185 魔法青年は聞き出す
よろしくお願いいたします。
ヘルツシュプルング公爵家の庭は、小さな林だった。
きちんと管理されていて、散歩道には石畳が敷かれ、ところどころにベンチも置いてある。
背の高いランプが配置されており、夜なのに歩きやすい。
コーディは、覚えている方法でカーヤの手を取ってエスコートしながら庭に出た。
彼女の手は折れそうなほどに細い。
たおやかとかそういうものではなく、満足に食事を取れていない人の腕だ。
鋼が憑依した直後のコーディを思わせるそれに、なんとなく確信めいたものを抱いた。
「お名前をお呼びしてもかまいませんか?」
「はい、ご随意に」
「ありがとうございます。カーヤ様は、魔法にご興味がおありですか?」
「……はい。学問全般に興味があります」
平坦な声には、一切感情が乗っていない。
先ほど魔法の話をしたときに見えた目の輝きは、気のせいだったのだろうか。
「僕は、もともと貧乏な男爵家の三男でして。王立学園に入ってから魔法をきちんと学んだんです。けれども、それが楽しくてのめり込んだ結果、魔塔に呼ばれるまでになりました。魔法は、とても魅力的な学問ですよ」
コーディが明るくそう言ったとたんのことだった。
ゆらり、と、カーヤがまとう魔力が揺らいだ。
しかし表情は全く動いていない。
「この国では、あまり女性は学問を修めないようですね。カーヤ様は、魔法を専門的に学びたくありませんでしたか?」
「わたくしは、父の決定に従うのみですので」
「そうなんですか。公爵に直接言うのは難しくても、公爵夫人なら」
父よりも母の方が話しやすい、というのはただの一般的な見解だ。
そのつもりでコーディはそう言ったのだが、カーヤはほんの少し腕を振るわせた。
「……いいえ。お義母様は、わたくしの生みの母ではありませんし、公爵家を取り仕切りながら後継を育て、わたくしの淑女教育までされていて、とてもお忙しくて。引き取っていただいたわたくしのわがままなお願いごとで、お義母様をわずらわせるわけにはまいりません」
コーディは、思わずカーヤを見下ろした。
アルピナ皇国も、基本的には一夫一妻制だったはずだ。
どうしても後継に恵まれない場合に限り、第二夫人を娶ることが可能だ。
しかし今のカーヤの言いようを聞くと、第二夫人の子というよりは妾か愛人の子だったのではないだろうか。末娘だというから、後継はすでにあるのだ。
本妻に引き取られた愛人の子どもがどう扱われるかなど、想像に難くない。
あの様子なら、公爵はきっと娘の教育を丸投げするだろう。
きちんと公爵令嬢としてのマナーが仕上がってさえいれば、その過程などどうでも良いと考えていそうだ。
つまり、カーヤは昔のコーディとはまた違う形で、虐待されていると予想できる。
この細さは、ろくに食べていないとしか思えないのだ。
そのわりにマナーは完璧で、所作も美しい。
若い娘らしくない、首元から手首まですべて隠すようなデザインのドレスも、こうなると怪しさ満点である。
「魔力の器が大きいと言われたことは?」
コーディが見たところ、カーヤの魔力の器は魔塔の研究者並みである。プラーテンス王国の貴族と比べてもかなり大きいだろう。
質問に対して、彼女の魔力が先に揺れた。
「……昔、調べていただきました。ですが、わたくしは女性ですので」
「使わないように、と?」
「はい。男性が気分を害する可能性があるので、よほど魔力の器が大きいとわかっている方以外には言わないようにと。代わりに、家政についてはみっちり仕込んでもらいました。学業も家庭教師をつけてもらって、ある程度修めています」
男性相手にひけらかさないように、と言われていたようだ。
随分と器の小さい男を想定しているようだが、もしかしてアルピナ皇国の標準なのだろうか。
そして代わりに家事の采配を学ばされたと。
マナーや貴族としての在り方は、きっと文字通り叩きこまれたと予想できる。
もしかすると、女とはこうあるべき、とことあるごとに言われていたのかもしれない。
その結果が、この抑え込むような魔力制御なのだとしたら、あまりにも悲しい。
若者の可能性が潰されるのは、見ていて辛いものだ。
それが本人の希望であるならまだ理解できるが、親など信頼を置くはずの大人が握りつぶすなど、見るに堪えない。
事故や経済状況などによって諦めざるをえないという子どもにも悲哀を感じるが、それとはまた違う。
明確に、害をなす人物がいるのだ。
コーディは、思わず口にした。
「カーヤ様は、魔法を学びたいですか?」
「あの……わたくし一人では、お答えいたしかねます」
どうやら、意思表示の自由すらも奪われているらしい。
魔法の気配はないので、洗脳のような虐待が続けられた結果だろう。
困ったように微笑むカーヤは呼吸すら落ち着いているが、代わりに魔力が保たれずに揺らいでいた。
もしかしたら、無意識に自分を抑えつけているのかもしれない。
―― こんなに才能のある子どもが、捨て置かれるどころか見当違いの方法で道具のように使われるとは。
もったいない。
そう思ったコーディは、ゆっくりとした歩みを止めた。
エスコートされていたカーヤも、一緒に足を止めた。
「僕なら、カーヤ様を連れ出せるでしょう。国を出て、故郷を捨てて、魔法を学びますか?」
それを聞いたカーヤは、初めて表情を変えた。
驚きに瞬いた目は、淡い茶色というよりは黄色に近い。
自らこの環境を捨てるなど、考えたこともないのだろう。
夜のパーティに出られるのだから成人しているはずだが、片手を口に当てたカーヤはまだ小学生くらいに見えた。
「魔塔の研究者が弟子候補として引き受けるとしたら、さすがの公爵も受け入れるでしょうし」
「え?それは。あ、でも……」
一瞬目を煌めかせたカーヤは、すぐに瞼を伏せた。
「なんでしょう?」
「その……昔、そういったお声がけをいただいた女性がいらっしゃったようですが、父親からの許可がでなかったため行かなかったと聞いたことがあります」
「なるほど」
すべては、家長である父の意志次第、というわけだ。
「ですから、父の――」
「いえ、まずはカーヤ様のご意思を伺いたいんです」
先ほどから、彼女は状況や父親の意向についてしか説明してくれていない。
いくら才能に溢れていて、コーディの目から見て優秀な魔法使いになりそうだと思えても、本人がなりたくないというのなら無理に魔塔へ引っ張り出すのは不当である。
別の方法で助けることを考えなくてはならない。
自分の希望を言え、と言ったコーディを見上げるカーヤは、迷子の子どものようだった。
「わたくし……わたくしは」
そこで口をつぐんだカーヤは、迷っているようだった。
確かに、初対面の人間を信頼して本音を晒せ、というのは難しいだろう。
ましてや、今まで意思を無視され、逆に大人の意向に従わされてきた子どもだ。
元のコーディもそうだったように、諦めて考えないようになっている可能性が高い。
「カーヤ様。僕は他国の人間です。ここで貴女の意見を聞いたところで、すぐにアルピナ皇国を出てしまうので吹聴することはありません。少しくらい、言いたいことを言ってもいいんですよ」
「言いたい、こと……」
カーヤは、紅を乗せた唇を震わせた。
「……羨ましい、です」
それは、小さな本音だった。
「羨ましい?」
「はい。自ら選んで、魔法を学んで、魔塔にまで行かれているタルコット様が、羨ましい。わたくしには、父の、家の利になる結婚が望まれていて、それ以外の未来はありません。高度な教育を施されて、裕福な生活を与えられた者の使命ですから」
健康的な生活をさせて、自立するための教育を施すのは親の義務である。
親は子を育み、その子が子を持ったら親となり、子を育てる。
そうやって紡いでいくもののはずだ。
育成の対価を、子が親に返還するなどおかしな話だ。
カーヤは、その返還を家のための結婚という形で行え、と言われ、当然のこととして受け入れているらしい。
それでも、カーヤは本心をこぼした。
「カーヤ様は、魔法を学びたかったんですね」
「っ……、はい。ですが、絶対、ほかの方にはおっしゃらないでください。どうか」
「言いませんよ。でも、そういうことなら」
ふむ、とコーディは考えた。
弟子として連れ出すことが難しいなら、この国の方法に合わせてさっさと連れ出すのが良さそうである。
コーディは、すっかりこのカーヤに元のコーディの影を重ね、助け出したいと思っていた。
「うん。僕と結婚しますか?」
「え?」
黄色い瞳が、こぼれんばかりに見開かれた。
読了ありがとうございました。
続きます。