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夕食

その日の夜、私はとても丁寧に夕食を作った。

メニューは迷った末に、トマトソースのハンバーグとほうれん草としめじのソテー、ブロッコリーと卵のサラダという雑誌とかで『彼氏が喜ぶ』なんて言葉が尽きそうな、王道のメニューにした。


とりあえず、ものすごく緊張して作った。


ひき肉は丁寧に炒めた玉ねぎと卵、パン粉に塩胡椒してよく捏ねる。しっかり捏ねてから小判型にまとめたら、フライパンでハンバーグの両面に焼き目をつけて、一度取り出してソースを作る。ソースはたっぷりきのことトマト。並行してブロッコリーと卵を茹でて、マヨネーズとたっぷりの黒胡椒で和える。ほうれん草とキノコとはシンプルに油で炒めて塩胡椒で味付けてハンバーグに添える。

お味噌汁はシンプルに豆腐とわかめ。


オシャレというよりは、定食屋のメニューみたいだけど、他にいい組み合わせが考えられない。何を作るにも不安で、何度も味付けをチェックしたけど……

これをあの人の前に出すときは思い切り緊張した。



「あの…どうぞ」


井上颯斗は私の出した料理を見て、はっきりと驚いていた。



おそらく、私がこんなにマトモな料理を出すと思っていなかったのだと思う。

とりあえず、言葉を失っていた。


どうせきっと、私のことを料理オンチとでも思っていたのだろう。


大倉家花嫁修行をナメないでほしい。



少しして気がついたように綺麗な長い指でお箸を持つと、お手本みたいな所作でハンバーグを口に運ぶ。

それがごくりと飲み込まれると、じっと私を見つめた。



「石田」

「はい……」

「うまい」



その一言が聞こえるまで、本当に息もできないほど緊張して……だから、褒めてくれたとわかったとき、身体中の力が抜けた。

「よかった……」

井上颯斗の反対側の椅子に座ったまま、思わず机の上にへたり込もうとした私を見て、呆れたような顔をした。

「大袈裟だな」

「まずいと言われたら立ち直れないですよ……ひとまず、よかったです」

だって仕事中のこの人はとても辛口だったから、サラッと爆弾を落としそうで怖かった。


「作ってもらってまずいとか言うわけないだろ」

「いや、仕事中の井上さんなら、間違いなく言いそうです」

それに思い切りムッとした顔をした。

「失礼なやつだな」

言いながらもお箸は動いて、着々とおかずが減っていく。


きっと、言葉通り美味しいと思っているのだと思う。

嬉しい。



「今度は井上さんの好きな物を作ります。教えてください」

「そうだな、考えとく」


他愛もないことを話しながら、二人で食事をする。

私も数年は一人暮らしだったから、こんなふうに人と話しながらの家での食事は久しぶりで楽しい。


不思議だなと思う。

この人は近寄りたくない上司だったのに、こんな風に一緒にご飯を食べたり、ましてや同じ家で暮らすなんて、考えたこともなかった。

不思議だ、とても。


食事が終わって、お茶を飲んでいるとき、私は改めてこの人に頭を下げた。

「いろいろ……ありがとうございました」

「どうした、急に」

「井上さんには感謝しています。家に置いてくれて本当に助かります。今日のことだって……」




あれから、井上颯斗は私にワンピースを買ってくれた。

華美すぎないそのデザインはギリギリ会社にも来ていけるもので、だけど値札を見て目を丸くしてしまうほど、高かった。家がなくなる前の私でも、きっと買わない。

あんなに綺麗な服を着ていく場所もないのに……なんだかもったいない。


でも、それをこの人は顔色ひとつ変えずに支払ってしまった。

しかも、チラッと見えてしまったカードの色はうちのお父さんが使っているのと同じ色だった。

いくら課長補佐で、年齢の割に高給とはいえ、普通はあの色のカードを持てない。


この人、いったい何者……?




井上颯斗はじっと私を見て、そして首を振った。

「……会社の仮眠室で生活されるのは困るから、うちに連れてきただけだ」


素直じゃない。

昨日だって、直前まで険悪な雰囲気だった私のためにマンションまで来てくれたし、こんな可愛くないことを言っているけど、本当は私のことを心配してくれていたはず。

わざとこんな風に言うなんて……素直じゃない。


ただの部下のためにここまでするなんて、この人はいい人で……いい上司だ。



「井上さんは、どうしてこんなに親切にしてくれるんですか?」

家族でも親戚でも友人でもない私を、無期限で家に泊めてくれるなんて、いくらなんでも優しすぎだ。


井上颯斗は私から視線を外して窓の外を見た。

「なんだろうな……」

目線を戻して、私をみた。


自分で聞いたくせに、なんだか重いことを聞いてしまったと後悔する。

どんな返事が来るか、ドキドキする。



だけど、意外にも答えはあっさりしていた。


「よくわからないな」


「……は?」



井上颯斗はお茶を飲むと自分でもわからないと言うように首を傾げた。

「わからないって……」

「うーん」

戸惑う私の前で、この人なりに本気で悩んでいた。

そして顔を上げる。


「石田は人間として信頼できる。そんなところかな?」


なんだ、それ?


「石田は頼んだ仕事はちゃんとやってくれるし、夜遅くまで残業になっても、他の人なら黙って帰るところでも嫌な顔せずに終わるまでやってくれる。なかなかそんな人はいない。だから、これで会社を辞めることになってしまうのは惜しい」


「は?便利屋ってことですか?」


「うーん。そう、はっきりと言ってはいないが…」


言葉を濁しているけど、でもそう言うことだよね?

夜遅くなっても嫌な顔しないって……してる、めちゃくちゃしてるよ!心の中では不機嫌全開だよ。


仕事のために親切にしているなんて!

むううう!



思わず言い返そうかと思った時、井上颯斗は視線だけ私へ向けて、

目と目があった。



「石田となら、大変な仕事も大事な仕事も一緒にできる気がする」

「え?」

井上颯斗は手を顎に当てて考え込むような顔をする。


「勘違いするな。気がする、だけで本当にできるかはわからない。……だけど、もしかしたら、会社で大事な仕事をするから誰か一人選べと言われたら、石田を選ぶかもしれない」


それに、心臓がドキッとした。



何気なく言った一言だけど……

もしかして、この人はとても私のことを評価してくれているのかもしれない。



私は信じられない思いで目の前の人を見つめる。

相変わらず、腑に落ちないような顔をして首を傾げているけれど……

でも、それは私の気持ちを嬉しくさせた。


だけど、相変わらずあっさりと私へ向き直る。

「これで衣食住の心配は無くなったから、また仕事を頑張れ」

思わずムッとしてしまう。



私だって、嫌ですよ。

あなたの仕事のお手伝いなんて。


だって、私は……



その先に続く言葉に、息を飲んだ。



大事なことを忘れていた自分に驚いて……

それを思い出して、急に気持ちが冷えた。





「明日はどうする?」

「え?」

ぼうっとしていたら、声をかけられて、慌てて返事をする。

「あ、明日は……実家にある荷物を取りに行きます」


やっぱり身の回りのものを全部買い揃えるのは無理だ。

実家には学生の時に使ったスーツや靴があるからそれを取りに行こう。


「実家?……でも、いいのか?」

井上颯斗は驚いたように目を見張った。その顔を見て、昨日実家には帰りたくないと言ったことを思い出す。

「あ、ええと……その、明日は多分帰っても大丈夫なので」


さっき連絡したら、明日は日曜だけどお父さんは仕事だとお母さんが言っていた。だから帰れる。

だけどその辺りの事情は他人には言いにくい。

ましてや、青柳の関係者には。



そんな私の気持ちを察したのか、井上颯斗は首を振った。

「言いたくないことは無理して言わなくていい。明日は俺も用事がある。だから手伝ってやれなくて……悪い」

私は慌てて首を振った。

「気にしないでください。一人で大丈夫です。実家にはいろいろあるんですけど……でも、別に危険があるわけではないので」


それでも悩んでいる井上颯斗に私は重ねて言う。渋々だけど納得してくれた。


「井上さんの用事の邪魔はできないですよ」

だけどそれに苦い顔をした。

「いや、むしろなくなってほしいくらいの用事なんだ」

「は?」


その時、ピンときた。

もしかしてこの人、私をダシにして、嫌な用事を無くそうとか考えてる?

意外と子供っぽい。


だけどこの人は本気みたいだ。


「そんなに嫌な用事ってなんですか?」

「……大した用事じゃない」

ぼそっとつぶやいた。

本当に嫌そうで、なんだかおかしい。


「笑うな」

「井上さんもそんな顔するんですね。嫌な仕事でもサラッとこなしそうだから」

だけど、そこで大きなため息をついた。

本当に嫌そうに肩をガックリと落としている。


「仕事なら、どんなにいいか……」


思わずおかしくなって笑ってしまった。

ちょっと子供っぽく映ったのだ。

顔を覗き込んで私は笑いかける。



「じゃあ、明日は井上さんの好きなものを作って待ってます」




それに思い切り苦い顔をしながら、

「和食」

そう、返事した。


意外な返事に驚くと、昼はフレンチだと説明してくれた。

なんだか豪華で羨ましいと思っていると、私を見てまたため息をついた。

それを見て、また、笑ってしまった。


こんな顔もするんだなと思ったら、おかしかった。






その日の夜、私は空いた部屋に布団を敷いて眠った。


眠る前に、夕食後の時の事を思い出して、また笑ってしまった。

そうしてその日はぐっすり、眠った。



本当はもっと考えないといけないことがあったけれど

私はそれから目を逸らしてしまった。


それを考えたら、自分がここにいてはいけないことを自覚してしまうから……

だから、目を逸らせたのだ。










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