婚約破棄され、廃城へ(2/3)
城の外へと続く荒れ果てた道を駆け抜ける。敷地外に通じる門がゆっくりと開いた。門の近くには人影が見える。
助けが来たんだ!
「ありがとうございます!」
門の手前で足を止め、痛む脇腹を押さえるように体を二つに折り曲げながらお礼を言った。
「もう少しで亡霊に殺されるところでした! 本当になんとお礼を言っていいか……!」
「……僕が見えるの?」
不可解なセリフが聞こえてきて、顔を上げる。そこに立つ意外な人物に瞠目した。
私と同じくらいの年の男の子だ。髪は柔らかなピンク色。シオンの花を思わせるような優しげな顔立ちで、両目は閉じられている。彼の体はまるで金粉を振りまいたように、キラキラとした光をまとっていた。
その輝きにも目を奪われるけれど、もっと興味を引かれたのは背中だった。男の子の背には羽が生えていたのだ。
「……人間じゃない?」
トンボや蝶を連想させる男の子の透き通った羽を見つめながら、私は唖然となった。
ドオンッ!
すさまじい音がして、稲光が走る。私は「ひいぃっ」としゃがみ込んだ。
「……大丈夫かい?」
「大丈夫じゃない! 全然大丈夫じゃないよ!」
また雷が落ちる音がした。恐怖で心臓が止まってしまいそうだ。男の子が困ったように、「しっかりして」と私の背中をさする。
「立てる? 外は危ないから、中に行こう? ね?」
言われるままに彼について行く。けれど、その「中」というのがメアリアナ城を指していると分かり、血も凍るような思いがした。
「ここも嫌だよぉ!」
私はべしょべしょと泣きながら男の子に訴えた。
「悪霊に殺されちゃう!」
「大丈夫、大丈夫だから」
男の子は泣きじゃくる私を階段下まで連れて行き、そこに座らせた。
「ほら、落ち着いて。僕はオリー。君の名前は?」
「コ、コンスタンツェ……」
私はしゃくり上げながら名乗った。彼の背中の羽に視線を遣る。
「オリーは……天使なの? 私、もう呪い殺されちゃったとか?」
「違うよ。君はまだ生きてる。僕は妖精だ」
「妖精……」
すっかり消耗しきっていた私は、彼の話が嘘だと疑ってかかる気力すら残っていなかった。
「妖精って……本当にいるんだね。おとぎ話の中だけの存在かと思ってた」
「僕からしてみれば、君の方が珍しいよ。この状態でも見える人って、あんまりいないから」
「この状態?」
首を傾げたけど、オリーは話題を変えるように、「コンスタンツェ、どうして君はこの城へ来たの?」と尋ねてくる。
「ここには誰も近づきたがらないと思っていたけど」
「実は……」
事情を説明する。話し終わった後、オリーは真っ先に「それはひどいね」とモーリス殿下への非難の言葉を口にした。
「なんて自分勝手な王子なんだ。……大丈夫。そんな人は今にきっと報いを受けるよ。周りだって、彼を放っておかないだろうし」
「どうかな」
私は力なく首を横に振った。
「言ったでしょう? モーリス殿下は人心掌握が上手いの」
「でも、君の心は操れなかった」
オリーがきっぱりと言い切った。
「君は芯が強くてしっかりしてるんだね。正しいことと間違ったことの区別がつけられる、聡明な人なんだ」
「私が?」
耳を疑ってしまう。そんなことを言われたのは初めてだった。
「買いかぶりすぎだよ。たとえ間違ってると分かってても、私にはそのことを口に出す勇気がないし……」
私は情けない気持ちでいっぱいになった。
「そりゃあね、私だって昔からこんな風じゃなかったんだよ。でも、小さい頃にモーリス殿下の婚約者に選ばれて彼の傍で過ごす内に、気付いたら何も言えなくなってたの。だって、どうせ無駄だから。皆私の話なんて聞かないんだ。それに、たとえ耳を貸してくれたとしても、モーリス殿下の前に立った途端に、コロッと意見を変えちゃうんだもの」
「なるほどね。……でも、そういうのって悔しくないの?」
「悔しいよ。だけど、私じゃ何もできないし……。せいぜいお祈りするくらいが関の山だよ。早く悪いことが皆なくなりますように、って」
私は首から提げていたペンダントをオリーに見せた。
「これはお守りなの。天国のお母様が好きだった香水だよ。こうやって小さい瓶に入れて、いつも持ち歩いてるんだ」
小瓶の蓋を軽くひねった。辺りが爽やかな香りで満ちる。
職人さんに頼んで、特別に小さいサイズで作ってもらった香水瓶だ。蓋をひねると、中の香水を噴霧することができるんだ。
「スズランか……」
香水の霧を浴びながらオリーが呟いた。
「スズランって綺麗な花だよね。清楚で透明感があって可愛らしくて。君のイメージにぴったりだよ」
「……そんなことないよ」
私は小瓶を指先でもてあそんだ。オリーはあのアザを見ていないから、こんなことが言えるんだろう。濡れた前髪を撫でつける。
「大体、オリーってものが見えてるの? さっきから目、ずっと瞑りっぱなしじゃない」
「僕は妖精だからね。目を開けていなくても問題ないんだよ」
オリーは肩を竦め「そんなことより」と言った。
「コンスタンツェ、これから君はどうするの? 元婚約者には、ここに住めって言われてるんだよね?」
「もちろん出ていくよ! こんなところで暮らせるわけないじゃん!」
自分を取り巻く状況を思い出した私は、辺りを見回してブルブルと震えた。隣にオリーがいてくれるお陰で少しは恐怖心も薄まっていたけど、それでも怖いものは怖かった。
「モーリス殿下に逆らったら牢獄行きかもしれない。でも、ここよりはマシなはずだよ。だって、牢屋には悪霊なんて出ないから」
「ここにもそんなものはいないよ」
オリーは小さく首を振った。
「ここは幽霊城なんかじゃない。住んでいるのは僕だけだ。……今までこの城に来た人たちを脅かしていたのは僕なんだよ」
「……オリーが?」
まさかの告白に目を剥く。オリーは気まずそうな顔になった。
「君のことを怖がらせたのも僕だ。足音を立てたり、シャンデリアを揺らしたり、ドアをノックしたり……」
「ひどい! どうしてそんなイタズラをしたの!?」
私は憤慨した。悪霊がいないと分かった安心感よりも、優しそうだと信頼し始めていた人に騙されたと分かって、裏切られた気分になってしまったのだ。
「私、本当に怖かったんだから! 呪い殺されちゃうって思ったんだよ!? 妖精がこんなに根性曲がりだなんて思わなかったよ!」
普段の私はこんなにズケズケと物を言ったりしないのだけれど、不思議とオリーに対しては思ったことを素直に口に出せた。きっと、彼が柔和な空気をまとっているからだろう。
オリーは「ごめん」とうつむいた。
「でもね、意地悪をしようと思ったわけじゃないんだ。……昔、この城に泥棒が入ったことがあるんだよ。それで、とても大切なものを盗まれてしまったんだ。だから、もうそんなことがないようにしないと、と思って」
「……そんな事情があったの」
こんな廃城に盗む価値のあるものが置いてあるなんてにわかには信じられないけど、オリーがデタラメを言っているようには見えない。一方的に彼を非難したことが申し訳なくなってきた。
「ごめんね、オリー。あなたは大事なものを守りたかったんだね。大丈夫。私は何も盗ったりしないから」
「うん、分かってるよ」
オリーが温かな笑みを見せた。
「君は悪い人じゃない。むしろ被害者の側だ。……安心していいよ、コンスタンツェ。この城は安全なところだからね。ここには君を傷付ける人なんていない。僕は君の味方だよ。君が望むなら、復讐だって手伝ってあげよう」
「私がモーリス殿下に復讐を!?」
意外な提案に口が半開きになる。
「無理だよ、そんなの! 私にはできっこないよ! やり返せるなら、とっくにそうしてるもの!」
「コンスタンツェ、ここは不可能を可能にする場所なんだよ」
オリーは軽く笑って、香水の小瓶を手のひらで包み込んだ。
「……【花のご加護を】」
オリーの手のひらから光が漏れる。私は「今のは何?」と尋ねた。
「僕の固有魔法だよ」
オリーが香水瓶から手を離す。
「妖精は誰でも簡単な魔法が使える。火花を出したりとか、そよ風を吹かせたりとかね。でも固有魔法は……何て言ったらいいかな。そういうのとは別の、僕だけの能力なんだ。他の妖精には使えない特別な力。例えば僕の固有魔法【花のご加護を】は、花言葉を現実のものにする効果があるんだよ」
「花言葉を現実のものに……?」
「スズランの花言葉は『希望』。僕はこの香水に魔法をかけて、希望を宿したんだ」
オリーが小瓶の蓋をひねる。すると、辺りにまたスズランの香りが立ちこめた。
香水の霧を浴びた私は不思議な気持ちになる。何だか元気が湧いてきたのだ。今なら何でもできるような、活力に溢れた気分だった。
「あなたの魔法ってすごいんだね、オリー」
胸いっぱいにスズランの香りを吸い込む。心の中に明るい光が差し込んでくるような気がした。
「いつもの後ろ向きな私がどこかへ行っちゃったみたい。まだ希望を捨てなくていいって、そう思えてきたの」
「それだけじゃないよ。スズランってね、毒があるんだ」
オリーはちょっと含みのある笑顔を見せた。
「あんなに可愛い見た目なのに意外だよね。……君はどうかな? 外見通りの無害なお花? それとも……舐めてかかると痛い目を見る毒草?」
オリーが何を言いたいのか、私にはよく分かった。これまでモーリス殿下から言われ続けてきた悪口や、彼が行ってきた横暴の数々が蘇ってくる。
いつまでもそれを野放しにしておいていいんだろうか? 私だって根性があるってこと、たまには見せつけてあげてもいいんじゃない?