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ひとりぼっちの家

グッと手を引かれて、体が板倉さんの方へと引っ張られる。そのままぐらりと傾いた体を、板倉さんの反対の手が素早く私の背に回って支える。体がぶつかりそうなところを、両足に力を入れて、寸前で踏みとどまった。


ちりん。


そんな軽快な音を立てて、だけどものすごいスピードで自転車が私のすぐ横を駆け抜けた。

そのあまりのスピードに、私の周りで風がふわりと生まれた気がした。


歩道をあり得ない速さで自転車が通り過ぎても、私は目を丸くしたままで


「危なかったですね」


その声にハッとして顔を上げた。

すぐ近くに板倉さんの顔があって、驚いて体を離そうとして、掴まれたままの手を自分の方へ引き寄せる。


だけど、それより前に板倉さんが力を込めた。

そのせいで私たちの手は繋がれたままで……、顔を上げたら視線が絡んだ。


決して痛くなるような強い力ではなくて、ただ私を引き留めるためだけに、優しく触れているだけと思うのに、それがどうしようもなく心地悪い。

だからつい、掴まれた手を見てしまう。

板倉さんはじっと私を見つめてから、ようやく私の手を解放した。



「また、連絡します」



少しだけ強めの口調は、私に本気度を伝えてくる。


板倉さんが笑う。

「さっきの話は本気ですから」

笑っているのに、目は本気だ。


言われなくても見てればわかる。

それでもいうなんて、それで私に意識させるつもりなんだ。


そこで板倉さんは私の顔を覗き込む。

目を見つめる。

私の気持ちもわかったうえで、ダメ押しをしてくる。



「だから、実桜さんも真剣にお願いします」



真剣にって……



まだ覚悟もできていない私には、難しすぎる話だ。





******


家まで送るという板倉さんを断るのは大変だった。

まさか男性と同居している家に送ってもらうとか、あり得ない。

それに実家にはこの人の家に転がり込んでいることも秘密になっているし、まちがってもバレるわけにはいかない。




家に帰って、ようやく肩の力が抜けた。

だけど井上颯斗はまだ帰ってきていなくて、それになんだか気持ちが落ち込む。


まあ、ゆっくりしてくださいって言ったの、私だけど。



お風呂に入って一人で広い家のなかでポツンと座ってのんびりする。

だけど頭の中はどこか上の空で、見たくもないドラマを見ている。


隣に人がいないだけで、体が寒く感じて、それをどう埋めていいのかわからない。

数ヶ月前までは当たり前のように一人だったのに、急にこんな風に思うなんて、変だ。



それに一人になると、ついさっきのことを考えてしまう。


私が板倉さんと付き合うこと。

そうしたらきっと、今の数倍も楽だってことは自分でも悲しいくらい理解できて。

だけど……それは反対に今まで頑張っていたことが、ゼロになることを示している。



それに、そうなったら、私はここから出て行かないといけない。

そんなことを考えて、気持ちがずんと暗くなる。


そうして時計を見たら、もう23時になる頃だった。

それを見て、急に心配になってきた。



遅い遅い。

こんなに遅くなること、ある?

もしかして事故にあったとか?それとも……


もしかして、急に実家に泊まることにした、とか?

それとも…実家ではないところ。

他の……女性のところとか。



そう思った瞬間、私はソファから立ち上がった。

だって落ち着いてなんていられない。


そんな人いないって言ってたし、一緒に暮らしていて恋人がいるような素振りもなかった。

でも……、私に気を遣っただけかも知れない。


だとしたら、本当に、お泊まりとか?


考えたら急に心臓がバクバク動いた。




そりゃあ、それがダメってことはない。

私はただの同居人で、あの人は自由に恋愛をしていい男の人で、

その権利があるひとに、何の権利もない私が文句を言うなんてありえない。

だけど、だけど……


家族の会だと言っていたのだから、それを信じればいいのに、変なことばかり考えてしまう。


そこで、玄関のドアが開く音がした。



帰ってきた!


走って玄関に行ったら、井上颯斗がドアにもたれかかるようにして立っていた。

「井上さん?どうしたんですか?」

慌てて駆け寄って今にも玄関に座り込みそうな体を支える。


持っていたバッグを奪うようにとって廊下に置いて、急いで肩の下に自分の肩を入れて倒れるのを防ぐ。

「井上さん?」

具合が悪いのかと心配になって顔を覗き込む。


伏せた目が僅かに開いて、だけど私の視線と合わないまま、また閉じられた。

「い…しだ」

かろうじて出た声は弱いもので、顔は真っ赤だった。


おかしい。

体調が悪いのかとおでこに手を当てたけど、熱はない。

一体何事?


「井上さん?どこか具合が悪いんですか?」

井上颯斗は普段からは考えられないくらいゆっくりと首を振る。


「兄貴に、少し……飲まされて」

「まさか…お酒飲んだんですか?」

驚いて聞き返すと、井上颯斗は弱々しく頷いた。


同居して最初の頃、井上颯斗はお酒が弱いと聞いて意外だなと思った。だってなんとなく強そうに見えるから。

私もお酒を飲まないから、家で二人でお酒を飲むことなんてない。だから実際どのくらい弱いのかは知らなかったけど……、少し、でこんなに酔うなんて、本当に弱いのか。



「一杯だけ付き合わされた。あの人、酒強いから…」

あの人ってお兄さんか。

兄弟ならお酒に弱いのを知っているはずなのに、どうして飲ませるのかと見たこともないお兄さんに腹が立つ。

ちゃんと考えてあげなよ!性格悪い。


それにしても、足もふらふらで、体を支えることもできない状態でよくここまで帰ってこられたな。

実家なら泊まった方が楽だったのに。

そんなどうでもいいことに感心してしまう。



とりあえず、もう寝かせたほうが良さそうだ。

私は体を支えながら、廊下を歩いて井上颯斗の部屋まで連れて行くことにする。

「井上さん、私に捕まってください」

「うん……」

消えそうな声で返事をして、眠そうに目を瞑った。

そのまま私の体にぐっと体重がかかる。


ちょっと待って。

重いよ。


予想以上の重さに私まで廊下に倒れこみそうになって、急いで手を廊下に突いて身体を支える。


やっぱり自分より体の大きい人を連れて行くって無理。

寝ている人間って重いっていうし。



玄関から近いはずのこの人の部屋にはなかなか辿り着かない。

よろよろしながらようやくドアを開けて中に入る。


「井上さん、つきましたよ」

机と本棚とベッドだけの部屋はいつも通り片付いていて、私は部屋の奥のベッドに向かう。起こさないように、ゆっくり体をベッドに横たえようとして……


やっぱり一人で運ぶには、井上颯斗が重すぎて、


「うわっ」


結果、体のバランスを崩して、ベッドにダイブすることになってしまった。



「わわっ」


井上颯斗が先にベッドに倒れて、その上に思い切り乗っかる形で私が転がる。


まずい。

思い切り上司を下敷きにしてしまった。


焦って飛び起きる。

「すみません!井上さん」

土下座せんばかりに謝ったけれど、井上颯斗は目を瞑ったままびくりともしない。ベッドに倒れこんだままの体勢で、目を閉じて静かに寝息を立てている。


しかし、寝ている顔が完璧にきれいだな。

そんなどうでもいいことを考えて、つい見入ってしまう。

寝ているせいか、すこし幼くも見える。


ベッドに落とされても、私にジロジロ顔を見られても、目を覚ます気配がなかった。

かなりぐっすり寝ている。

やっぱり普段は疲れているんだろうな。

明日は休みだからゆっくりさせてあげよう。


そのためには少しでもゆっくり寝てもらった方がいい。

「スーツ、シワになりますから、脱がせますよ」

ジャケットもネクタイもしたままでは寝にくいだろうと、声をかけて、恐る恐るジャケットを脱がすと、クローゼットのハンガーにかけて、それからネクタイを外してシャツの襟元を緩める。


シャツの襟からのどがのぞいた時に、なんだか私がこの人を襲って脱がせているようで、

勝手に顔が赤くなる。

居心地悪い。


平常心。こんなのなんでもありません。

人命救助とか、けがをした人を助けるのと同じ。



ブンブンと頭を振って、変な考えを振り払う。

さすがにパンツは脱がせられない。

ジャケットもしわになってしまったから……、明日まとめてクリーニングだな。

そこで息を吐いた。

だけど、お水くらい飲んだほうがいい。



そうだ。ベッドサイドに水があった方がいい。

キッチンからペットボトルを取って置いておこう。



そう思ってベッドを降りようと脚を伸ばした時だった。


片足を床につけて体重をかけたら、グイッと背中から服を掴まれた。反射的に振り返ろうとしたら、それと同時に背中が強い力で引かれて、体のバランスを崩す。


「わわっ」


身体が大きく後ろに傾いた時、私のお腹に後ろから両手が回った。


え、


そのまま腕をぐいと引き寄せられて………



私はもう一度、背中からベッドに勢いよく倒れ込んだ。


「うわっ」


思い切りよく背中からベッドに落ちて、だけど不思議と衝撃はなかった。



そして、いまどうなっているかも理解できないうちに





信じられないくらい素早い動きで、


何かが私の上に覆いかぶさってきた。







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