212 魔法青年が知らぬ間にも進む
よろしくお願いいたします。
「帝国の犬め!わしに恥をかかせおって……!」
遠回しに、『国外へ出たから花開いた、公爵は才能を見いだす目がなかった』と言われたのだ。
馬鹿にしている以外の何物でもない。
自室で怒りに髪を振り乱すヘルツシュプルング公爵を、夫人は冷めた目で見ていた。
その怒りのままに、公爵は娘に手紙を書きなぐった。
帝国のパーティに出たなどと聞いていない、招待すらされなかった、皇女殿下と親しくなったと他者から聞いて恥をかいた、なぜ自分が関わっていないのか。
執務室で書き連ねているところへ、領地関係のことを任せている侍従がやってきた。
「旦那様、領地の運営に関してご確認いただきたいことが――」
「今忙しい!これまでのやり方と同じでいいから、適切に判断して対処しておけ!」
侍従は、聞こえないようにため息を吐き、一礼した。
「かしこまりました。良きように取り計らいます」
「初めからそうすればいいんだ」
命令が仕事だと思っている公爵の丸投げは、侍従にとってはいつものことである。
公爵にとって幸運なことに、この侍従は優秀であった。
采配を任された侍従は、粛々と公爵領の黒字を大きくしていった。
面白くないのは皇家である。
もともと、公爵領はほどほどに穏やかな土地で、適度な黒字を保てることから過去の王弟に与えられた場所であった。
ほどほどというのが重要で、あくまで皇家あっての公爵、という体を取っていたのだ。
地位こそ高いが皇家に付き従い、任された領地をほどよく動かして税金を納め、国をまとめるための一助となる。
税収が大きいため、国に納める税金も当然高額になる。
それでも、公爵家の体面を整えるに充分な金が残るのだ。
これまでは、程よいところでバランスを取っていたはずだった。
しかしここにきて、公爵家が突然収入を増やしたのである。
単純に税収を向上させるのではなく、国が用意している助成金や減税制度を余すことなく活用し、黒字を増額させていった。
これらの制度には、確かに条件などはない。
だが暗黙の了解として、元々税収の少ない領地や、災害などで一時的に困窮する可能性のある領地が申請するものであった。
それが、順調に運営しているはずの公爵領から申請されたのである。
法には則っているので、却下する理由はなく、受理された。
そして公爵本人は、ある程度皇家を敬ってはいるものの、贅沢を享受してあまつさえ庶子を堂々と社交界に連れ出していた。
しかも、最近になってその娘と帝国とのつながりまで出てきた。
すわ謀反のたくらみか、と皇家は水面下で一気に警戒を強めた。
水面下だろうと、皇家が動けば政治も動く。
政治が動けば貴族も動く。
「北の男爵領だと?公爵家の仕事は誰がするというんだ」
侍従の一人が辞めると言いだしたので、ヘルツシュプルング公爵は眉を寄せた。
給金は相場以上のものを与えているのに、何が不満なのか全くわからない。
「その件については、順次引き継ぎを行っています。私にできたことですから、ほかの侍従でも問題なくこなせるかと」
公爵家には、領地の仕事をさせている侍従が複数人いる。
確かに、公爵の命令を聞けばいいだけなのだから、ある程度の知識さえあれば誰にでもできるだろう。
わりと使い勝手のいい侍従がいなくなることは不満だったが、どうせ公爵家より条件は悪いはずだ。
泣きついてきたところで、再雇用などしてやるものか。
それにこいつ自身が言ったのだ、ほかの侍従でもできる、と。
切り捨てたところで大して変わることはないと結論付けたヘルツシュプルング公爵は、ふんと鼻を鳴らした。
「引継ぎだけはきちんと終わらせろ。私の仕事を遅らせるな」
「かしこまりました」
侍従は、静かに頭を下げた。
結論から言えば、知らぬ間に調査が入り、黒字を増やしているのがとある侍従の采配であると気づいた官僚の主導により、別の領地に引き抜かれたのである。
その手腕で、先細りになっている領地を立て直してほしいという依頼であった。
ひそかに依頼をしてきたのは、皇家に仕える官僚の一人。
政治の中枢に立場のある人物からの依頼だからこそ、侍従は信頼してそこへ行くことにした。
その男爵家が、革新派の一端を担う家だなんて知らなかったし、その官僚の親戚だなどと調べもしなかった。
自分の采配によって富んだ男爵家が、革新派を勢いづかせることになるなど思わなかった。
ヘルツシュプルング公爵家がずるずると経営を悪化させていくことだけはある程度予想していたが、まさかそれ以上のことが起こるなどと全く考えていなかった。
侍従は、ただ自分の働きを評価してくれる職場に移っただけだったのである。
「くそがっ!!」
ヘルツシュプルング公爵は、手紙転送の魔道具を床に投げつけた。
毛足の長い絨毯に覆われた床は、とすんと音を立てただけで、魔道具も床も一切傷つけなかった。
「カーヤめ、なぜ返事を寄こさない!!公爵家の娘として育ててやった恩を忘れたか?!税収が突然落ちて大変だというのに、親の心配すらしないのか!」
ダン!ダン!と公爵は床を踏み鳴らした。
皇家からは、突然の経営悪化を心配しつつ、「今は無理に皇都に来る必要はないから気にするな」という、実質出入り禁止の手紙が送られてきた。
懇意にしていたはずの貴族家からも距離を置かれるようになって、公爵家は進退窮まってきている。
癇癪を起こす公爵の執務室の扉がノックされた。
「失礼いたします、旦那様」
「なんなんだ?!火急の用以外で私をわずらわせるな!!」
入ってきた侍従は、二枚の紙を差し出した。
「火急の用でございます。奥様が出奔されました」
「はぁ?!」
一枚は、正式な手順を踏んだ離縁届けで、ほぼすべて記入済みのものだった。
公爵のサインさえあれば、すぐにでも提出できる。
もう一枚は、妻からの置手紙であった。
『わたくしは、公爵令嬢としてのカーヤの教育に失敗いたしました。今、公爵家に助けの手を差し伸べないのはその証拠です。すべて、わたくしの不徳といたすところです。責任を取って離縁し、生家の領地にある修道院にまいります。どうか、公爵家をこれからも盛り立てられますようお祈り申し上げます。』
公爵は、怒りに震えて呼吸が止まっていた。
手の中の紙が、ぐしゃりと潰れていく。
「旦那様?」
間抜けな顔をした侍従が、何もできずに突っ立っている。
ひっ、ひっ、と息を吸い込んだ公爵は、大きくため息を吐いた。
「どいつもこいつも役立たずめっ!!こんな女などこちらから願い下げだ!そこで待て!」
「はい」
公爵は、机に置いてあった豪奢なペンを乱暴に取り、インク壺にぼちゃんと突っ込んだ。
ぼた、とインクが落ちるのもかまわず、サインを殴り書く。
「これを、皇都に提出しておけ!」
「皇都……。政府の機関ですか。どちらの省庁に送ればいいのでしょうか」
「それくらい自分で調べろ!!公爵家の戸籍を扱うのだから自明だろうが!」
ばん!と机を叩いた公爵に身をすくめた侍従は、さっと離縁届を受け取って下がった。
「はい、かしこまりました」
そして逃げるように去っていった。
読了ありがとうございました。
続きます。




