元婚約者に対抗できるのは私だけのようです(1/1)
まさかの言葉に呆然となった。
「それって……おかしくない?」
オリーが動揺したような声を出す。
「だって、彼は王太子なんでしょう? 王の子どもだから世継ぎに任命されたんだよね? でも、君の弟は……」
「弟ではない」
トリスタン様はすぐさま訂正を入れる。
「あれとわたしは血が繋がっていない。そう、一滴もな。父上も廷臣たちも、皆騙されているんだ。前王妃はわたしの父と出会う前から懐妊していた。彼女を診察したことのある医師がそう証言したんだ。前王妃は医師を脅してその事実を隠し、王と関係を持った。そして、何食わぬ顔でこう言ったんだ。『私、陛下のお子を授かりました。もし男の子なら、名前はモーリスにしようと思いますの』」
体中の神経が張りつめてくる。確かにこれはとんでもない事実だ。こんなことが明るみに出れば、モーリス殿下は間違いなく一巻の終わりだろう。
「モーリスの母親は、欲深で悪魔のような女だった。『王の子』を無事に出産した彼女は、その男児と自分の地位をどうにかして押し上げられないか思案した。今のままだと、彼女はただの妾で、息子も庶子の扱いだからな。あの女が狙ったのは正妻と王太子の座だった。だがそのためには王妃が……わたしの母が邪魔になる」
「だから、先々代の王妃様を殺そうとしたんですか!?」
私は愕然となった。
「確か、トリスタン様のお母様は自室のバルコニーから転落したんでしたよね? まさか、前王妃様が突き落とした……?」
「いや、母は自分で飛び降りたんだ」
私は確信を持って推理したんだけど、トリスタン様は思ってもみなかったことを言う。オリーも「それって自殺ってこと?」と尋ねた。
「でも、君はさっき殺人未遂って感じのことを言ってなかったっけ?」
「言った。だが、母が自分から飛び降りたのも本当だ。……飛び降りるように仕向けられたんだ」
トリスタン様が眉を曇らせる。
「あの事故があった日のことを話そう。当時六歳だったわたしは、母の居室に遊びに来ていた。そこへ、あの女がやって来たんだ」
――トリスタン、向こうへ行ってらっしゃい。
先々代の王妃様は、トリスタン様にそう言ったそうだ。母の言葉に素直に従い、トリスタン様は隣室で待機する。
でも、何となく胸騒ぎがして、ドアを薄く開けて母親たちの様子をこっそりとうかがうことにしたらしい。
「『あんた、邪魔よ。死んでちょうだい』。あの女はそう言った」
トリスタン様の口元が歪む。
「『そこから飛び降りて。……早く! 早くしなさいよ、このグズ!』。それで、母はバルコニーから身を投げたんだ」
「えっ、どういうことですか?」
私は困惑した。
「脅されただけで身投げ? トリスタン様のお母様は、そんなに気の弱い方だったんですか?」
「いや、そうじゃない。前王妃は魔法が使えるんだ」
「魔法?」
私は思わずオリーの方を見た。彼は難しい顔をしている。
「それはないでしょ。だって、その人ただの人間だよね? 魔法が使えるのは妖精だけだよ」
「いいや、あの女は魔法を使うんだ」
トリスタン様は頑固に言い放った。
「あの女には昔からおかしなところがあった。彼女の命令には、誰も逆らえないんだ。後になってから『どうしてあんなことをしてしまったんだろう。次は絶対に言うことを聞くまい』と決意しても、いざ本人の前に立つと、そんな反省はコロッと忘れてしまう。そして、また言いなりになってしまうんだ」
どこかで聞いた話だと思ったら、まるっきりモーリス殿下の時と同じだ。彼も人望がないのに、人を動かす力だけはあるんだから。
つまり、モーリス殿下の人心掌握も魔法だったってこと? 母親から遺伝で魔力を受け継いだの? 私がお父様から妖精を見る力を引き継いだように?
「ある時、わたしは母に尋ねたことがある。『どうして皆、あの人の言うことは聞いてしまうんでしょう』と。そうしたら、母はこう返した。『それはね、彼女が悪い魔女だからよ。だから、絶対に近づいてはダメよ』」
「悪い魔女、ねえ……」
オリーはまだ半信半疑といったところらしい。
「どうも信じられないけど……。まあ、一旦はそういうことにしておこう。それで、その魔女は君の母さんを殺し……ああ、死んではいなかったんだよね?」
「ああ、運良くな」
トリスタン様は暗い顔になった。
「母が飛び降りるに至った一部始終を見ていたわたしは、すぐに部屋から出て、助けを求めた。皆が駆けつけた時、母は虫の息だったそうだ。それから何日も意識は戻らなかったが、それでもどうにか生き延びてくれた」
お母様が助かったというのに、トリスタン様の表情はどんよりとしたままだった。
「あの女にとっては面白くなかっただろうがな。だが、ほぼ目的は果たしたと思ったらしい。その日から奴は、息子と共に王宮を我が物顔でのし歩くようになったんだから。まるで自分が王妃だとでも言いたげに」
「そういうの、不謹慎だとか言って誰かが止めなかったの?」
「止められるわけないだろう。相手は魔女だ」
トリスタン様はツンとした声で返した。
「わたしは彼女のしたことを皆に洗いざらい話した。だが、たった六歳の子どもの言うことを誰が信じる? しかも、あの女と母は普段から折り合いが悪かったんだ。わたしの話は母親の敵を排除するためのでっち上げとしか思われなかった。……もしかしたら、魔女が裏で何かしていたのかもしれないが」
トリスタン様は忌々しそうに付け足す。
「あの女は、残りの邪魔者であるわたしをあからさまに邪険に扱うようになった。わたしは、次にバルコニーから飛び降りるように言われるのは自分かもしれないと覚悟を決めていた。だが、ひどい目に遭ったのはわたしではなく母の方だった」
――お前、いっつも薬臭いぞ! 俺はこの匂い、嫌いだ!
「毎日母の見舞いに行っていたわたしに、モーリスがそう言った。それを聞いた魔女は大喜びで、『まあ、この子が可愛そうだわ! すぐに王妃に薬を与えるのをやめさせなさい』と言い、皆はそれに従った。だが、モーリスのワガママはそれだけでは止まらなかった」
――俺、医者も嫌いだ! あいつら、苦い薬ばかり飲ませるんだから!
「こうして、母の部屋から医師の姿が消えた。せっかく回復してきたというのに、治療を受けられなくなった母はみるみる衰弱していく。わたしは屈辱をこらえ、魔女にこんな仕打ちはやめて欲しいと言いに行った。聞くわけもなかったけどな。祖父が人を寄越して母を実家へ戻さなかったらどうなっていたことか」
「助かってよかったですね」
暗い話ばかりだったが、多少は救いのある終わりなのがまだマシだったと思いながらそう言った。けれどトリスタン様は「母は二度と歩けない体になってしまったがな」と晴れない顔をする。
「それを知った魔女は父を唆した。『あれではもう王妃は務まりませんわ』と。父は母と離縁し、魔女を正妻とした。その後、彼女は何だかんだ理由をつけて、わたしのことも王太子の座から追いやったんだ。後釜に座ったのは誰か分かるよな? 母はあまりのショックで精神まで患ってしまった。わたしのことを、時折元夫の名で呼ぶようになったんだ」
トリスタン様がモーリス殿下を恨んでいた訳がようやく分かった。
モーリス殿下が皆を騙して王位継承権を得ているからでも、本来なら自分のものであるはずの王太子の地位を奪われたからでもない。トリスタン様は、お母様を虐待して傷付けた人がどうしても許せないんだ。
「……大変だったね」
トリスタン様の母親への愛情に思うところがあったのか、オリーが労るような声を出す。トリスタン様への敵意はすっかり消えてしまったようだ。
「仕返ししたくなる気持ちも分かるよ。……でも、そのためには色々と調べないといけないことがあるね。例えば、前王妃の『魔法』とか。コンスタンツェ、言ってたよね。モーリス王子は人心掌握が上手だ、って。それも『魔法』じゃないかな? 王子は、母親から『魔法』の使い方を教わっていたのかもね」
どうやら、オリーも私と同じことを考えていたらしい。
「だとしたら、その『魔法』の対処法を考えないと。せっかく『王子は国王の子ではない』っていう弱みを握ってるのに、『魔法』でもみ消されたら全てが水の泡だからね」
「それなら心配いらない。対処法ならきちんとある。……いや、『いる』と表現した方がいいか?」
トリスタン様がこちらを見る。……えっ、私?
「コンスタンツェ、わたしの同志は誰でもよかったわけではない。君でなければいけなかったんだ。君も特別な『魔法』を持っているから」
「魔法? そんなのありませんよ」
「いいや、ある」
トリスタン様が断言する。
「母がバルコニーから飛び降りる一ヶ月前のことだ。君は覚えていないかもしれないが、こんなことがあった。魔女が、王城の大広間にひどく趣味の悪い絵を飾ろうと言い出したんだ」
彼女は「魔法」を使って、皆にその絵を賞賛させた。けれど、一人だけ周囲とは全く違う意見を言う者がいた。
――なぁに、この絵! 変なのー!
「それがコンスタンツェだったんだ。あの時は胸がすっとしたよ。自分の本心を代弁する者が現われたんだから」
そんなこと、あったっけ? まあ、トリスタン様のお母様が事故を起こした時、私はまだ三歳だったし、覚えていなくても当然か。
「その後、魔女はモーリスにこっそりとこう警告していた。『あの小娘には気を付けなさい。あいつはいずれ、あたしたちの身を脅かすかもしれないわ。それを防ぐためには厳重な監視下に置いて、徹底的に痛めつけてやる必要があるわよ』。幼かったモーリスはよく意味を理解していなかったようだが、元気よく『分かりました、母上!』と言っていた」
私は大きな衝撃を受けていた。
モーリス殿下が私を嫌いなのは、私が彼の言うことを聞かないから。私はそう推測していたけど、それは半分正しくて、半分間違っていた。
モーリス殿下は私を嫌っていたのではない。正確に表現するなら、恐れていたんだ。当時は理解できなくても、成長した彼には私の存在がいかに脅威となり得るものか分かったんだろう。
誰にでも言うことを聞かせられるはずの自分が、唯一思い通りにできない人物。自分に牙を剥く可能性のあるたった一人の少女。
恐怖に駆られたモーリス殿下は、母親の指示通りに私をいじめた。そうやって私から反抗する気力を奪うことで、身の安全を確保したんだ。
ただ、「厳重な監視下に置くこと」という言い付けだけには従わなかったらしい。でなければ、こうして追放なんかしなかっただろう。もしかして、私の反抗心をすっかり叩きのめしたと思って油断してたのかな?
「コンスタンツェ、分かるだろう? 君はモーリスの魔法に対抗する切り札なんだよ」
言われなくても理解できた。
この復讐は、私にしかなし得ない。皆の言っていた通り、私は特別な存在なんだ。