あと何回
帰りの車の中で、私はようやく本来の目的を思い出した。
「そういえば社長は?説得できたんですか?」
「ああ。なんとか。急いでタクシーに乗せたから間に合ったはずだ」
それに胸を撫で下ろす。
イケオジの社長の姿を見られなくて残念だけど、仕方ない。
「よかったですね」
「全く良いことなんてない。こんな時間になったら、あの店は無理だ」
時計を見れば19時は過ぎている。人気のお店ならもう無理だろう。
「あ、たしかに」
のんきに返事した私を見て、井上颯斗はため息を吐いた。
「まぁ、元気そうだから、大丈夫か」
「え?」
じっと見つめてくる目を見て、自分が心配されていたのだと理解する。
「私、元気ですよ」
「そうか?最近元気ないじゃないか」
それにドキッとする。
たしかに最近悩んでいるのは事実。
実家のこと、仕事をどうするのかってこと、
それから……板倉さんのこと。
悩むことが多すぎる。
「考えこんでることが多かったから、気になってた」
「……」
よく見てるなと感心して、でも同居人のことを心配するなんて当然だと思い直す。
「でも元気になりました。今日も会長さんも良い人で楽しかったし」
「そうか。また会いに来ればいい。引退してからよくあそこでのんびり機械を作っている」
返事に詰まる。
普通に考えたら、もういくことなんてない。
これで会えなくなるのはさみしいけれど……でも、ないよね。
もしかしたら、私が大倉に戻ったらパーティなんかで会えるのかな。
その時も、今日みたいに優しく笑ってくれたらいいと思う。
つい黙って考えていると、隣から声がした。
「大丈夫だ。ちゃんと連れて行くから」
「え?」
「一人だと行きにくいだろ」
どうやら一人では行きにくいと考えて、悩んでいると思われたらしい。
それは間違った気遣いだけど……
でもなんだか嬉しかった。
私は笑って隣を見た。視線があって笑う。
「そうですね。連れてってください」
少ししてこの人は息を吐いた。
「夕食にどこか店があるかな」
予定していたお店に行けなくなったから、他を考えないといけない。
そこでいいことを思いついた私は声を上げる。
「牛丼にしましょう!」
「……は?」
「だってまた行こうって言って、まだ行ってないですよ。行きたいです。今日は約束通り私が奢りますので」
「ええ?どうして石田が奢るんだよ。めちゃくちゃだな…」
私を心配して、きっと元気づけようとして外で食事をしようと思ったのだと思う。
だけどそれが牛丼とは考えなかったのだろう。
顔を苦いものにして……だけどもう家まであと少しだったから、諦めたように駐車場に車を滑り込ませた。
「牛丼なんていつでも食べられる」
「でも、今日は牛丼気分です!絶対!牛丼」
「まあ、石田がいいならいいけど」
だって、私とこの人って
あと何回一緒にご飯を食べられるだろう。
多分思っているよりずっと……その回数は少ない。
あの時した約束だって、いつか行けると思っているうちに時が経って、ぼんやりしていたら実現しないままになってしまう。
だからいましかない、と思う。
借りは返さないといけないし……
後悔しないようにしないとね。
駐車場をでると、二人で歩いて大通りに出る。
駅前について、少しぼんやりしていた私はそのまままっすぐ歩こうとした。
「石田。こっちだ」
声とともに手首が掴まれた。
顔を上げると隣のこの人が私の歩いていたのと反対方向を指で指した。
「ここの先を曲がった所にある」
「ハイ」
この人の後をついて歩こうとしたら
井上颯斗は私の手首を掴む手を離すと
するりと手を動かして、ごく自然に私の手を握りしめた。
………え。
戸惑う私と反対に全くいつも通りの顔で話し続ける。
だけど私の心臓はありえないくらい早く打って、いつも通りではない。
いつも通りになんて、いられるはずがない。
落ち着かなくて、その手をスルリと外そうとしたら
それより少し前にその手がぎゅっと握り込まれた。
どうして?
その理由を探すけれど見つからない。
「ぼーっとするな。はぐれる」
少し前を歩くこの人の顔はよく見えない。
だから、どんな表情をしているかわからない。
「でも…一人で大丈夫ですよ」
その返事はない。
小さな声だったから、聞こえなかったのかなと思ったけれど、
もう一度言うのは、なんだか嫌だった。
なんとなく繋がれた手に力が入った気がする。
それが嬉しかったからかもしれない。
そしてその手は私たちがお店に入って
カウンターの席に並んで座るまで……
繋がれたままだった。
その日の夜、私は決心した。
次に板倉さんから連絡がきたら素直にそれを受けよう。
そう決めたら、偶然なのかすぐに連絡が来て
次に会う日が決まってしまった。
なんというか、ものすごくタイミングが良くて、信じられない。
そしてついでのように、話をされた。
今度大倉と仲のいい会社の創業パーティがあるらしい。
8月の終わり頃の休日。
もちろんお父さんもお母さんも行く。
「よければ一緒に行きませんか?」
電話の向こうのさりげない会話の中に、圧を感じる。
断りたいなと思う。
今までなら即断っていたはずだけど、なんとか踏みとどまる。
あの時、会長さんと話していて感じたこと。
ちゃんと実家とも向き合おうって。
「じゃあ………行きます」
私の返事に驚いたのか、電話の向こうで息をのむ気配がした。
え、そんなにおかしい?
戸惑っていると、今度は笑った気配がした。
「そうですか。楽しみですね」
それに、なんだか落ち着かない気持ちになった。
季節は夏になって、私と井上颯斗の同居は3ヶ月になって、そして私のタイムリミットまであと8ヶ月。
終わるまでの日々をあと何日…と数えてしまって
ため息を吐いた。
私とあの人が一緒にいられるのは、あと数ヶ月で。
私が目の前からいなくなったら
あの人は私のことを思い出してくれるだろうか。
そう考えて、一番大きなため息をついた。




