卒業旅行
午前零時ちょうど、寝静まった都心の街角。
不慣れなカーシェアのアプリを起動して、目当ての車を探した。
お利口にご主人の来訪を待っていたトヨタのハイブリッド車。毛並みの色は夜に溶け込むような紺。がちゃがちゃと荷物を後部座席に押し込んで、サイドミラーの向きを調節する。助手席に腰を下ろした由芽が、おぼつかないわたしの手つきに目を細めている。
急にドライブなんか思い立って、どうしたの?
別に、どうもしないよ。わたしはおっかなびっくりエンジン起動ボタンを押し込んだ。わずかな震えとともにお利口な車は目を覚ました。
目的地は決めていないから、カーナビには何も入力しなかった。聴きたい曲もなかったので闇雲にFMラジオをつけて、興味の湧かない通販番組に耳を傾けた。走行距離四万キロの元気なハイブリッド車は、人目をしのぶように街を抜け出した。
由芽は退屈そうに窓の外を見つめている。
流れ星のように都市夜景が視界をよぎる。空気を入れ替えたくなってほんの少し、右前と左後ろのウィンドウを開けた。びゅうと吹き込んだ風が頬を叩いて、由芽がわたしを見た。
どこ向かうの?
どこがいいかな。なんとなく、海。
海なら来週の卒業旅行で行くじゃない。
どうだったかな。暴れる髪を撫でつけながらわたしはつぶやいた。同じサークルの子たちが卒業旅行を企画しているのは知っていたけど、正直、旅程もうろ覚えだ。
就職活動を終えた大学四年生という生き物は、春先になると連れ立って卒業旅行に赴くのが習わしのようだ。就職先の報告も怠り、部室へ顔を出すことすらしなくなったわたしのような日陰者にも、どうやら参加の権利は平等に与えられるらしい。後部座席のリュックサックには卒業式の案内や、誰かの作った卒業旅行のしおり、就職先から届いた入社前研修の資料も雑多に詰め込まれている。教材も家財もあらかた捨ててしまったので、わたしの持ち物はほとんどこれで全部だった。
すごい大荷物。佳苗、引っ越しでもするつもり?
違うよ。
でもオーボエまで持って来てるじゃない。
わたしの命だからね。肌身離したくないの。
空虚な面持ちで応答したら、くすりと由芽が笑った、気がした。ため息をついたようにも見えた。わたしは手汗のにじんだハンドルを握りしめた。
何車線もある幹線道路の彼方へ、青信号が点々とわたしを導いてゆく。冷え切った丑三つ時の工場街を風が吹き渡っている。ハイビームを切った対向車が、わたしをいぶかしむように一睨みしながらすれ違っていった。こんなに速度を上げたら安全に停まれる自信がない。それでもわたしはまだ、アクセルから足を離さない。
車の運転に慣れていないのは、わたしが不器用の権化だから。鈍くさい大人のなりそこないが車という凶器を手にすれば、いつか必ず人を殺める。こうして深夜にドライブを敢行しているのも誰かを轢かないためだ。
運転免許は大学一年の終わりごろに取った。周りの子たちは入学早々、先を争うように教習所へ通って免許を取っていた。わたしはドライブへの興味も湧かず、必要性も感じないまま、ただ何となく流されて通い始めただけ。免許証も、学生証も、バイト先の社員証も、まともな人間であることを対外的に証明するための手段でしかなかった。
まともな人間にわたしはなりたかった。
まともな人権を保障される身分になりたかった、というのが本音かもしれない。さもなければわたしは今も、居場所のない日陰者のままだっただろうから。
授業のない日も遊び歩かず、色恋に浮かれもせず、日がな一日じゅうサークル棟の練習室に引きこもって愛器のオーボエを吹くのが趣味。経営学部に在籍しているのに、将来の夢は経営者でも自営業でもなく音楽家。高校生の頃から吹部一筋だったんです、将来の夢はオーボエ奏者です──。オーケストラサークル主催の新歓でそう発言した瞬間、一斉に注がれた「お呼びじゃない」という無言の白眼視をわたしは今も忘れられない。
わたしには確固たる夢があった。けれども同時に、わたしは真っ当に生きてゆかなければならなかった。不器用なわたしは夢と現実の二兎を追おうとした。そして不器用であるがゆえに、尻尾をつかみきれなかった。
門のようにそびえる高速道路の高架をくぐれば、そこは羅生門の外。人家の灯火も減り、都会のビル街はバックミラーの彼方へ遠ざかるばかりになった。暴れ狂う風のおかげでラジオが聴き取りにくい。通販番組は終わり、往年の名曲クラシックを紹介する番組が始まっていた。
あたし、この曲、好き。
助手席に深々ともたれながら由芽が目を閉じた。
ドヴォルザーク?
うん。吹部では演奏したことなかったけど。
まぁ、管弦楽の曲だしね。
わたしは窓を閉じて深呼吸に励んだ。あんまり風が強いので過呼吸になりそうだった。演奏中もこのくらいの肺活量が欲しいものだと思った。ただでさえオーボエは音が小さく、どんなに気合いを入れても存在感を欠いてしまう。
チェコの作曲家、アントニン・ドヴォルザークの〈家路〉。交響曲第九番『新世界より』の第二楽章。遠い新天地での望郷の念を癒やすように、オーボエのソロが──厳密にはイングリッシュホルンという類似の楽器によるものなのだけど──子守り歌のような優しい主旋律を担当する曲だ。わたしにとってはそうでもないけど、由芽が愛してやまない曲の一つ。
ね、これ吹いてみてよ。せっかくオーボエも持って来てるんでしょ。
やだよ。由芽みたいに上手くないし。
わたしはかぶりを振った。自虐でもなければ謙遜でもない。わたしたちの間柄を知っていた子なら、みんな同じ評価を下しただろうと思う。
由芽とは七年前、高校の吹奏楽部で知り合った。わたしと同じオーボエ奏者で、楽器を始めた時期も同じで、けれどもわたしでは比較にならないほどの上達者だった。そのへんの私大の経営学部に進学したわたしを横目に、由芽は音楽大学のオーボエ専攻に合格を決めた。その卓越した才能は誰もが認めるところで、吹奏楽コンテストでもソロを務めるのは大概、わたしでなく由芽ばかりだったのを思い出す。平凡と天才のはざまへ迷い込んでしまったわたしとは違い、由芽は正真正銘、わたしの知らない新世界へ旅立った。
車内がひどく乾燥している。ふたたび窓を開けると、なだれ込んできた海風が車内の空気を激しく攪拌する。べたつく髪を一振りしながら、わたしはハンドルにかじりつく。また、由芽の音が聴きたい。由芽の声が聴きたいよ。口には出さずに、浅い息をした。由芽は無言で窓の外を見つめていた。荒野ばかりの目立つ景色の向こうに、海沿いの堤防が見え始めていた。
人間の声に近い楽器、と呼ばれるものは世の中に色々ある。ヴァイオリンやヴィオラ、クラリネット、トロンボーンなんかが候補に挙げられやすいが、結局は聴き手の好みによるのだろう。わたしにとってはオーボエがそれだった。複雑怪奇な人の心の琴線をひとつひとつ鳴らして、丹念に結わえ上げたような繊細な音色。その美しさに惚れ込んだわたしは、すっかり「世界一難しい木管楽器」の虜になってしまった。
リードも高価、キイシステムも難解。初心者のうちは満足に音すら出せない。中学の吹奏楽部は人数も少なく、オーボエを担当していたのも二つ上の先輩ひとりだけで、その先輩が卒業してからは師事する相手すらいなくなった。高校の吹奏楽部に入った頃、わたしはすでに挫折寸前だった。楽器の乗り換えを本気で考え始めていたわたしを支えてくれたのが由芽の存在だった。由芽の演奏はわたしの琴線を震わせた。こんなにも美しい境地がある、たどり着かないのはもったいないよと唆され、わたしはオーボエを手放せなかった。
由芽に追いつきたい。そう、強く思った。寸暇を惜しんで練習する癖がついたのも高校の頃だ。より巧みに、より高みを目指そうとわたしが努力すればするほど、由芽の演奏も上達した。傍目にはわたしたちは好影響を与えあうライバルであっただろう。
けれどもわたしには由芽のように音大へ進み、遥かな高みを目指すことはできなかった。臆病なわたしは最後の最後で「まともな人間」に戻る道を捨てきれなかった。その中途半端な覚悟の不足が、多分、その後のわたしの衰亡を決定づけた。
一心不乱にオーボエに打ち込むことができたら少しは上達していたかもしれない。でも、現実にはそうはいかない。バイトに追われ、課題に追われ、論文の修正に追われ、練習三昧とはいかないうちに無為な四年間は過ぎていった。オーケストラサークルでも芽が出ることはなく、コンテストで上位にのぼり詰めることもなかったわたしは、もうじき数週間もすれば一般企業へ就職する。ありふれた量産品の歯車として、社会という装置の中へ組み込まれてゆく。それが「当たり前の生き方」だと、わたし自身の半端な選択の結果だと承知している。
海沿いの駐車場はざらついていた。ひとけのない暗闇をハイビームのヘッドライトが灯台のように照らし出した。いまにも木陰から幽霊が覗きそうな丑三つ時の海岸に車を止め、そっとドアを開ける。いまどきのハイブリッド車は本当に音もなく走ってのけるものだと思う。まるで、夜逃げに臨む生活破綻者のように。
全部下ろすんだ?
うん。ここがゴールだから。
そう答えて、後部座席のカバンや楽器ケースを引きずり出す。よろけながら砂浜へ踏み込んだわたしのあとを、滑るように由芽がついてくる。
打ち寄せて砕ける波は地球の鼓動みたいだ。耳をすませば痛いほどに胸が鳴って、息が苦しくなる。抱え込んだ荷物の重さに全身が悲鳴を上げている。きんと冷えた海水に顔をしかめ、それでも我慢して足首まで浸かったところで、わたしはおもむろに顔を上げた。海の底よりも昏い顔色で、由芽がわたしを覗き込んでいた。
死んじゃうよ。
そうだね。
死んじゃっていいの。
それでもいいかも。
へにゃり、わたしは笑った。投げやりな心積もりで言ったのではなかった。右手に掴んでいたリュックサックをばしゃりと水に落とすと、打ち寄せた大波が黒々と手を広げて攫っていった。左手に握った楽器ケースが、ふるりと震えた。
もう、疲れちゃった。兎を捕らえる才能など、わたしには初めから備わっていなかった。いま、ここで二匹とも自由にしてあげる。そうしたらわたしも飢えて死のうかな。行けるものなら由芽の隣へ行って、由芽の奏でる音だけを永遠に聴いていたいよ。
ぽたり、ぽたり、よどみきった心が海面に王冠を描く。覗き込む由芽の顔が練り物のように歪んで、いまにもわたしを飲み込みそうに膨らむ。そのまま黄泉へでも何処へでも連れて行ってくれればいいのに、と思う。
本物の由芽は、死んだ。
高校卒業の直前、卒業旅行の最中に乗用車に撥ねられて。
血だまりに崩れ、白くなってしまった由芽の前で、あのときわたしは誓った。わたしが由芽の後継者になって、日本中を魅了するプロのオーボエ奏者になるのだと決意した。たとえ無謀だと謗られようとも、それが由芽に殉ずる唯一の方法だと信じて疑わなかった。
いまも由芽はわたしのそばにいる。物言わぬ、実体も持たない妄想のイメージとして、どんなときにもわたしの横にいる。わたしがオーボエを手放さなかったのは由芽の鎮魂のためでもある。けれども、もう、いいのだ。
「わたし、ダメなやつだから」
水を蹴る。波がわたしを膝まで飲み込む。抱え込んだ楽器ケースも飛沫を浴びている。
「この四年間、学業も、バイトも、楽器も人間関係も何ひとつ上手くいかなかった。きっとわたしにはプロになる才能も、真人間として生きる才能もないんだと思うの。このまま仕事に就いたところで、いつか潰れて、壊れて、遅かれ早かれこうなるのが分かるから」
霧のような暗闇が景色をおおっている。膨らんだ由芽の姿は溶け込むようにまぎれて、わたしは波の中でたったひとりになった。わたしは笑った。はらりと砕けた笑顔のかけらが頬を伝った。
「ごめんね、由芽」
由芽は答えてくれない。
「わたし、もう息ができないよ」
息が苦しかった。居場所のない講義室の片隅で、締め切られた練習室の奥で、換気の行き届かないバイト先の物陰で、溺れるように暮らしてきた日々もこれで終わりだ。由芽という道標を失ったとき、わたしの人生も同時に死んだ。この四年間、わたしはただ由芽の面影を頼りに生きるだけのゾンビだった。奏者と一般人、二兎を追おうとしてとうとう何者にもなれなかった。
オーボエを介してわたしが奏でたかったのは、わたし自身の心の叫びじゃない。わたしを身代わりにしてでも生き延びたかったはずの由芽の心、由芽の歌だ。由芽の代弁も務まらないのなら、オーボエなんか要らない。楽器なんか、声なんか、命なんか要らない。
ざんと轟音が耳を叩いた。胸の高さを上回るほどの大波が、わたしを跡形もなく飲み込んだ。足をすくわれ、わたしは転んだ。左手からもがれた楽器ケースは、たちまち暗闇の底へ見失った。ずぶ濡れになったわたしの上へ繰り返し、繰り返し、どす黒い波が覆いかぶさる。派手に海水を飲み、喉が壊れるほど噎せながら、由芽が怒っているのだとわたしは思った。塩辛く混濁する意識の底で、このまま一思いに死んでしまいたいと祈った。
『佳苗はさ、佳苗の好きなように吹いたらいいよ』
──高校の吹奏楽部で知り合い、自信なさげにリードをくわえるわたしを見たとき、ほろりと由芽のこぼした言葉をわたしは覚えている。
わたしは葛藤の真っただ中にいた。なまじ難易度の高い楽器に挑んでしまったばかりに、思うように音を出せないのが悔しかった。それは求められる音楽ばかりをやっているせいだと由芽は主張した。好きな曲を好きなようにやればいい、あたしだって普段はコンクールの曲なんか微塵も練習してない──。上級生の目など気にも留めずに、あのとき由芽は堂々と胸を張っていたっけ。
『あたしは自分のために楽器やってるの。楽器は自分の分身、自分の心の声の代弁者だって思ってるから。自分のオールを他人に任せるな、って歌もあるでしょ?』
『でも、そんなの、下手くそな子が言ったって説得力ないし……』
『自信がないならないなりに吹いたらいいんだよ。存在感の強い演奏ばかりが正義じゃない。あたし、ドヴォルザークの〈家路〉とか大好きなんだけどさ。あの曲は佳苗みたいな繊細で、優しい音色の子にこそ吹いてほしいって思うな』
あたしが吹いたら郷愁どころか威風堂々って感じになっちゃうし! ──臆面もなく言ってのけながら、由芽はアルマジロのようになったわたしの背中を押してくれた。熱く、大きな、心の休まる手のひらだったことを、昨日のことのように思い出した。わたしの音色を褒めてくれたのは、後にも先にも由芽だけだった。
我に返ったわたしは、波打ち際に倒れ込んでいた。
時間の経過とともに潮が引いていったらしい。東の空がほのかに赤く染まり始めていた。力の入らない上体を起こすと、一抱えもある物体がふたつ、わたしのそばに流れ着いていた。捨てたはずのリュックと、落としたはずの楽器ケースだった。
無意識に身体が動いて、わたしは飛びつくようにして楽器ケースをこじ開けた。密閉性の高い構造が幸いしたのか、海水の侵入は緩衝材で止まっていた。辛うじて難を逃れたオーボエの管体が、ぐったりと手のひらの上に横たわる。グラナディラ製の下管に巻き付いたキイが、怯えたような朝焼けの空を照り返す。
ごめんね、怖い目に遭わせて。
くしゃりとうなだれたわたしの耳元で、不意にささやく声が聴こえた。
『──佳苗の好きなように吹いたらいいよ』
途方に暮れたような頭のまま、わたしは機械的に手足を動かした。砂浜に座り込み、ずぶ濡れの服をしぼって、力の抜けた手で管体を組み立てた。下管にベルを嵌め、上管を繋げ、リードを挿し込んで角度を調整する。世界最高の取り扱い難度を誇るオーボエは組立作業にも気を遣う。下手にキイを掴むと歪んで音が出なくなるからだ。
波の音が穏やかに響き渡る。
地球が息をしている。
その拍動を足元に浴びながら、わたしもまた、息をしている。
リードをくわえ、呼気を吹き込んだ。とぼけたような円い音がベルを飛び出して、無人の砂浜に延々と響き渡った。楽器ケースのポケットを漁ると楽譜が出てきた。由芽が好きだといっていたのを覚え、長らく形見のように忍ばせていた〈家路〉のパート譜だった。
アントニン・ドヴォルザークの最後の交響曲として知られる第九番『新世界より』は、ドヴォルザークが後年滞在した新世界アメリカから、故郷のチェコを想って制作した作品だといわれている。そこに織り込まれているのは悲観的な哀愁ばかりじゃない。勇気を奮って新天地を切り拓く人々の息吹が、ときおり脈打つように立ち現れる。折れても立つ麦の穂のように、時には後ろを振り返り、切なさに胸を引き締められながら、それでも最後には前を向くのだという逞しさ。そんな複雑な心境をたった一本で音色に変えられる楽器があるとすれば──わたしにはやっぱりオーボエしか思いつかない。
わたしは歌った。かすれかけの喉で息を吸い、壊れかけの楽器で息を吐いた。家に帰りついたら修理の算段をしなければと思った。ぐっしょりと濡れたカバンの中身を覗いて、文字のかすれた卒業旅行の案内をつまんで、読めない文字に目を凝らしていたら急に可笑しくなった。キイに映る濡れ鼠の二十二歳が、あまりにも憐れで滑稽な存在に思われた。笑って、笑って、ぼろぼろ泣きながらまたオーボエを構え直した。
こんな無様な生き様でも、これがわたしの人生だ。
不器用ならば不器用なりに、地を這いながら生きてゆくしかないのだ。
大人になれなかった由芽はどんどん過去へ遠ざかり、わたしはいやが上にも歳を重ねてゆく。新世界に立ち入るわたしを由芽はどんな思いで見つめているだろう。わたしはね、寂しいよ。寂しくてたまらないけど、由芽のいない新世界をもう少しだけ生きてみるよ。この息が続く限り。
『それでいいんだよ』
耳元で声がした。
朝焼けの中に由芽が立っていた。彼女は静かに微笑んでいた。大好きなものへ耳を傾けるように、うっとりと、わたしみたいに寂しそうな顔で。
『佳苗は佳苗のための人生を歩んだらいいの。あたしだけのために歌うなんて勿体ないよ。あんな繊細で、綺麗な──あたしの大好きな声で歌えるんだから』
燃えるように東の空が輝いて、金の光が沈黙を突き破った。カーシェアの契約時間がもうすぐ切れてしまう。慌ただしく立ち上がって楽器を分解し、駐車場を目指した。木々も、雲も、彼方の都会も、お利口なハイブリッド車も、よろめくように家路をたどるわたしも、金色の陽光に抱かれながら穏やかに温もっていた。