はじめて認識されたようです
書類庫を甘くみていたことを、私はすぐに後悔した。
汚い臭い暗い、気が遠くなるほど書類がある。
きちんと整理された倉庫を想像していた私は、すぐに自分の甘さに気がついた。
綺麗にファイルが並ぶ棚もあるけど、ほとんどの棚は雑然としていて、何が入っているのかわからない箱もたくさんあった。それに古くなるほど箱やファイルの文字が掠れていたりして、探しにくい。
最初は棚に置いてあるファイルを年代順に見ていたけれど、これではらちがあかないと諦めて、古いものだから奥から探そうと決めて……書類庫の奥の段ボールの中でようやく見つけた。
私は髪も洋服も埃だらけだし、見た目はボロボロ。
でも16時50分、とりあえず時間内に見つかってホッとした。
だって、ないって言ったらめちゃくちゃ怒りそうだもん、あの人。
さっきの凍えるような視線を思い出して、震える。
ヒミツ云々の前に、不祥事であの人にクビにされそうだ。
探し物は青柳の昔のビデオカメラのパンフレットで、まだビデオが各家庭に一台、なんて珍しい時代の物だ。
私はそのパンフレットを手にする。
これが何に必要なのだろうと思いながら、パラパラと中を覗いてみる。
つい比べてしまう私も悪いけれど、同じ機械でも青柳と大倉では全く違うなと実感する。
それに、やっぱり青柳の機械は画像が綺麗。
大倉にも同じようなものはあったけど、画像の綺麗さは青柳に及ばない。反対に大倉は画質よりも大きさとか軽さが売りだった。
でも時が経つと、その画像の違いが際立つ。
やっぱり買う側が少しでも画質の良いものを買いたいと思うのは当たり前で、だから青柳の機械は売れて当然、ということになる。
でも、あの大きさや重さであれだけの機械を入れる青柳は、やっぱりすごい。
そこが大倉と青柳の違いで、いまだに勝てない理由なんだろうな。
そんなことを考えながら、同じ段ボールに入っていた歴代のモデルのパンフレットを机の上に並べて眺めれば、制作の歴史や技術の進歩を感じられて、面白い。
もしかしたら、今日これを見たいと言った人もこの機械の製作に携わった人で、こんなふうに昔を思い出したかったのかもしれない。
思わず夢中になってみていると、不意に後ろから声がかけられた。
「見つかったか?」
その低い声に振り返ると、井上颯斗がいた。
パッと壁の時計を見ると17時30分だった。
まずい。顔から血の気がひいた。
遅刻してながらものんびりしている私に、冷たい視線が向けられる。
「時間になっても来ないから、諦めたかと思った」
「あ、いえ…見つかりました」
きっと待ちきれなくて探しにきたのだろう。
その証拠に眉間にはしっかりと皺が刻まれている。
私は急いで机の上のパンフレットをまとめた。
井上颯斗が私のすぐ隣まできて、机の上を覗き込む。静かに、わからないくらい小さく頷いて、数冊をピックアップした。
「これとこれを持っていく」
「はい」
それを持っていた紙袋に入れると、身を翻そうとして止めて、私をじっと見つめた。
気が緩みかけていた私は、ついビクっとしてしまう。
「何を見ていた?」
「え?」
「俺が来る前、これをじっと見ていただろう?何が気になった」
そこで片眉を上げた。
「時間を忘れるくらい熱心に、何を見ていた?」
遅刻したことをちくりと注意されて、つい苦い顔になる。
……やっぱり根に持ってたよ、この人。
このままにしてくれるかと思ったけど……ダメだったか。
正直にいうか迷って、別に見ていただけなら、大丈夫だろうと思って返事する。
「ええと……こうして見てると歴史が感じられて面白いなって」
「別に面白くもない。他の商品だってそうだ」
バッサリと切り捨てる言い方に、頬が引き攣りそうになる。
本当に愛想がない。
「そうですけど」
視線を上げると、切れ長の目がまるで、私の考えを探ろうとしているように見てくる。
居心地悪すぎ。
私はもう取り繕うのを諦めて、そのまま話すことにした。
「この機械の映像技術が、今の青柳の機械にも生きている気がしたんです。今の青柳の機械はこの機械の技術が進化した物なのかなって。そう考えると、この機械は今の青柳の始まりと言ってもいいんじゃないかと思って」
完全に私の考えだ。
詳しく機械の説明を受けたわけでもないし、間違いかもしれない。
だけど、多分そうだと思う。
青柳の会社が伸びていくのも、大倉を追い越すようになった始まりも
きっとこの機械から始まっている。
そういう、記念すべき製品なのではないかと。
だけど、それに隣で息を飲む声がした。
驚いて顔を上げて、いつも冷静な井上颯斗の顔がはっきりと固まっているのを見た。
それを見て私は焦る。
かなり見当違いなことを言って呆れている?
かなりおかしな人だと思われている?
今にして思えば、ホンモノの機械製作者を目の前にして、いうことではなかった。
私は早くこの場を立ち去りたい一心で、急いで頭を下げた。
「すみません。変なことを言いました」
片付けて早く出ようと、机の上のパンフレットを手にしたら、隣から声がした。
「あながち間違いじゃない」
「は?」
井上颯斗が私を見ている。
さっきまでの探るような視線はなくて、どことなく戸惑っているような目だった。
「社長だ」
「は?」
「これを見たいと言ったのは社長だ」
それだけいうと井上颯斗は今度こそ私の顔をしっかり見る。
「名前は?」
「は?」
「君の名前だ」
できれば言いたくない。
だけど、言わないという選択肢がないことを理解して諦める。
「石田実桜です」
「石田実桜?」
私の名前を聞いて、井上颯斗はさっきよりもわずかに目を丸くした。
初めて私の存在に気がついたみたいにじっと見つめて
初めて私と彼の視線がばっちりあった。
そう、まるで初めてちゃんと私という存在を認識した、というような顔だった。
視線を逸らさないまま、だけど何か言おうとして口を閉じた。
顔には困惑が浮かんでいる。
その様子に私が困惑する。
「あの」
じっと見つめられることに居心地が悪くなる。
こんな風に見つめられるのは……苦手だ。
だけど、そこで井上颯斗は私に向かって一歩近づく。
すぐに体がふれそうな距離まで来て、そして私に向かって手を伸ばした。
え?
その手がまっすぐに私の顔に伸びてきて、私は咄嗟に逃れようと体を後退させる。
だけど彼の腕の動きが素早くて、私の髪に彼の手が触れた。
思わぬことに心臓がドクンと大きく跳ねた。
何?
半分パニックになる私をそのままに、その手は私の頭の上で止まった。
見上げたら、さっきまで凍るように私を見下ろしていた瞳は、僅かに伏せられてまつ毛が影を落としている。
だからこの人の感情なんて読めない。
少し前にあったはずの戸惑いも、驚きも全部
あっという間に隠されてしまった。
その手は私の頭の上で、少しだけ動くと、すぐに離れた。
そしていつもの冷たい目で私を見る。
「ゴミ、ついてるぞ」
「………は?」
まさか。
井上颯斗は私の目の前で手を開くと、ハラッと埃が宙に待って……ヒラヒラと舞って、落ちた。
うわああああ。
一瞬で顔が真っ赤になった。
だっていくら性格がアレとはいえ、こんな美形によりによって髪についたホコリを取ってもらうなんて……最悪。
平静を装っているけど、本当は叫び出したいくらいだ。
「あ、ありがとうございます」
咄嗟に声が出た私、えらい。
だけど私の動揺なんて気がつかないように、井上颯斗は変わらず冷静な顔のままだった。
恥ずかしすぎる。
その目を直視できなくて俯く私の頭上で、静かな声が響いた。
「また仕事を頼むから」
顔を上げると、視線が合う。
また仕事を頼むと言われたのは聞き間違いか、勘違いかと思っていると
今度ははっきりと、言い聞かせるように大きな声がした。
「また君に仕事を頼むから」
「え?」
「連絡する」
一方的にそう宣言する。
私の目をじっと見つめて、そうして身を翻して、今度こそ出て行った。
私はしばらく呆然としたまま、そこに立ち尽くしていた。
誤字脱字報告いただきました。ありがとうございます。