妖精修業、開始します!(1/3)
「よし、まずは飛行訓練からだ」
その日の午後。動きやすい服に着替えた私は、庭園の開けた場所に出ていた。
長い亜麻色の髪はポニーテールにして、結い目には「才能」の花言葉を持つオーニソガラムの花を飾っている。もちろん、オリーの魔法【花のご加護を】も付与済みだ。
「お嬢様~! 頑張って~!」
まだ誰にも話していなかったはずが、私が半妖精だということは何故かすっかり城中に広まっていた。飛行訓練に挑む主人の姿を一目見ようと、使用人たちが庭中に詰めかけている。
「ステップその一! 羽を出す!」
まるで軍曹のようなキビキビとした足取りで、クインが円を描きながら歩き回る。
「フェアリー・マークから背中に向かって、魔力が流れていくところをイメージしろ」
「はい! 教官!」
私はビシッと敬礼して、目元のアザに意識を集中させる。魔力の流れ、魔力の流れ……。
「きょ、教官! 背中がムズムズしてきたであります!」
「よし、ではその力を解き放て! 枝豆をサヤから出すように、スポン! と!」
スポン、スポン、スポン……!
今度は少しばかり難しかった。前屈みになり、歯を食いしばって背中を天に向ける。何かが体の中でうずうずと動くのを感じた。
出てこい、出てこい……!
スポン!
本当にそんな音がしたわけではないけど、不意に背中が軽くなるのを感じた。ギャラリーが「お嬢様、すごーい!」と湧く。視界に入った自分の手や脚が、金色の光の粒をまとっているのが分かった。
「鏡をどうぞ、お嬢様!」
「どこにいるかは分かりませんけど!」
ばあやと侍女のベラが近寄ってきて、見当違いなところに姿見を置いていった。私は鏡のある場所まで移動し、そこに自分の姿を映してみる。
背中から伸びる、透き通った羽。よく見ると肌から直接生えているのではなく、オーラが実体化したという表現が近いかもしれない。
こんな綺麗なものが自分の体についていることが信じられなくて、私はほれぼれと鏡を見つめた。半妖精だからなのかオリーやクインのものよりは小さめだけど、それでも羽は羽だ。
加えて、体には煌めく黄金の金粉をまとっている。今の私には、「妖精」という形容が何よりも相応しかった。
これまでずっと実感が湧かなかったけど、こんな姿を見てしまえば、もう否定することはできない。私は妖精。この体には、特別な血が流れているんだ。
前髪を掻き上げてみると、ずっとコンプレックスだった目元のアザが綺麗に消えている。私は弾けるような笑い声を上げた。
「教官! 自分にもできたでありますっ!」
「よくやった、二等兵!」
「二人とも、その軍隊ごっこはなんなの?」
端で見ていたオリーが苦笑いをしている。
「気合い、入るかなと思ってさ」
「見て見て、オリー! 羽が生えたよ!」
私は自分の背中を指差してはしゃぎ回る。オリーは「おめでとう」と言って、拍手を送ってくれた。ギャラリーたちが、「もう飛んだんですか、お嬢様~?」と声をかけてくる。
「気の早い奴らだなあ」
クインが大げさに肩を竦めた。
「大変なのはここからだっていうのによ」
「大丈夫! 絶対に飛べるようになってみせるよ! せっかくお母様からもらった妖精の力だもん! ちゃんと使いこなせるようになりたいし!」
「その意気だ、二等兵。では、いよいよ飛行の練習を開始するぞ。まずはリラックスして……」
クイン教官の指導は続く。でも、今度は彼の言っていた通りにちょっとばかり大変だった。
力みすぎると体が全然浮かばず、逆に力を抜きすぎると空気の抜けた風船みたいに、びゅん! と急浮上してしまう。
それでも一応「飛べた」ということにはなるのかもしれないけど、このまま宇宙まで行ってしまうんじゃないかという恐怖の方が先行して、とてもじゃないけど、成功した! と喜べそうもなかった。
「ううっ、ぐすっ……もう飛ぶのやめるぅ……」
助けに来てくれたオリーの腕の中でガタガタと震えながら、私は泣きじゃくっていた。
「私、このままだとお星様になっちゃうよぉ」
「大丈夫。慣れるまでは僕が傍で付き添ってあげるから。それか、室内で練習しよう?」
「でも……」
「ほら、元気出して」
オリーが私のペンダントの香水瓶から、中身を辺りに噴霧する。漂うスズランの香りをかいでいる内に、気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとう、オリー。私、まだ頑張れそうだよ」
「それならよかった」
オリーがにっこりと笑う。
彼のアドバイスを受けて、それからの飛行訓練は室内練習に切り替えられた。
お城で一番高い天井を持つホールからシャンデリアなどの尖ったものを取り除き、ぶつかっても痛くないように四方の壁などにフワフワのクッションを張り巡らす。
もちろんそんな工事がすぐに終わるわけはなかったので、一旦飛行訓練はお休みし、翌日からは自室で魔法の練習をすることになった。
「よし、そよ風を起こす魔法、習得!」
私はそよそよと揺れるロウソクの炎を見つめながら、明るい声を上げる。
「いいペースじゃん」
「これで、妖精皆が使える魔法は大体覚えたね」
リストとにらめっこしていたオリーが言う。
「それじゃあ、そろそろ本命といこうか」
「固有魔法だね?」
緊張で声が固くなるのを感じた。
前に、オリーが妖精なら誰でも簡単な魔法が使えると言っていた。その「簡単」には多分、「習得が難しくない」って意味も含まれていたんだろう。
実際に、そよ風の魔法も小さい火花を出す魔法も、コツさえ分かればすぐにできるようになったから。
でも、固有魔法じゃそうはいかないだろう。飛行訓練と同じ、山あり谷ありに違いない。
「でも、私の固有魔法って何? お母様は封印術が使えたらしいけど……」
「固有魔法は遺伝しないからなあ。文字通り、千差万別の術なんだよ」
「自分がどんな魔法を持っているのか分かるのは、自分だけだ。さあ、このロウソクの炎を見つめてみて。それで、頭と心を空っぽにして自分との対話をするんだ」
頭を空にした状態で自分自身と話せるものなの?
と思ったけど、私は妖精としては新米だ。ここは先輩のアドバイスに従っておこう。
目指すは無我の境地だ。
無我の境地、無我の境地、無我の……境地、むが……。
……。
「コンスタンツェ!」
肩を揺すられてハッとなる。オリーの顔がすぐ傍にあった。
「何? もしかして私、固有魔法を習得できた?」
「そうじゃなくて、君、今寝てなかった?」
そういえば、一瞬意識が遠くなったような……。クインがぷっと吹き出す。
「スズランの姉ちゃんの固有魔法、これだな! 【どこでも寝られる】」
「え、そうなの? なんか、思ってたのと違うんだけど……」
「安心して、コンスタンツェ。そんなわけないから。クイン、コンスタンツェをからかうのはやめてくれ」
「はいはい」
クインはおかしそうに、深い青の髪を揺すった。
「人がいたら集中できないかもね。僕たちはしばらく外すよ。何かあったら呼んでね」
「ちゃんと起きてろよ!」
オリーとクインが退室していく。一人になった私は、ロウソクの炎をじっと見つめ続けた。
「ねえ、聞いた? あの二人って実は……」
「きゃ~! それ最悪~!」
「ドンドン! ガガガ……! ガコン、ガコン……」
……うるさいなあ。
普段は大して気にならない物音が、今はやけに大げさに耳の奥にこだまする。窓とドアを全部締め切ったけど、どうにも集中できない。
「もっと静かな場所、ないかな……」
こんなんじゃ、とても瞑想なんてできそうもない。私はロウソクの火を吹き消してから、内なる平和を求めて自室を出た。
でも、静かな場所ってどこだろう? たとえお客さんがいない日でも、メアリアナ城では大勢の使用人が立ち働いてるし……。
色々と考えた末、思い付いたのは円塔の最上階の部屋だった。かつてメアリアナ王女の居室だったところ。でも今は空き部屋だし、あそこなら地上からも離れているから、きっと心を煩わすような物音なんか聞こえて来ないに違いない。
ちょっとした気がかりはオリーのことだった。オリーは、あの部屋には誰も近づいて欲しくないって思っている。あそこはメアリアナ王女が死んだところで、オリーにとってはあんまりいい思い出がないからだ。
でも、私からすればあの場所は普通の部屋であり、特別な感情は抱いていない。別にオリーを招き入れるわけじゃないから、入ったって構わないよね?
そんな風に結論付けて、円塔へと向かう。長い長い階段を登り切り、目的地に到着した。




