初めてのおでかけ
井上颯斗の提案で、隣の県の大きな商業施設まで車で行った。
なんとなく想像できたけど、車は海外メーカーのSUVで、あんな高級マンションに住んでいるし、外車に乗っているし、この人本格的にお金持ちだなと思った。
やっぱり課長補佐くらいになると高給なのだろうか……。
羨ましい。
最初に井上颯斗は2時間の自由行動を告げていなくなった。最初はなぜだと思ったけれど、すぐにこれは彼の気遣いだとわかった。
私が最初に買ったのは下着、それから洋服、化粧品。
確かに異性の上司とできる買い物ではない。
だけど、最小限の買い物でも、どんどんお金が飛んでいくから青ざめた。
こんなに買い物をして、さらに一人暮らしのお金を準備するって、かなり大変。
現実的に考えたら、今の私には限界があって……だから、家賃はいつでもいいから泊まっていい、というのはやっぱり破格の好条件だ。
いつか倍にして返そう。
2時間ギリギリで待ち合わせ場所に着くと、すでに井上颯斗は建物の入り口で待っていた。壁に寄りかかるようにして立つその姿は、柱の影でもしっかり人目を引いて、通り過ぎる女性たちが彼を見て、中には声をかける人もいて、近寄りにくい。
その女性たちに、井上颯斗は困ったように、だけど穏やかに微笑んで断っていた。私服のせいか、外で見るせいか、会社での冷たい感じが消えて、表情が柔らかくてそのせいでぐんと親しみやすくなっている。
つまり、普通にとても格好がいい。
これはモテるわ。
会社でもこうすればいいのに。きっとアシスタント希望の優秀な人が群れてやってくるだろう、
すると、遠巻きに見ている私に気がついて早足で歩いてきた。
目の前にくるなり、じろっと睨まれて、
「気がついたなら早く助けろ」
思い切り不機嫌に言い切った。
笑顔で対応していたけど、実は困っていたらしい。
見た目はソフトになっても、言い方は変わらない。
「こんな風に声をかけられてる人、初めて見ました」
「俺は見せ物じゃない。……それにしてもすごい量だな」
私のたくさんの荷物を見て、黙って紙袋のいくつかを奪うように取った。あまりにも多いので、一度荷物を車に置いてから食事することにした。
荷物を持ちながら二人で並んで歩く。
そんな私たちをチラチラと見ながら通り過ぎる人がたくさんいる。特に女性。
人に見られていることに、私は馴れないし落ち着かない。何よりも自分のはっきりと仕事用とわかるグレーのスーツが、気まずい。
この人の隣にいると、まるで芸能人の隣にいるマネージャーって感じだ。
せめて昨日、もう少しおしゃれしておけばよかったと後悔する。
ふと横を見たお店の入り口にブルーのワンピースが飾られていて、思わずそれに目を奪われる。
お店の中には花柄のスカートとか、可愛らしいトップスがたくさん飾られている。どれも華やかで可愛らしい。
もちろんこのお店は値段も高めで、特に節約をしないといけない今の私には、とても手は出ない。
でも、かわいいな。
こんな綺麗な格好をしていたら、もっと胸を張ってこの人の隣にいられるかな。
ついぼんやりと考えて、足の止まってしまった私に冷たい声がかけられる。
「おい、置いてくぞ」
私は慌てて声の持ち主に追いつくために、駆け出した。
******
車を置いてから、二人でカフェでランチをする。
お腹が空いていたのか、思い切り食事に集中してしまって、食べ終えてから、そういえば、この人と食事をするのって2回目だと思った。
なんだか、不思議だ。
仲がいいわけでもない、直属の上司でもない人と、何度も食事をするなんて。
思わずじっと反対側のこの人を見つめる。
「なんだ?」
慌てて私は口を開く。
「あの、井上さんは家での食事っていつもどうしていますか?」
嫌な顔をしたこの人を問い詰めると、どうやらあまり家で食事はしないらしい。
「調理器具ってあります?」
「あるにはあるが……」
その歯切れの悪い返事から考えると、何があるか、よくわかっていないようだ。
私は姿勢を正してこの人に向き直った。
「あの、私が食事を作っていいですか?」
「はああ?」
井上颯斗は思い切り驚いた顔をした。
「石田が?料理?」
私が大きく頷くと、それでも信じられないというように首を振った。
馬鹿にしないでほしい。
大倉家の花嫁修行は厳しいのだ。
だから料理、得意。
人に食べてもらったことはないけど……多分、大丈夫だろう。
だけどこの人はとても苦い顔をした。
「石田が。料理……」
その顔を見る限り、絶対に私が料理下手だと思い込んでいる。
「任せてください。私、料理は好きなので、作らせてください。置いてもらうお礼です」
まだ苦い顔をするから、私はムッとしながら提案する。
「じゃあ、今日の夜試しに作ってもいいですか?合わなかったら、やめるってことで」
思い切り期待を込めた目で見ると、苦い顔のまま渋々といった感じで頷いた。
「……とりあえず、やってみろ」
「じゃあ、井上さんの好物を作ります。何がいいですか?」
「……とりあえず、石田の一番得意な料理でいい」
その返事に絶対に信用されていないと理解する。
任せて。
驚くほど美味しいものを作ってみせるから。
私はグッと手を握って力強く宣言した。
「あの、それから家事は私がやります。すぐに家賃が払えないかもしれないですし、いろんなことのお礼で」
だけどそれに井上颯斗は苦い顔をした。
そして私の顔を見て、首を振る。
「それは、いい」
「どうしてですか?」
そのキッパリとした言い方にちょっとショックを受けながら尋ねると、自然に首を振った。
「別に石田を家政婦にするために家を貸すわけじゃない。仕事が大変な時もあるし、俺も元々一人で暮らしていたんだ。最低限のことはできる。だから無理するな」
「でも……」
「石田は気を遣いすぎる。そんなの気にせず、好きなようにやれ」
「でも……」
そんなの、井上颯斗にとってはなんのメリットもない。
そう言おうとして、だけどまたこの人におでこを弾かれた。
「痛い!」
「素直に甘えとけ」
「甘えるって……」
上司に甘えるなんて、あり得ない。
「いいって言っているんだから、これ以上はこの話をするな」
「でも」
「俺は同じことを2回いうのが嫌いだと言っただろう」
そういうと残ったコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「行くぞ」
置いてかれてはいけないと私は慌てて追いかけた。
ランチ代を半分払おうとしたら、まるで犬を追い払うように手で払われたので、仕方なく会計をする井上颯斗の少し離れた場所で待つことにする。相変わらず横暴だなとムッとしていると、通りすがりの女性二人組がチラチラと井上颯斗を見て顔を赤くした。
清々しいほどのモテぶりに感心する。
イケメン最強っていうのは、本当だった。
そこに井上颯斗が戻ってきて、私に声をかけた。
「行くぞ」
「あ、はい」
視線を感じて顔を向けると、さっきの女性たちがこっちを見ているのが見えた。
井上颯斗を見て、それから私を見る。
華やいでいた顔が、私に移ると訝しげなものに変わる。
二人で眉を寄せてヒソヒソ話している。
その視線に居心地が悪くなる。
だってこの人はこんなに格好良くて、だけど隣にいるのがこんな私で、しかもオシャレと程遠い地味な格好をしていて……、なんでこんな人と私が一緒にいるんだろうって思うだろう。
そうだよね。
もし昨日までの私が、外でこんな二人組を見かけたら、同じことを思うかもしれない。
せめて私がもう少しおしゃれをしていたら…
今日が平日でこの人も私と同じスーツ姿だったら…
隣にいても、おかしくないのかもしれない。
だけど……
また気持ちが暗くなったところで、上から声がした。
「行くぞ」
お店を出て歩きながら、この後、買うものを確認する。
だけど最低限のものは買えたから、あとは一人でいいのかも。
この人とこれ以上一緒にいるのは、気持ちが持たないと考えていると突然、手を引かれた。
なんだろうと思って隣を見る。
変わらず愛想のない顔をした上司が私を見て、それから隣へ視線を移す。
何事かとその目線を辿って、私は驚いた。
そこはさっき私が足を止めていたお店の前だった。
なぜ、ここで立ち止まったの?
思わず眉根を寄せると、井上颯斗はキッパリと口を開いた。
「ほら」
「なんですか?」
「好きなもの、選んでこい」
全く意味不明な会話に私は眉を寄せる。
「どうして?」
ここは女性に人気のお店だけど、ちょっとお値段が高い。
今の私にとっては超高級だ。
そのお店で、好きなもの選べって……なに?
だけど、井上颯斗はグッと私の手首を掴んで、お店の中に入っていく。
「ここで一着プレゼントする。だから好きなものを選べ。値段を気にしたら許さない。明日の仕事を増やす」
「は?」
相変わらずものすごい横暴だし、職権濫用しているし……
そもそも意味も、何を考えているのかわからない。
「え、ここ?なんで?どうして?」
「俺からのお見舞いだ」
私は足を止めた。
お見舞いの域を超えている。
それに、この人には家に泊めてもらうのだ。
これ以上お見舞いをもらったら、返す時大変だ。
倍返しできなくなってしまう。
私は首を振る。
「それはさすがに……」
「うるさい」
そこでちょうど寄ってきた店員さんに向かって、井上颯斗は見たことないくらい愛想のいい笑顔で笑いかける。
「何か彼女に似合うものを選んでもらっていいですか?」
その私にとっては胡散臭い笑顔は、店員さんの心には響いたらしい。
顔を赤くしながらパッと笑顔になる。
「あら、何がいいですか?ワンピースにしますか?それとも……」
「適当にお願いします」
井上颯斗は愛想のいい笑顔を貼り付けたまま、朗らかに言い切った。
適当にってどういうことだ。
私は店員さんに向き直る。
いや、要りません。
そう、断ろうとした私の耳元で、井上颯斗がさっと顔を寄せて声を出した。
「断るなよ」
絶対に私にしか聞こえない距離で言われた言葉に衝撃を受けて顔を向けると、笑顔の影で目が据わっている。
背中から冷たい空気が漂ってくる気がした。
「これで石田がいらないって言ったら、俺が恥をかくことになる。絶対断るなよ」
怖い!
横暴!
これ、断ったら絶対に怒るやつ!
そして耳元で喋らないで
くすぐったい!
結局、私はそのままテンションの上がった店員さんに試着室に連行されることになった。
ワンピースやスカートを私に手渡しながら、店員さんが思わせぶりに笑う。
「素敵な彼氏さんですね」
「………は?」
「優しくて……羨ましいです」
とんでもない誤解をされてしまったことに慌てる。
彼氏とか…あれは上司だ!
それ以外、あり得ない。
「あ、いえ。あの人は……」
そこまで言ったところでカーテンがシャッっと勢いよく閉じられた。
あの人は私のただの上司で
しかも横暴な冷徹上司です。
だけど
「優しい……」
これはきっと、間違いなく、
優しいのだろう…きっと。
見上げた先の鏡の中には、困った顔をした自分がいた。
誤字脱字報告いただきました。ありがとうございます。




