会いたくない人と会う
その夜、私はとても緊張しながら待ち合わせ場所の駅前で立っていた。
時計は19時。
これから食事や飲みに行く人で楽しそうな気配が漂う中で、私の顔は強張っている。
それはこれから会う相手が、会いたくない人だから。
始まりは数日前だった。
仕事が終わってロッカーから出た時に、電話が鳴った。
頭の中は今日の夕飯とその買い物のことでいっぱいで、
そしてこの電話は同居している上司かもしれないと思った。
急な仕事で遅くなる、とか、夕飯がいらない、とか
そんな電話かなと考えてしまったのだ。
だって最近私の電話を鳴らすのは、ほぼ、あの人しかいないのだから。
電話を取る直前に画面を見て、見たことない番号だな、と思ったけれど……
結局、電話に出てしまった。
「石田です」
「お久しぶりです。実桜さん」
その電話から聞こえてきた声に、電話を切ってしまおうかと思った。
だけどその前に、向こうが話を始めてしまった。
「板倉です」
思わず心の中で舌打ちした。
出なければよかったと思った時には、、もう遅い。
******
板倉さんの要件は、お母さんから預かったものを渡したいのと、お父さんの大事な伝言を伝えたい。
だから、どこかで時間をとってほしい。
ということらしい。
別に生物でもないし、大荷物でもない。
だから実家に置いといて、今度取りに行きます。伝言もその時に、でもいいわけだけど……
それで引く人ではないと思う。
そもそも教えたはずのない電話番号を知っていると言うことは、親が教えたことに間違いはない。
まあ、うちのお母さんは板倉さんのことをそれなりに気に入っているから、仕方ない。
顔もいいし、優秀だっていうし、優しそうだし………いいんじゃないかしら。
お母さんにそう言われたことがある。
そう言う問題じゃないんだってば。
だけどお母さんは板倉さんでいいじゃないと言っている。
ソツのないイケメンは、きっと簡単にお母さんの気持ちを掴んだのだろう。
ため息しか出ない。
で、そんなソツのないイケメンは電話口で色々と言って、電話でも言葉巧みに私を誘導して
私と会う約束を取り付けたのだ。
私の仕事のことを考えたら、板倉さんだって会わない方がいい。
だけどあれこれ言って断ろうとする私の先回りをして、板倉さんは話を進めてしまう。
よく考えればうちのお父さんに優秀だと絶賛される板倉さんに、私が敵うはずがない。
ため息しか出ない。
だけど、一つだけラッキーだったのは、
井上颯斗が同じ日に予定があったことだ。
この間のこともあるし、なんと言って出かけようと思っていたら
「悪い。金曜の夜は実家に行くことになった」
母親の誕生日で、実家で家族が集まって食事会だという。
なんだかすごい。
井上家、仲がいい。兄弟がいると賑やかだなとちょっと羨ましい。
「じゃあ、ご兄弟も集まるんですね」
「まあな」
あまり気乗りしない様子で返事して、親子丼を口に運んだ。
「だから、食事もいらない。あんまり遅くならない予定だが……帰りはちょっとわからない」
「いえ。気にしないでください」
私は笑って返事した。
「せっかくなので、家族で楽しんでください」
内心、ホッとしていた。
変な嘘をつかなくていいのは助かる。
何かお祝いを持っていくのかと思っていたら、適当にお菓子でも買っていくつもりだという。
だから私はそれに猛烈に抗議した。
それは、ダメ。
買いに行く時間がないというこの人に、ちゃんとプレゼントを持って行った方がいいと説得して、急いで仕事帰りに二人で買いに行った。
何にしようか迷って……明るい緑色の日傘にした。
少し派手な色だけど、落ち着いた上品なデザインに仕上がっている。
会ったこともないし、会うこともないだろうけど、私の中の井上颯斗のお母様は落ち着いた美人ということになっている。
だからきっと、この日傘も似合うはず。
そして今日、井上颯斗はお土産を持って出かけて行った。
あのプレゼントを見て、喜んでくれるかな
それとも、好みじゃないって言われてしまうかな………。
そんなことを考えていると、目の前に影が差した。
はっとして顔を上げると、すぐ近くで板倉さんが笑顔で私を見ている。
「お待たせしました」
「……どうも」
私は板倉さんを見つめる。
仕立てのいいブルーのスーツを着た板倉さんは手に紙袋を下げていて、これが今日の目的の渡したいもの、なのだろう。
「じゃあ、お預かりします」
そう言って手を伸ばしたら、それをサッと遠ざけられる。
驚いて見上げると視線があって、にっこり笑われた。
「よければ一緒にお食事でもいかがですか?金曜の夜ですし」
やっぱり、と私は顔を歪めた。
金曜の夜なんかにうっかり会う約束をしてしまった自分に腹が立つ。
そして、結局
私はそれを断ることができない。
電話から会うことから食事に連れ出すところまで
思い切り、思い通りにされている。
******
板倉さんはそこから少し歩いたお店に私を案内した。
どうせ高級フレンチとかに連れていかれるんだろうと思っていたら、意外にも小さな家庭的な雰囲気のイタリアンだった。
適度な賑やかさと庶民派な店に、肩の力が抜ける。
「こう言うお店の方がいいでしょう?」
「え?」
「堅苦しいのは嫌だろうなと思って、カジュアルなお店にしましたけど、いいですか?」
有名な星付きのお店で、ちゃんとしたフルコースを楽しむ。
そんな王道豪華デートを行いそうだから、なんだか意外だった。
黙った私に、板倉さんはにっこり笑いかけた。
「気に入ってもらえたみたいでよかったです」
私の気持ちを読むような言葉に、苦い顔を逸らせた。
板倉さんはお酒を飲んだけど、私は得意ではないから断った。会話が上手なのは前と同じで、だから会話には困ることもない。板倉さんは終始穏やかで、前みたいな押しの強さも無いし、本当に会社の先輩と食事に来たような様子に、拍子抜けした。
「これをお渡しします」
食事が終わると紙袋を渡された。
中身はアクセサリーで、この間いいのが欲しいと私が言ったから用意してくれたとわかる。
別に今でなくていいのに………。
思わずガックリと項垂れた。
お母さん、キラーパスはやめて。
「ありがとうございます。わざわざお忙しいのにすみません」
丁寧に言って頭を下げた。
次に板倉さんはお父さんの伝言と言って、私の前に一枚の紙を差し出した。
中には今年の年末から来年にかけて行われる財界のパーティの日程が書かれている。
「これに出席してください、とのことです」
「出席って………」
「これは私も出席予定です」
またか、と思った。
私も出る。板倉さんも出る。
私を板倉さんを引き合わせて、さらに私たちの関係を周りに教えようってこと、なんだろう。
ため息をついて、反論しようと顔を上げたら、こっちをみる板倉さんと目があった。
その目を見て、なんだか面倒なことになる予感がして、身構える。
「また、こうして会えませんか?」
そう満面の笑みで言われて、それが当たったことを確信した。




