思いがけない再会
パーティ会場は想像を超える混雑だった。
大きなホテルの会場内は人がたくさんいて、歩くのも苦労する。立食パーティだけど、食べる余裕も元気もない。
お父さんと板倉さんと並んでいると、たくさんの人に声をかけられるし
「娘さんはお久しぶりですね」「ずいぶん大きくなられたんですね」
なんて会話を振られるから、ずっと社交辞令用の笑顔を貼り付けていないといけないし、気が抜けない。
でも、一番気が抜けないのは……
「お疲れですか?」
そう言って当たり前のように隣で微笑む板倉さんだった。
最初に差し出された手はそれとなくスルーしたものの、ずっと隣にいるし、なんというか……
距離が近い。とにかく近い。
何かのきっかけで背中に触れる手や、呼吸が感じられるくらいすぐ隣にあるキレイな顔がさらに緊張を高める。
正直、落ち着かない。
井上颯斗ともこんなに近い距離だったことなんて、たくさんある。もっと近い距離だったこともある。
だけど、あの人の時はこんなんじゃなかった。
そう、もっと自然というか……
緊張はするけど、心地よい緊張感というか……
どことなく安心できるというか……
つい考え込んでいると、そっと背中に手が回った。ハッとして前を見ると、私も知っている会社の方が声をかけてきていた。笑顔で挨拶する板倉さんに続いて、笑顔で挨拶した。
挨拶に来ていた人がいなくなったところで、勇気を出して隣ですました顔をする人に声をかけた。
「あの……」
「なんですか?」
「もう少し、向こうに行ってくれませんか?」
私の必死のお願いが理解できなかったのか、わざとなのか板倉さんは目を丸くして私を見つめ返した。
「向こう……とは?」
「少し近いと思います」
目を逸らすまいと気合を入れて答えると、板倉さんはぷっと吹き出した。
「……なんですか」
「いや、可愛らしいところもあるんですね」
「からかっていますか?」
「距離が近すぎるって言いたいんですよね?今までそんな恋人はいなかったですか?」
何気なく言われた言葉で、頭の中にパッと浮かんだのは、たった一人の顔で。
反射的に顔が赤くなったのがわかった。
だけどそれを見て、板倉さんは素早く顔を真剣なものに変えた。
「恋人がいたとはっきり言われるのは面白くないものですね」
「私、いるなんて言っていませんけど……」
板倉さんはとても冷めた顔で私を見てため息をついた。
「顔に書いてあります」
むぐ、と言葉を飲み込んだ。
なんでも顔に出ているというのは、散々みんなに言われていたから自覚している。
黙ったまま板倉さんを見つめ返すと、ちょうど少し離れたところにいるお父さんが声をかけてきた。
「実桜。こっちだ」
お父さんと話しているのはうちも親交のある会社の方だ。顔を出して挨拶しなさいということなのだろう。
こんな時だから助かったとホッとする。板倉さんは視線を下げると私の背中に手を当てて、お父さんのいる方へ向かって歩き出した。
「婚約者の前で昔の恋人を思い出すのはやめてほしいですね」
「だから違いますって」
「どうですかね」
少し強めに背中に当てられた手が、まるで離される気配がないから私を落ち着かなくさせる。それ以上にこのギスギスした会話がツラい。
「昔のことは、不問にします」
板倉さんが横目で私を見るのを逸せて私は前を向いた。
言い返したいことはたくさんある。
思い出した人は、正確に言えば上司でただの同居人で、そして恋人ではない。
それから、過去のことではない。現在進行形のこと。
でも、訂正するのは何か違う。
言いたくないだけかもしれない。
お父さんの近くに着くと、私も社交用の笑顔で挨拶をした。
******
「すでに疲れた……」
パーティも半ばに差し掛かったところで、ようやくトイレに行って一息ついた。
あれ以来板倉さんとも話しにくいし、パーティはやっぱり気をつかうし、
「来なきゃよかった」
トイレから出て廊下をタラタラと歩きながらつい独り言がこぼれると、急に角の向こうから伸びてきた手に腕を掴まれた。
え?
グイッと体を引かれて、廊下を曲がった少し狭いスペースに連れ込まれた。
誰だと思いながら顔を上げて、驚いて思わず大きな声を上げた。
「課長?」
私の目の前にいたのは険しい顔をした課長だった。
「課長どうしてここにって……あ、いてもおかしくないか」
忘れていたけど、この人は青柳の御曹司なわけだからこの場にいてもおかしくない。
一人で突っ込んでいると、課長はブスッとした顔のままで、私の腕を離すと両腕を組んで壁に寄りかかった。
その顔は険しいし、態度もなんだか太々しい。
せっかくおしゃれなスーツを着てドレスアップしていて、しかも普段は思い切り外面がいいはずのこの人がこんなに不機嫌を前面に出すなんて、一体どうしたのだろう。
「それはこっちのセリフ。どうして君がここにいるの?」
「え?いや、親に言われたので、出ることにしたんですけど……」
「そんな勝手なことをしないでよ」
課長はイラッとしたように髪をかき上げた。せっかくきれいにしているのに、乱れてしまう。
「今日はうちの関係者も来ているんだよ。社長もそれから……ええと、他にも来ているから、何かの時にバレるかもしれない」
「社長は私の顔を知らないですよ」
私の返事に課長は心底呆れた顔をした。
「だから、社長以外にも来ているから。君の顔を知っている人もいる。危機感持ってよ」
大袈裟にため息をついて課長は壁から体を起こした。
「とりあえず、今すぐ帰って。お腹が痛いとか疲れたとか飽きたとか、理由はなんでもいいから」
「飽きたって……」
いくらなんでも大人がその言い訳はダメだろう。
「なんでもいいよ。絶対にいない方がいい。いや、いたらダメだ」
「いない方がって……」
「そう。見ない方がいいこともあるから、早く帰って」
キッパリと言い切って課長は顎で会場を示した。
「君が言えないなら、僕が君のお父さんに言ってくるよ。それくらい、いない方がいい、というよりいたら困る」
なんだか大事になってきた。
でもそんなにいうなら帰った方がいいんだろう。
それに、やっぱり職場でバレるのは困る。
私は課長の顔を見て、小さく頭を下げた。
「じゃあ、何か言い訳を考えて、帰ります」
「そうして。早くしてね」
そこで、課長はふと心配そうな顔をした。
「その、噂を聞いたんだけど……君、実家の会社の人と結婚するの?」
「え?」
思わぬことを言われて、目を丸くして課長を見ると、課長も困ったような顔をした。
「君のお父さんの秘書と結婚するって。それで後継を専務に上げるって噂が結構いろんなところに流れてる」
「いや、まだ決まったわけでは……」
課長は呆れたように息を吐いた。
「じゃあ、誰かが意図して広めているんだね。と、するとあの秘書か……」
その言い方に、課長は板倉さんを知っているのかと驚く。
「板倉さんのこと、知っているんですか?」
課長にじろっと睨まれた。
「知っているよ。あんなに前に出てくる秘書って君の家くらいだよ」
「そうですか……」
ぐいぐい前に出る板倉さんが頭に浮かんで苦笑いした。
なんだか簡単に想像できるよね。
「あの人、やり手みたいだね」
「知りません」
「結婚相手なのに?」
ブスッと言い返したら、課長も睨み返してきた。
「すでに自分が後継だって顔で働いているらしいよ。まあ僕には関係ないけど。でも、あいつが大倉の社長だったら、大倉と業務提携とかしたくないな」
確かに課長と板倉さんが性格的に合わない気はする。
なんというか課長がめちゃくちゃにイライラしそう。
一人納得していると、課長は私へ顔を向けて、ものすごく残念そうな目をした。
「石田さん、ああ言うのが好みだったんだね」
ムッとして思わず課長の肩を叩いた。
はっきり言っておきたい。
好みではないですって!
だけど課長はしれっとそれを避けて、ニヤッと笑った。
「石田さん、もっと男性の趣味がいいと思ったんだけどな」
「だから違いますって」
今度こそ課長をバシンと音を立てて叩いたら、大げさに顔を顰めた。
「じゃあ、そう言えば?」
「……え?」
「嫌いなら嫌いって言えばいいし、好きなら好きって言えば?」
笑っているのに目だけが真剣に言うから、思わず体が固まった。
だけどそんな私を見て、課長は肩をすくめると、先に歩き出した。
「じゃあ、早く帰ってね。お疲れ」
そう言って課長は一人でさっさと会場に向かった。
その後ろ姿を見送って、私も歩き出す。だけど会場には行けないから、とりあえず庭にでも出ることにする。課長は簡単に帰れと言っていたけれど、なんと言い訳したらいいかと考えていると、ふと庭先にいる男女二人組が目に入った。
そして、足を止めた。
遠くからでも、私にはその人が誰かわかった。
正確には男性が、誰か。
そこにいるはずのない人が、そこにいた。




