いきなりバレてしまったわけなのですが
私と課長が会ったのは、まだ私が子供の頃の財界の集まりだった。
ああ言う会はみんな家族づれで来て、大人はパーティに行って、子供は託児室で子供同士で遊ぶのが常だった。
そこで私は課長に何回か遊んでもらったという。
申し訳ないけど、全く覚えていない。
どうやら子供の時の私は『春に生まれたから実桜って名前なの』と何回も課長に説明したそうだ。
それで課長の記憶に私の名前が残って、今回ピンときたというから……
余計なアピールをした子供時代の自分が恨めしい。
私たちが最後に会ったのは私が10歳。課長が18歳の時。
会わなくなったのは、課長が大学生になったのもあるし……
一番の理由は、うちと青柳の関係が悪化したこと。
そして、私も課長もそれをよくわかっている。
私が落ち着くのを待って、課長は机の上の私の履歴書を指さした。
「石田って親戚の名前?」
頷くと課長は苦い顔になった。
「こういうのはすぐバレるよ……まあ、他にも親戚の名前で働いてる人がいるから、いいけど」
きっとその人も私みたいな訳ありなんだろう。
みんな色々あるんだな。
どんな理由なのか聞いてみたいけれど、この課長が大人しく本当のことを教えてくれるとは思えない。
課長は人当たりもいいし、デキる人が持つオーラみたいなものがあった。
だけど、絶対に腹黒。
オロオロする私をじっと笑顔でみていたのだから、間違いない。
最初の私の警戒センサーは間違っていなかった。
課長は顎に手を当てて考え出した。
「君を普通に採用するとして、所属をどこにするか迷っているんだけど……」
「え?ここまで来て不採用とか、あります?」
無職という単語が頭に浮かんで、さああっと血の気がひく。
まずい展開かも知れない。
課長はじとっと疑う目で私を見る。
「事と次第による。こっちも会社を守らないといけないからね」
そして大きく息を吐いた。
「やっぱり大事な部署には行かせにくいんだよね。会社の機密とか製品情報は触れさせたくないから……」
もちろん、課長の考えはよくわかります。
私がその立場でも悩みますよ。
製品の……特に開発中のモノとかには私を近寄せたくないし、製品製作スケジュールも同じ。
制作部の人の情報ももちろん見せたくないだろう。
これだけ大きな会社の社長(の息子)なら当然だ。
だけど、そんな心配いりません。
今こそ、私の希望を伝える時が来たのだ。
私は身を乗り出して熱弁した。
「重要じゃない部署に行きたいです」
「……は?」
固まる課長に、私は力強く言い放った。
「ここで静かに働くことが私の望みです。絶対に問題は起こしません。会社の機密にも会社の製品にも関わりません。仕事はなんでもいいので、できることを一生懸命に頑張ります。だからここで働かせてください」
一気に言って、額を机に擦り付けんばかりに頭を下げる。
多少オーバーだけど、私は必死だった。
ここでクビになる訳にはいかない。
クビになったら実家に強制送還で即お見合い結婚。
それだけは、阻止しないと……!
それに、あと1年で良いひとと出会って、あっという間に恋人になれるかもしれないじゃない?
その人がお父さんに認めてもらえるくらい、超がつくエリートかもしれないじゃない?
もちろん、可能性は低いけど。
だから、この1年は恋人探しにも力を入れるよ。
できれば5時ピタで退社して、社外活動も力を入れたいのだ。
そのすべてはここでの仕事次第。
無職になったら、終わりなのだから。
私の運命はこの目の前の腹黒課長が握っている。
必死の私を見て、課長の目がわずかに反応する。
「大倉は最近ずっと業界2番手だから、絶対に挽回したいよね。情報収集のために君のお父さんが娘を派遣したってことはない?……つまり、大倉のスパイ」
私はガックリとうなだれた。
絶対にこう思われる気がした。
ライバル会社の娘なんて、結局スパイ扱いだ。
「あるとしたら、うちの内情を調べたり新製品を探ったり、あとは開発者の引き抜き、かなあ」
勿体ぶるように言う課長は意味ありげに私を見る。
そんな視線に負けてはいけない。
私は姿勢を正すと、真剣な顔をする。
課長に簡単に父との約束について説明した。
無職になったら実家に強制送還されること。
それから、いい結婚相手も見つけたいこと。
それを阻止したいから、なんとしてもここで働きたいということ。
「そんなわけで親と喧嘩しているので、スパイなんて絶対にありません」
絶対をこれ以上ないくらい、強調する。
「本当?」
「本当です。商品のことも会社のことも探るつもりないですし、知りたくもないです。父とは超絶仲が悪いですし、実家に帰る予定も26歳までありません。だから信じてください。私も必死なんです」
それでも目を細めて疑ってくる課長に私は手を合わせた。
「お見合い結婚だけは阻止したいんです!」
視線を向けると、課長はじっと私をみていた。
探るような視線は、きついけど仕方ない。
「……絶対に会社の機密には関わらないって誓える?」
「誓います。絶対に関わりません」
しばらく課長はじっと私を見て、私はそれを見つめ返した。
目をそらしたら負ける気がしたから、目を逸らさなかった。
少しして課長は息を吐いた。
「一応、そこは信用することにするよ」
「ありがとうございます!」
「一応、ね」
安心したのも束の間、課長は眉を寄せて考えるような顔をした。
「つまり、石田さんは製品開発部は嫌なの?」
私は眉を寄せた。
この人は私の話を聞いていたのか?
製品開発といえば、一番知りたくない情報がゴロゴロしている場所だ。
そんなところに行きたくないと言ったのに。
「開発だけはないです」
課長はうーんと考え込んだ。
「製品開発に興味があるのかと思った。だって機械の勉強もしてるでしょう?」
私は苦笑いした。
履歴書には私が機械の勉強をしたことは書いてないのに、なぜ知っているのだろう。
すごい情報網だ。
でも……機械製作を勉強したい気持ちもあったけど……
もう時間もないし、頑張っても意味はない。
胸がちくりとするのを感じながら、私は胸を張って課長を見つめ返した。
「ないです」
「本当に?」
課長は言いにくそうに下を向いた。
「君は大学もいいところを出ているし、前の会社でも真面目で仕事も正確って評判も良かったし……一人娘だってことを考えたら、本当は実家で頑張ろうって思っていたんじゃないの?」
ドキッとした。
だっていう通りだったから。
そうだったんだよ。最初は。
大学を卒業して、機械製作を学んで、それを大倉に戻って生かそうと思っていた。
だけどいつの間にか、そんな気持ちが薄れてしまって……。
雑用担当、と岸くんに言われた時を思い出して、苦しくなった。
そういうのは、もうずっと前に諦めた。
今、一番大切なのは、仕事をすること。
内容は関係ない。働ければそれでいい。
じっと見つめてくる課長に、はっきりと私は首を振った。
「興味無いです」
課長はしばらく私の顔を見て、そして視線をずらすと
「わかった」
そう言って肩をすくめた。