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交渉の条件


「手伝うくらいなら、大きな問題にならないよ」


顔を上げると、課長は力強く頷いた。


「あいつ、機械制作は一人でやる。内容は直前まで誰も知らない。全部一人でやるんだ。だから君があいつの周りで働いても、問題にはならないよ」

「でも……」

「あいつの働くところを見るのは、絶対に勉強になる。いつか君が大倉に戻った時、役に立つと思うな」

顔を上げて課長をみると、課長は穏やかな笑顔で頷いた。

「少しくらいアイデアを盗まれたって、うちは大丈夫だよ」


どう答えたらいいかわからなくて……私は苦い顔になった。

からかっているのはわかるけど、でもそんな風に思われるのは嫌だ。

「そんなこと、絶対にしません」

課長は満足そうに笑う。

「そうだよね、石田さんのことは信用してるよ」


怒るところなのに、怒れない。

信用しているっていうのが、噓ではないとわかるから。



私はボソリと呟いた。

「私、青柳に来てよかったと思ってます」

視界の端で課長が目を丸くしたのがわかる。

なんだか照れ臭くて俯いたまま話し続ける。

「今も充分いい会社ですけど、課長が社長になったら、もっといい会社になると思います」

私は課長に頭を下げた。



「ここで働かせてもらえて、課長には本当に感謝してます」



これは本心だ。

私が青柳にいられるのは、課長のおかげ。

ここで働くことで、私は1年間の時間をもらえたのだ。


私はアイデアを盗むつもりもないし、スパイする気もない。

だけど、こうして青柳で働く一年が、私の人生で何かを変える予感がする。

きっと、すごくいろんな事を勉強できる。


働かせてもらえるだけでなくて、こんなふうに信用してもらって

そして勉強の機会ももらえるなんて。


本当に、課長はいい人だ。




そう思いながら顔を上げたら、課長と目があう。



課長はニンマリと笑っていた。



ある意味いつも通りの含みしかない笑顔に、私の中で何かが反応した。


「課長、何か隠してませんか?」

「え……隠してないよ」

だけどその目が泳いでいる。


絶対におかしい。


私は課長に一歩近づいた。

そのままぐっと睨みつけると、課長はわざとらしく視線を逸らした。


怪しすぎる。


「いや……ちょっと交換条件を、ね」

「交換条件?」

私は眉を寄せて課長を見た。

「交換条件ってなんですか?」

課長は気まずそうに視線を逸らせた。


「ええとね……石田くんのことを許可する代わりに、どうしてもあいつにやってほしい仕事をお願いしたの」

「やってほしい仕事?」

「うーん。そう。今まで何があっても絶対に受けてくれなかった仕事を、ね」

私は眉を寄せた。

「なんですか?その仕事って」

課長は今度こそ苦い顔になった。

「うーん。ファン感謝祭?それとも……握手会みたいなものかな」


……意味がわからない。

見た目はいいけど、あんな威圧感のある辛口アイドル、需要はないだろう。

口を開いた瞬間、ファンが減る。


「その握手会に私は関係あるんですか」

「ない」

即答した課長につい鋭い目を向けてしまった。


私が怒っていると思ったのか、急に課長はあたふたし始めた。

にやけていた顔を真面目なものに戻す。

「でも、助かったよ。ずっとあいつに頼んでたのに、ずっと断られていて困ってたの。石田さんのおかげ」

「その仕事、井上さんは嫌がっていたんじゃないですか?」

「うん、そう。だからものすごい嫌な顔された。でも頷いたのはあいつだからね」


私は少し井上颯斗に同情した。


絶対にものすごく嫌なことを交換条件にしたんだろうな。

それに自分が関係していると思うと、なんだか後ろめたい。



そしてその仕事はなんだろうと思っていると、課長は満面の笑みになった。

「あいつにあれをやらせるなんて、石田さんはすごいな。また次の機会にも石田さんを使わせてもらっていい?」



だけどそこで、私は急に我に返った。

最初から、そのつもりだったんだ。

課長は私を利用して、井上颯斗に握手会を引き受けさせたんだ、きっと。


「最初からそのつもりで……?」

私の指摘に課長はあからさまにぎくっとした顔をした。


……やっぱり


誤魔化す様に私に笑いかける。

「まあ、でもおかげで僕たちは本当に助かったんだよ。石田さんのおかげ」

「人を勝手に交渉の条件にするのはやめてください」

それに課長はとても残念そうな顔をした。

「石田さんを出したら、どんなお願いも絶対に聞いてくれる気がするんだけどな」


そんな事あるわけない。

どんな条件でも引き受けるなんて、ものすごい必要とされているってことじゃないか。


そんなこと、絶対にない。


私は首を振った。

「ダメです」

課長を見てキッパリと言い放った。



「もう二度と私を使わないでください!」



さっきの課長の言葉に、私は心底感動したのに!

ただの交換条件だったなんて!


感動して、損した!







こうして私は井上颯斗のお手伝いをすることになった。


開発部に私のデスクもできた。

1個下の山下くんという男性社員が、私のために空いたデスクを掃除してくれたのだ。

これで十分働けると思うと、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだ。



課長はああ言っていたけれど、やっぱり気軽にあの人のデスクを見ることはできない。

とにかく心臓に悪い。

課長が言うほど気楽に働けないのはおびえすぎなのか、性格か。


結局、あの人の周りの雑務を引き受けることになって……

資料作成、アポイントの調整、そして会議室の確保から挨拶に行く時のお菓子の調達、なんていうのもあった。


いい加減、アシスタントを置いてくれ。


そのうちに、周りが勝手に私を井上颯斗のアシスタントだと勘違いし始めた。



実は、私はものすごく都合のいい存在だったのだ。


あの人に仕事を頼みたいけど、直接話をするのは怖いと遠慮している人が多い。

仕事中のあの人は無愛想な返事しかしないから、みんなが嫌がっているのだ。

で、そうなると誰もが、近くにいる私に話しかけてくる。


私は怒らないし、断れない性格だから、つい引き受けてしまう。

そんなことが重なって……

いつの間にか私は「開発の井上さん担当の石田さん(総務)」になってしまった。


うわあああああ、違う!

断じて私は「井上颯斗係」ではない!


そう思った時には、すでに私は井上係として社内に認知された後だった。



なぜ。





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― 新着の感想 ―
[一言] 青柳課長ってこんな性格だったんですね。 これからも振り回される実桜ちゃんの姿が見えるような気がします。
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