184 魔法青年は目をつける
よろしくお願いいたします。
普通の人は、魔力を百パーセント溜めることはなく、八割ほどは溜めているが残りは零しているような状態だ。
魔塔の研究者たちは、さすがの魔力制御で満杯まで魔力を無駄なくまとっている。
零すというよりは、入ってくる分をゆるりと押し出し、魔力の器を常に保っているのだ。
コーディが見た若い女性は、少し違った。
ほとんど入っていないし、出てもいない。
満杯まで魔力を溜めながら、そこで留めているのだ。
コーディ自身も、ほとんど魔力の入れ替えをしていない。
保有したままにしている。
これは仙人のときに気をまとって保つのと同じ要領なので、コーディにとってはごく自然な状態だ。
―― 日本にいたなら、きっと誰ぞ仙人が見つけて、道士としてスカウトしただろうなぁ。
そう思うほどに、見事な制御だ。
ただ気になったのは、留めるというよりは押し込んでいるように見受けられることだ。
彼女は、ヘルツシュプルング公爵の後ろに静やかに立っていた。
どうやら、公爵の娘らしい。
研究者たちに紹介しようとしては失敗している。
最も、失敗の原因は公爵にもその娘にもなく、完全に研究者側にある。
婚約者がいたり研究一辺倒だったり非友好国出身だからと喧嘩腰だったり。
公爵はうっすらと苛立ちを感じさせる表情も見せたが、娘の方はよく言えば落ち着いた、悪く言えば温度のない笑みを貼り付けていた。
コーディは食事を終え、会場に出た。
それを見てとった多くの貴族に注目されてから、コーディは思い出した。
―― わしも標的じゃったのぅ。
すっかり他人ごとだったが、自分も狙われていた。
さすがに主催者たる公爵が動いたので、ほかの貴族たちはぐっとこらえてこちらの動向を見守る態勢に入った。
全く意図していなかったが、彼らからすれば、コーディは最後の希望なのだ。
「改めて、ヘルツシュプルング公爵領を治めている、ブルクハルトです。こちらは、妻のトルデリーゼと、末娘のカーヤ。ほかにも子はいるんですが、今領地にいるのはカーヤだけなんですよ」
紹介された娘は、声を出すことなく静かに美しいカーテシーを披露した。
「僕はコーディ・タルコット、魔塔の研究者の弟子です。トリフォーリアム・プラーテンス王国出身で、准騎士爵位を持っています」
弟子、という時点で周りの興味が少し離れ、准騎士爵と言うと更に人が減った。
それでもまとわりつく視線は多く、コーディは少し居心地が悪かった。
ちなみに、公爵はプラーテンスと聞いて逆に目の色が変わった。
「あのプラーテンスの方でしたか!確か、村へと単独で向かわれた方ですな。ソーンタイガーをお一人で討伐されたとか」
情報収集はきっちりしているらしい。
それを周りで聞いていた数人の関心が戻ってきた。
余計な仕事をしてくれる。
「はい、そうです。しかし、ソーンタイガーに集中できたのは村の冒険者の方のおかげです。この国の冒険者も、研鑽を積まれた方が多くて助かりました」
「そう言っていただけると、為政者としてはありがたいですな。いや良かった。ところで、食事は口に合いましたかな?」
「はい、珍しい素材もあって、楽しませていただきました」
コーディの言葉に、公爵は満足そうに頷いた。
「ご満足いただけてよかった。今回のパーティは、娘も開催側として手伝いをさせていたのですよ。食事メニューはほぼ任せていたので、主賓の方がそうおっしゃるなら合格です」
言いようは気になるが、とりあえず場は丸く収まったようだ。
「娘はさすがに学園には行かせませんでしたが、なかなかに家政を任せれば優秀なんですよ。タルコット殿は、ご婚約は済ませておられますかな?」
「いいえ。恥ずかしながら、准騎士爵は一代限りですし、年俸も知れています。家庭を持つには不安なものですから」
「なるほど、しっかりお考えなんですな。しかし、婚約段階ではまだ養うこともありませんから、問題ないのでは?」
相変わらず、娘は笑みを浮かべたままじっと立っている。
対して、彼の妻はたまに娘の様子をちらりと見ていた。
その表情がなんとなく冷たく感じて、落ち着かない。
「それも考えものなんです。僕は魔法の研究を続けるつもりなので、家族も迷いの樹海に入ってもらうことになります。やはり閉ざされた村ですから、出入りもできずに里帰りだってほとんどできません。きっと不自由させてしまうでしょう」
「ああ。他国では実家への里帰りも頻繁に行うようですからな。しかし、我が国では違いますぞ。アルピナ皇国の女性は、入った家に従うのが常識です。実家に帰るなと言われれば帰りません。もっとも、私は妻が実家に立ち寄ったり親族と会うくらい、当然の権利だと考えていますがね」
ヘルツシュプルング公爵は、自分の寛大さを自慢するかのように胸を張った。
「そうだろう?トルデリーゼ」
公爵が答えを促して、初めて妻は口を開いた。
「さようでございます。旦那様は、特にお優しいと思いますよ。お土産もたくさん持たせてくださいますし」
「はっはっは!妻の実家だからな。ちょっとした心遣いくらい当然のことだ。私だって両親が心配ですからね。妻だって自分の両親の様子を見たいとわかります」
前半はうなずく妻に向けて、後半はコーディに向けて話す公爵は、多分この国の典型的な貴族なのだろう。
無意識に妻や娘を所有物扱いしている。
もっとも、彼女たちもそれに疑問を抱いていないので、同じ穴の狢だ。
「ご令嬢はご自宅で学ばれたんですね。それなら、魔法も公爵家で?」
コーディは、研究者として興味を持った風に話を変えた。
カーヤ本人に話を振ったつもりだったが、それに答えたのは公爵だった。
魔法と聞いたカーヤは、初めてその目に感情を乗せた。
「どの家も、よほど困っていない限り娘は自宅で家庭教師を呼ぶのですよ。また、魔法は学ばせていません。家を守る女性には必要ありませんからね。この国で魔法を学ぶ女性は、労働者層だけですよ」
「男性は、学園などに?」
「ええ、もちろんです。男は働くのに魔法を使います。まぁ、使わない仕事も多いですが、少なくとも貴族なら領地を守るのに必要だというわけですな。かく言う私も、数十年前には学園で多くのことを学んだものです。あのときの学友は、私の大事な仲間ですよ」
ということは、カーヤは魔法を習っていないということだ。
それなのに、これだけ完成度の高い魔力制御を行っているということは、独学で学んだのだろうか。
「そうだったんですね。アルピナ皇国で魔法をどのように学ぶのか、話を伺ってみたかったんです。ご令嬢ならごく最近学ばれたとあたりをつけたのですが、残念です」
コーディが眉を下げると、公爵は慌てたように言った。
「カーヤはかなり学術の成績が良かったのです。いろいろな本を読んでおりましたから、魔法の本も記憶しているかと。どうなんだ?」
公爵の急かすような質問に、カーヤは微笑んだまま答えた。
「はい、ごく基本のものだけですが、読ませていただきました」
初めて聞いたカーヤの声は、どこか力の入りきらない、細いものだった。
「なるほど。お聞かせ願えますか?」
「ああ、ここでは少し騒がしいでしょう。よろしければ、娘に庭を案内させます。あちらなら静かなので、話を聞くにも最適ですよ」
「そうですか。では、少しの間ご令嬢をお借りします」
「もちろんです。どうぞどうぞ」
作戦が成功した、とばかりに公爵は笑顔で言った。
その隣で公爵夫人はうっすらと口を歪め、カーヤは相変わらず静かに微笑んでいた。
読了ありがとうございました。
続きます。