは、永久に失われたままの方がいい気もするが」


「トリスタン様のおっしゃりたいことは分かります。でも、元を正せばあれはオリーの目なんですよ」


 やっと邪悪なモーリス殿下から解放されたのに、また彼と同じような力を手に入れる者が出てきたら元も子もない。トリスタン様はそんな風に心配しているんだろう。


「それに居場所が分からない状態で放っておくよりも、持ち主が大切に保管する方が安全だと思いませんか?」


「……そういう見方もあるか」


 トリスタン様はちょっと悩ましげな顔をしつつも、小さく頷いた。


「……それで、今日の用はもう終わりか?」

「後もう一つ。メアリアナ王女についても知りたいです」


 フェアリー・アイを隠したのがメアリアナ王女なら、彼女についても調査する必要がある。それが私の下した結論だった。


「そのことについても、詳しい人に話を聞いてみました。王家お抱えの歴史の研究家とか。でも、『メアリアナ王女については、ほとんど記録が残っておりません』と言われてしまって。だけど、同じ王族であるトリスタン様なら何か知っているかもしれないと思ったんです」


「なるほど。だが……期待に添えなくて申し訳ない。メアリアナ王女については、わたしも皆が噂している以上のことは把握していないんだ」


 トリスタン様はすまなさそうな顔になった。


「とはいえ、君の頼みだ。わたしの方でもメアリアナ王女について、少し調べてみよう。成果が上がるかは分からないが……」


「いいえ、充分です」


 メアリアナ王女のことはダメ元で聞いたも同然だったので、トリスタン様の返事は非常にありがたいものだった。彼と仲良くなっておいてよかった、と過去の自分を褒めたくなる。


 メアリアナ王女のことなら、トリスタン様よりも詳しい人が私の身近にいることは確かだ。オリーとかクインとか。


 でも、彼らの目から見たメアリアナ王女と、他の人が見たメアリアナ王女は違うかもしれない。彼女の人物像を正確に把握するためには、第三者の視点も必要だと思ったんだ。


 私はトリスタン様にお礼を言って、王宮を出た。


 私たちが再会を果たしたのは、それから数時間後のことだった。夕方頃に、トリスタン様がメアリアナ城を訪ねてきたのだ。


「結論から言えば、メアリアナ城には隠し部屋の類いはなかった」


 客間のソファーに腰掛けたトリスタン様が、離宮の図面を差し出す。


「つまり、フェアリー・アイを隠しておける知られざる空間は存在しない。……少なくとも、建築当初の段階では。後から誰かが増設した場合も考えられなくはないが……。ここは離宮だ。勝手に建物をいじったりはできないことになっているし、その可能性は低いだろう」


「なるほど、よく分かりました」


 私は図面を受け取りつつも、少し面食らっていた。


「トリスタン様……そんなことのご報告のために、わざわざメアリアナ城まで来たんですか? 誰か人を遣って伝えさせてもいい気もしますが……」


「……実は、気になることがあるんだ」


 トリスタン様が少し声を落とす。どうやら訪問の目的は、今から始める話題の方らしい。


「コンスタンツェはわたしにメアリアナ王女のことを質問しただろう? だから、君が帰った後、彼女について調べてみたんだ」


「まあ、ありがとうございます。それで……どうでした?」


 もしかしたら、よっぽど重大な秘密が見つかったとか? 私はドキドキしなら尋ねる。


 でも、トリスタン様の返事は、私の予想を裏切るものだった。


「何も分からなかった。王室に保管されている文書には、王女の出生と死亡、それからメアリアナ城を作らせたという記録くらいしか残っていなかったんだ」


「やっぱりそうなんですね……」


 私は肩を落とす。「メアリアナ王女については、ほとんど記録が残っておりません」。歴史の研究家が言っていたことと同じだ。


 でも、げんなりする私とは対照的に、トリスタン様は真剣な顔をしていた。


「おかしいと思わないか、コンスタンツェ」


「何がです? おかしいも何も、それを判断できる材料が全然ないじゃないですか」


「そこだ。おかしいと判断できる材料が何もない。『何も』ないんだ。メアリアナ王女は王族だぞ。それなのに、肖像画の一枚も残っていない。まるで……彼女の顔などもう見たくもないとでも言わんばかりに」


 私は薄ら寒い心地になった。トリスタン様の言おうとしていることが分かったからだ。


「モーリス殿下と前王妃は、王族名鑑から名前を消されたんですよね。彼らが王家に相応しくない人間と判断されたから。記録の破壊……。もしかして、メアリアナ王女にも同じことが……?」


「恐らく、あの悪徳親子と同程度の悪事を働いたわけではないだろう。そうだとするならば、記録は皆消されているはずだから。だが、メアリアナ王女は当時の者たちにとって、何らかの意味で不都合な存在だったのかもしれない。だから、ほとんどその存在の証拠を残したがらなかった……」


 メアリアナ王女が悪い人だなんて考えたこともなかった。私の中の王女は、オリーのよき母で、妖精を愛する心優しい女性で、意に染まない結婚に胸を痛める悲劇の乙女という印象だったから。


 やっぱり、第三者の目線で王女の人物像をとらえるのは大事だったらしい。こんなこと、オリーに聞いても絶対に教えてくれなかっただろう。

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