タイミングが悪いみたいですが
「あれは石田のせいだ」
「違います。あれは絶対に井上さんのせいです。あの時私にあんなことしたからいけないんです」
私は大きな紙袋を二つ。隣を歩く井上颯斗は大きな段ボールを持っている。
時間は夜の20時30分すぎ。
この時間だと、まだ早いなと思える私、いい感じに感覚が麻痺してきた。
井上颯斗が大きなため息をついた。
「石田が変なことを言わなければ、そんなことはしなかった」
「だから!それは井上さんのせいです!」
こんな風にお互い責め合っているのは、昨日のこと。
たまたま夜に二人で話しているところを、課長に見られたことだ。
まあ、確かにただ話していたのではなくて、確かに、少し親密に見えたかもしれないけれど……。
それを見た課長に散々からかわれることになった。
それはもちろん隣のこの人も同じだったみたいだ。
お互い散々言われた後で、ちょっと気が滅入って
つい、言い合いになってしまった。
そもそも、こんな時間に二人で歩いているのには理由がある。
ついさっき、今日はこれで帰って良いと言われたところで、井上颯斗の机の隣に大荷物があることに気がついた。
「それ、何ですか?」
「これは……いい」
絶対に何かを隠している。そう思ってじっと見つめると井上颯斗は息を吐いた。
「明日の早朝の会議の準備だ」
「早朝会議」
どうやら社長の方針で、社長や上層部で月に一度早朝に会議をしているらしい。
業務連絡のほか、大事な企画の相談とか、予算や人事のことなど……とても大事なことを話しているらしい。
それが、明日の朝、行われるという。
そしてこの大荷物はその準備だと。
「何時からですか?」
「7時」
「……早いですね」
「あの人、早起きだからな」
「……あの人って?」
「社長」
無造作に言って、井上颯斗は肩をすくめる。
この人、社長をあの人呼ばわりしたよ。
しかも課長補佐なのに、上層部の会議に参加するなんて……さすがエリート社員。
紙袋が二つに大きな段ボールが一つ。
これを一人で準備しろと言うのは……さすがに言えない。
私がじっと見つめると、井上颯斗は顔を逸らせた。
「石田は帰っていい」
私はため息をついた。
私の性格では、そんなことはできない。
私は立ち止まると、手にした二つの紙袋を持ち直した。
隣の井上颯斗は大きな段ボールを抱えている。結構重そうだ。
最初私が段ボールを持とうとしたら、断られた。
だけど、紙袋もそれなりに重い。
隣からぽそっと声がした。
「もう少しだから、頑張れ」
気がついたら、会議室はもう少しだった。
だけど随分重いなあと思っていると、隣の井上颯斗が私を見てニヤッと笑った。
「石田の持っている紙袋には新製品が入っている。気をつけろよ」
「う、わっ」
思わず立ち止まって顔を歪めた。
手の中の紙袋を見下ろす。
この中に新商品が……!
噂ではまだ企画段階だったけど、いつの間にか完成していたなんて!
しかも……
絶対に触れてはいけない私が、触れてしまった!
緊張で手が震える。
手のひらに冷や汗が浮かんだ。
ただ持っているだけで、中身を見たわけでもない。
つまりそんなの問題にならないのはわかるけど、頭の中がパニックになる。
これ以上は、まずい。
私は立ち止まる。
これ以上、これは持てない。
井上颯斗と荷物を交換しようかと迷っていると、隣から呆れた声がした。
「そんなわけないだろ」
井上颯斗は目線だけで私をみる。その目がものすごく胡散臭いものを見るような目になった。
「そんな大事なものを、紙袋に入れるわけない。よく考えろ」
「え?」
「石田の紙袋の中身はただの書類だ」
「なっ」
真実を知って、私の顔は一気に赤くなった。
からかわれた!
よりによって、こんなネタで。
ひどい、私にとっては心臓に悪すぎる。
私はグッと睨みつけた。
「からかわないでください」
「本気にすると思わなかった」
「……私だって、おかしいことくらい、わかっていましたよ」
ムッとして言い返す。チラッと視線を向けて私を見る。
「信じたくせに、負け惜しみだな」
「そんなことないです」
「どうだろうな」
視線を向けると、井上颯斗は口角を上げた。
その顔にムッとして、私は顔を逸らした。
先に会議室に入ると、私はまず紙袋を置いて、井上颯斗が荷物を置くのを手伝った。
この段ボール、めちゃくちゃ重たい。
しれっとした顔で持っていたから、気が付かなかった。
ついでに言えば、明日の会議は新商品の話ではなく、冬の仕事の細かな話し合いだそうだ。
私でもセーフな内容。
またしても騙された。
つい、じとっとした目で見てしまう。
だけど、私と目があったくせに、井上颯斗はそれをしれっと無視した。
意外に性格悪いな。
準備が終わったのはちょうど9時半ごろだった。
プロジェクターの調子が悪くて、調整に時間がかかってしまった。
時間を見たら急に空腹を感じる。
そういえば今日は昼食も食べられなかった。
ああ、お腹すいた。お菓子くらい食べておけばよかった。
頭の中でぐるぐる考えていると
「こんな時間になってしまったな」
そう、声をかけられた。
それに返事しようとした時だった。
タイミング悪く突然、ぐううと私のお腹がなった。
それもかなり大きな音で。
え?
自分でも驚いた。
それはとても大きい音で
絶対にそれが聞こえたはずの目の前の井上颯斗も、驚いた顔をした。
私たちの視線がばっちりあって、
数秒後、私は恥ずかしくて俯いた。
最悪だ。
お腹のなった音をこの人に聞かれるなんて。
しかも……最悪のタイミング。
できれば聞かなかったことにしてほしい。
こんなところで!こんなところで鳴らなくてもいいのに!
顔を上げると、井上颯斗と視線が合った。
ものすごく驚いたのか、固まっている。
恥ずかしくて顔を逸らすと、頭上から戸惑ったような声が聞こえた。
「……まあ、この時間だから腹も減るよな」
「………はい」
もうここまできたら、ヤケだ。
真っ赤になって俯いたまま頷くと、ぷっと吹き出した声が聞こえた。
その後に、耐えきれないというような笑い声が聞こえた。
顔を上げて見た光景に、私は驚いた。
井上颯斗が笑っていた。
口元を押さえて、本当におかしいって顔で肩を揺らして笑っている。
ごく自然に出てきた笑顔に、私は目を丸くする。
目を細めて口を開けて笑うその顔は、この間みたいな、小さな笑顔ではなくて、
誰が見ても、ちゃんと笑っているってわかるものだった。
少しして、井上颯斗は、その笑顔のまま私をみた。
その目に真っ直ぐに見つめられて、胸が大きく鳴った。
それに自分で驚いてしまう。
どうした、私。
何が起こった?
まるで走った後みたいに動く心臓の音が聞こえるんじゃないかと思っていると
じっと私を見つめる瞳が、ふっと緩んだ。
「俺もまだなんだ」
そうして顎でドアを指す。
「食事、行くか」
「え」
私は立ち止まる。
この人と、食事?
「ほら、いくぞ」
井上颯斗は両手をポケットに入れて、スタスタと歩き出して、ついてこない私を首だけ振り返って声をかけた。
「置いてくぞ」
私は慌ててそれを追いかけた。
誤字脱字報告いただきました。ありがとうございます。




