二つの会社の関係
あの時、私が社内コンペに出したのは、医療機関で使うタブレット型の電子カルテだった。
使う医療関係者向けでなく、患者さんが喜ぶような機能満載の機械は、機能が盛り沢山で、使い勝手はいいけど、個人情報の問題などもあって、実現不可能だ。
でも、わかっていて、私はそれを提出した。
どうせみんなは実現可能な製品アイデアを出すんだろうし、一人くらい、夢満載の企画をだしてもいいかと思ったのだ。
電子カルテにしたのは、いま大倉が一番力を入れているのが医療機器だから。
色々あるけど、やっぱり私は常に実家のことを考えてしまう。
どうせ賞は獲れないと思って出したけれど、
やっぱり何にも引っ掛からないのは……それなりにさみしい。
それが私に与えられた最初で最後のチャンスだったと思えば、なおさら。
だけど、そんな私に本社異動の事例が降ってきたのだから、
人生って本当にわからない。
私に辞令が下った後、ちょっとした騒ぎになった。
岸くんは自分の間違いだと大声で吠え、周りはどうして石田さん?と戸惑っている。
はい、私だってそう思います。
本社行きに目を丸くして、固まる私に人事課の人が
「君すごいね。本社に呼ばれたの、合併してからたった5人」
そう言って、ウインクした。
いや、全く良くない。
支社勤務ならいいけど、さすがに本社はまずい。
実家のことがバレたら、どうする。
「あの、私はここがいいので、断ってもいいですか」
「そんなの無理無理。みんなが本社に行きたくて行けないのに、選ばれた人が断るなんて。じゃ、お願いね」
そう、あまりにも軽く宣言された。
ええええええ。
そんなこんなで半分呆然としたまま、異動準備をして数週間を過ごし、私は青柳の本社ビルにやってきた。
まさか実家のライバル会社に来ることがあるなんて思わなかった。
そして、まさかここで働くことになってしまうなんて。
暗い気持ちを吐き出すようにため息をついて、私は目の前のビルを見上げる。
青柳の本社ビルは東京のど真ん中のビル街の中でも一際高くて、近代的な建物だった。
そのビルに圧倒されながら、恐る恐るその中に入っていった。
会社に入ると、小さな会議室に通された。
椅子に座って待つように言われたけれど、落ち着かないから歩き回ってしまう。
大倉の本社ビルは古いけど、青柳本社は新しい綺麗なビルで、こんなところで働くのはやっぱり気持ちがいい。
だけど……自分がここにふさわしくないことも、よくわかっている。
だって大倉の娘が青柳の本社にいるって……ちょっとおかしい。
二つの会社の関係を考えて、またため息をついた。
自慢ではないけど、大倉グループは昔からずっと業界ナンバーワンだった。
そこに割って入ったのが、青柳だ。
青柳グループはうちと反対に元々が機械メーカーで、途中から医療機器製作に参入している。機械メーカー出身だから、やっぱりメカものには強い。青柳の機械は現場のウケが抜群に良くて、そんな声に後押しされて、青柳は急成長した。
わずか十年の間に青柳は大倉に追いついて、ついに販売数と売り上げで追い抜いた。
転機は5年前。
そこで青柳が出した機械が、とてもいい機械だった。
その機械は既存のシステムとか考え方を覆す、革命的なもので、
それが青柳を一気に業界トップの座に押し上げた。
だけど大倉にも長く業界トップだったプライドがある。
お父さんは、勝つまで努力と根性で頑張る、典型的昭和の頑固社長だ。
だから先頭に立って商品開発に力を入れているけど、残念ながら5年前の青柳を超える機械は作れていない。
ここでその機械はどうやって作られているんだろう。
つい興味が湧いてしまって、私は慌てて首を振る。
お父さんとの約束まであと1年。
どうせ私は、1年で会社を辞めるのだから、ここではひたすら静かに働こう。
私が大倉の娘だとバレたら面倒なことになって、お互いの会社にとっていいことはない。
あと1年。静かに過ごしたらそれでいい。
ここにくるまでの数週間で何度も考えたことを心の中で再確認して、決意を新たにする。
私が大倉の娘だってことは絶対に秘密にしないといけない。
******
しばらくしてやってきたのは、スーツの似合う素敵な男の人だった。
私に向かって笑顔になった。
甘い感じの顔が笑うと華やかになる。
年齢はわからないけど、童顔なのか若く見えた。
「初めまして、総務課長の青柳と言います」
「石田です」
私に椅子を薦めると、総務課長は反対側に座った。
「今日からよろしくお願いします。一度ちゃんと話したくてね」
人好きのする笑顔で、課長は私の履歴書に目を通す。
当たり障りない会話をしてから聞かれた。
「何か気になることある?」
「あの、どうして私が本社に?」
実際、わたしより優秀な人はたくさんいたのだから、そう思うのはおかしくない。
課長は動きを止めて私をみた。
「それは僕が説明することではないと思う。その時が来たらわかるよ」
「え?そう、ですか?」
思わせぶりな返事に戸惑う。
気になるから、今教えて欲しいと目で訴えてみたが、わかっているはずなのにそれを無視された。
もう一度目があって、課長はニッコリと笑う。
その笑顔に私の中の警戒センサーが発動した。
美形の微笑みってものすごく素敵なはずなのに、素直にそう思えない。
心の中に何か隠している気がして、背筋が寒くなるというか……
とりあえず、猛烈に嫌な予感がする。
課長は私を見ると、笑顔を引っ込めた。
「改めて、当社の志望動機を聞いていいかな?大倉実桜さん」
「はい。……ん?」
思わず自然に頷きかけて、そしてぴたりと止まる。
この人、今なんて言った?
顔を上げると視線があって、課長がまた笑った。
だけどその目が笑っていない。
今度こそ、背筋が凍る。
「ちゃんとお話ししようか。大倉さん」
自分の顔からさああっと血の気が引くのが分かった。
だって、この人は私の本名を呼んだのだ。
隠しているはずの大倉の名を。
声も出せないほど驚いていると
「どうしたの?大倉さん」
そう言って、総務課長は笑みを深くして私を見る。
困って焦って混乱している私を楽しそうに見る課長、結構いい性格だと思う。
「君、大倉グループの社長の大倉剛志さんの娘さんだよね」
追い打ちをかける言葉に、私ははっきり顔を引き攣らせた。
おっしゃる通り、その名前の人は私の父で、間違いなく大倉グループのトップだ。
「どうなの?大倉さん?」
その思わせぶりな顔にムッとしながら、私は視線を彷徨わせた。
黙っていると、総務課長はその形のいい眉を顰めた。
「君と僕は会ったことがあるんだけどな……忘れられたなんて、残念だな」
「えっ」
こんな美形と会ったなら忘れない気がする。
考えながらじっと反対側の笑顔を見ていて、あることを思い出した。
今日、課長に会った一番最初。
そこに最大のヒントがあった。
「もしかして」
この人はさっき、総務課長の青柳です。と名乗ったのだ。
青柳、と。
つまり……。
「もしかして、青柳の……?」
視線が合うと愛想の良い笑顔を引っ込めて、呆れたようにため息をついた。
「思ったより気がつくのが遅かったな。最初に言ったのに」
それに私は息が止まりそうなほど、驚いた。
だって、だって…つまり
課長はにっこり笑って私を見た。
「青柳将大と言います。うちの父がここの社長をしています」
目の前が暗くなるとはこのことだ。
つまり、この人はうちのライバル会社の社長の息子ってこと……?
ここで関わりたくない人のトップ3に、いきなり会ってしまった。
ありえない!絶対にありえない!
私は頭を抱えて、深いため息をついた。




