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ポジティブすぎて全然不幸にならない悪役令嬢がいるんだが。

「ベアトリクス・アリンガム! 今日限りで、貴様との婚約は破棄させてもらう!!」


 広いダンスホールの中央で、金髪碧眼の王太子──ジョシュア・レクサム・シャインが怒号を上げる。

 彼の視線の先には、長い白金色の髪と翠緑の瞳を持つ美しき侯爵令嬢──ベアトリクス・アリンガムがきょとんとした表情で立っていた。


「えーと、婚約破棄……ですか?」

「そうだ! 貴様がティルシー嬢に対して執拗ないじめや嫌がらせを繰り返していたという証言は目撃者から取れている! 俺は、好んでいじめをするような心の醜い人間を妻として迎え入れたくはない! だから、お前との婚約を破棄したいと言っているのだ!」

「……?」


 婚約破棄という明確な拒絶の意思表示をされているにもかかわらず、ベアトリクスはなおも首を傾げ続けている。


 ──あちゃー……ついに、この日を迎えてしまったか。


 額に手を当てながら、俺──レオン・アルダーソンは小さくため息をつく。

 というのも、現在ジョシュア王子から婚約破棄を突きつけられているベアトリクスは、俺の主人だからだ。

 そう、俺は名門アリンガム侯爵家のご息女であるベアトリクス嬢に仕える専属執事なのである。

 ここだけの話だが、俺はベアトリクスが将来ジョシュア王子から婚約破棄を受けることを知っていた。

 とはいえ、別に未来を透視できる特殊能力があるわけではない。至って普通の、平民出身の執事だ。

 では、何故ベアトリクスが婚約破棄されることを知っていたのかというと──それは、俺が転生者だからだ。


 前世の俺は、ごく一般的な男子高校生だった。

 勉強もスポーツも平均的。人に自慢できるような特技も持ち合わせていない。

 あえて異質な点を挙げるとしたら、『ポジティブすぎる幼馴染』を持っていたことくらいだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は前世のある日のことを思い出す。




 あれは、俺が中学二年生の頃の話だ。

 当時、俺はよく幼馴染の琴音(ことね)と一緒に通学していた。

 というのも、彼女は何かと他の生徒に絡まれることが多かったからだ。

 琴音の母親から「娘を守ってくれないか」と頼まれていたということもあって、当時の俺は彼女の幼馴染兼ボディーガードのような存在になりつつあった。

 そんなある日の朝のこと。

 教室に着くなり、突然、琴音が戸惑ったような表情をしながら呟いた。


「あれ……? 教科書のページが黒く塗りつぶされてる……」


 その言葉にぎょっとした俺は、思わず琴音のそばに駆け寄ろうとする。

 二年生の時は琴音と同じクラスだったため、何かトラブルが起こりそうになると俺はこんなふうにすぐに彼女のそばに駆け寄っていた。


「おい、琴音! どうし──」

「えー! やだ! 黒く塗りつぶされたの!? かっわいそー!」


 俺の言葉を遮るように、一人の女子がそう叫びながら琴音の席に走り寄る。


「しかも、ここテスト範囲じゃん。どうするの? 本当にかわいそう!」


 言いながら、そいつは眉尻を下げて心配する素振りをみせた。

 このわざとらしい態度……誰がどう見ても犯人はこいつである。

 周りにいる生徒達もそれに気付いていたようだったが、皆関わりたくないのか見て見ぬ振りをしていた。


「あ、白井(しらい)さん……! 心配してくれてありがとう。でも、大丈夫です。いざとなったらコピーさせてもらえばいいし、それにいつも予習は欠かさずやっているからテスト範囲はもう大体頭に入ってるし……」


 そう返しながら、琴音はにへらっと柔らかな笑顔を浮かべる。

 すると、そんな琴音の態度に苛立ったのか、白井は下を向いて何やらぶつぶつと独り言を言い始めた。


「あんたさぁ……前々から思ってたけど、ムカつくのよ。ちょっと勉強ができるからってお高く止まっちゃってさ。あと、社長令嬢だか何だか知らないけど所詮、あんたの親って成金じゃない……」

「白井さん……?」


 聞こえていないのか、琴音は不思議そうに白井の顔を覗き込む。


 ──おいおい、嘘だろ……この距離でも聞こえたのに、目の前にいるお前が聞こえないわけないだろ!


 思わず、心の中で琴音に対して突っ込みを入れてしまう。

 次の瞬間、白井は突然声を荒らげた。


「ねえ……いい加減、すっとぼけるのはやめたら!? 本当は気付いてるんでしょ!? 私が犯人だってことに……」

「え……?」


 白井に尋ねられた途端、琴音は困惑したような表情を浮かべる。

 けれど、すぐに何かを悟った様子で口を開いた。


「ごめんなさい、白井さん! 私、ちっとも気付きませんでした! 私が勉学に対して傲っていたから、あえて悪役を演じて初心に戻れと忠告してくれたんですね! 確かに、ここ最近の私は『普段から予習と復習をしているからテスト前はそんなに勉強しなくていいかな?』なんて思って怠けていました。やっぱり、テスト前はちゃんと勉強しなきゃ駄目ですよね!」

「え……? ちょ、あんた何言って──」

「そうそう、普通はテスト前にこんなことされたら『勉強ができない。どうしよう』って焦るはずなんですよ! 焦らない私がおかしいかったんです! 白井さん! 大事なことに気付かせてくれて本当にありがとうございました! これからは初心に戻って、精一杯勉強に励みますねっ!」


 そう言い終えると、琴音はフンスッと意気込んだ様子で机からノートと数学の教科書を取り出し、いそいそと自習を始めた。


「あ、そうそう。柳太郎(りゅうたろう)くん! あとで歴史の教科書コピーさせてもらっていいですか? テスト範囲だけで構わないので!」


 くるりと振り返った琴音が、両手を合わせて謝るようなポーズでそう尋ねてくる。


「お、おう……」

「ありがとうございます! よーし、俄然やる気出てきました! テスト勉強頑張るぞー!」


 琴音は再びフンスッと意気込むと、カリカリとシャーペンを走らせて方程式を解き始めた。


「へ……? あれ……? 何、この展開……?」


 呆気に取られた様子の白井は、そう呟きながら立ち尽くしている。

「こんなはずじゃなかったのに」とでも言いたげな顔をしている彼女を見ていると、微妙に同情心すら抱いてしまう。


「あれ? 白井さん。まだそんな所にいたんですか? もうすぐ、ホームルームが始まるから急いだほうがいいですよ! ほら、うちのクラスの担任って怒ると学校一怖いって有名じゃないですか。だから、教室に来る前に着席しておかないと後が怖いですよー!」

「え? あ、うん……そうするね……」


 気後れしたのか、白井は腑に落ちない様子ながらも自分の席に戻っていった。

 若干、ドン引きしているようにも見える。

 ……そう、実は琴音は病的なほどにポジティブなのである。

 つまり、彼女の辞書に「ネガティブ」や「挫折」という言葉は存在しないのだ。

 こんな調子だから、当然いじめや嫌がらせに遭っても持ち前のポジティブさで乗り越えてしまう。

 だから、当然助けるまでもなく、所詮俺は名ばかりのボディーガードでしかなかった。

 とはいえ……万が一、何かあっても困るし心配なので、なんだかんだでいつも琴音と一緒に行動していたのだが。



 そして、歳月は流れ。

 俺と琴音は高校生になった。

 高校生になってからも琴音は相変わらずスーパーポジティブ人間だったから、本格的ないじめに発展する前に相手をドン引きさせて遠ざけていた。

 そんな平穏(?)な日々が続いたある日のこと。

 その日も、俺と琴音は一緒に下校していた。

 まあ、ここまではいつもと同じ光景だ。

 問題はここからだった。なんと、琴音が車に轢かれそうになっているお年寄りを体を張って助けようとしたのだ。


「大変! あのお爺さんを助けなきゃ!!」

「お、おい! 琴音!?」


 そう叫んだが、時既に遅し。

 琴音は道路に飛び出していた。

 轢かれそうになっていたお年寄りは、琴音が突き飛ばしたお陰でなんとか助かりそうだった。

 だが、どう考えても琴音は車を避けられそうになかった。


「琴音!!」


 俺は、琴音の名前を呼びながら無我夢中で道路に飛び出す。

 そして、琴音を突き飛ばして彼女だけでも助けようとしたのだが……間に合わなかった。

 そんなわけで……結局俺と琴音は共に車に轢かれてしまい、短い生涯を終えたのだった。

 せめて琴音だけでも助かっていてほしいが、生存を確認する術はない。



 そして、俺は異世界にレオン・アルダーソンとして新たな生を受けた。

 いや……「憑依した」と言ったほうが正しいのかもしれない。

 というのも、俺はレオンの存在を前世から知っていたからだ。

 単刀直入に言うと、今世の俺は『追放令嬢は溺愛生活を満喫中! ~断罪された結果、巷で冷酷だと噂されている公爵様に求婚されました~』という小説に登場するモブキャラなのである。

 その小説は、前世で琴音が好きだった悪役令嬢モノの小説だ。

 元々はウェブ小説だが、コミカライズやアニメ化もされており男女問わず人気がある。

 俺も、彼女に勧められて少し読んだことがあるので何となくストーリーは知っていた。


 前述の通り、レオンは小説に登場する主人公ベアトリクスの専属執事である。

 一応、台詞はあるものの、これといった重要な役割りも与えられていないような脇役だ。

 何故、俺がそんなキャラに転生したのかについては未だにわからない。




 ……とまあ、こんな感じで自分の前世について振り返ってみたわけだが。

 前世を振り返った理由は、俺が仕えているベアトリクスが琴音にそっくりな性格をしているからだ。

 つまり、ベアトリクスも琴音に負けず劣らずのスーパーポジティブ人間なのである。

 ただ、小説ではあんな性格ではなかったはずなのだが……。まあ、そこは気にしても仕方ないか。


 ──さて、ベアトリクスはこのピンチをどうやって切り抜けるのだろうか……。


 そんなことを考えながら、物陰からこっそり成り行きを見守る。

 一応、今世の俺も陰ながらベアトリクスを守ってきたつもりだ。

 けれど、琴音の時と同じようにやはり俺の出る幕はなかった。

 歩いている時に頭上から鳥の糞が落ちてきた時でさえ、ベアトリクスは「ねえ、レオン! パーティーの直前に鳥の糞が落ちてきてセットした髪とドレスが台無しになるって、逆にすごい確率ですわね!? わたくし、ラッキガールかもしれませんわ!!」と言ってへこみすらしなかったのだ。

 だから、王太子から婚約破棄を突きつけられた程度ではきっと動じないだろう。

 ただ……動揺しないのはいいとして、気がかりなのはその後だ。

 確か、ベアトリクスは婚約破棄された後、王都追放の刑に処される予定だったはず。

 小説を読んでいたお陰で、俺は彼女が追放後に幸せな人生を送ることになるということを知っている。

 とはいえ、ベアトリクスが辛い目に遭うのを見るのは心が痛むのだ。

 そんなことを考えていると、ベアトリクスは落ち着いた様子で口を開いた。


「──なるほど、わかりましたわ。ジョシュア様」

「ほう……やけに物分かりがいいな。ということは、素直に自分の罪を認め──」

「つまり、あれですわね。今のわたくしは、王太子殿下の婚約者として相応しい人間ではないと──そういうことですわね! 確かに、思い返してみれば今までのわたくしはジョシュア様の婚約者として至らぬ点ばかりでした。実際、ティルシー嬢には、少々厳しくしすぎていじめと誤解されても仕方のない言動を多々とっていましたし……」

「……? いや、誤解ではなく普通にいじめだと言っているんだが……?」

「でも!! わたくしは、ティルシー嬢に立派な淑女になっていただきたい一心で厳しく接していただけなのです! それを『いじめ』と捉えられしまうなんて、完全にわたくしの力不足ですわ……! 本当に、なんとお詫びしたらいいのやら……!」

「え……いや、だから……」


 完全にベアトリクスにペースを持っていかれたジョシュアは、狼狽えながらも何とか主導権を取り戻そうとしている。


「ちなみに、わたくしがティルシー嬢をいじめていたように見えたのは恐らく勉強会の時のことでしょう。実は、ティルシー嬢から『勉強についていけない』と常日頃から相談を受けていまして……『それなら、週に何度か勉強会を開きましょう。わからないところはわたくしが教えますから』と提案したのです。……そうでしたわよね、ティルシー嬢?」

「え……? ええと……は、はい……」


 ベアトリクスの気迫に押されたのか、ジョシュアの隣にぴったり寄り添うように立っているティルシーは戸惑いながらも頷く。

 ティルシー・ローレス。

 小説ではジョシュアを寝取った上、彼とぐるになってベアトリクスを陥れる役どころだ。


「ほら、ティルシー嬢もこう仰っていますわ。そういうわけで……わたくしは、ただ熱心に彼女に勉強を教えていただけなのです」

「……ちっ」


 一瞬、ジョシュアのほうから舌打ちのようなものが聞こえたかと思えば、彼はティルシーの耳元に唇を寄せた。

 直後、彼らは何やらひそひそと内緒話のようなものを始める。

 この距離からでは流石に話の内容までは聞こえないが、様子から察するに恐らく「おい、何をやっている。口裏を合わせろと言っただろう?」「そ、そんなこと言われても……」というようなやり取りをしているのだろう。


「……いや、信用できん! 現に、複数人の目撃者がいるんだぞ! 彼らは皆、『ベアトリクスがティルシーをいじめているようにしか見えなかった』と口を揃えて言っているんだ! 誤解のわけがないだろう! ……きっと、ベアトリクスはティルシーを脅しているのだ!」


 ジョシュアの怒号がホール内に響き渡り、周りにいる野次馬達がざわっとどよめく。


「そうだろう!? ティルシー!?」


 確認するように、ジョシュアはティルシーにそう問いかける。

 今度はジョシュアの気迫に押されたらしく、ティルシーは怯えたような顔で頷いた。

 ジョシュアの顔に視線を移してみれば、「お前は余計なことを言わずに話を合わせていろ」と言わんばかりに恐ろしい形相をしていた。


「ひっ……! は、はいぃっ!!」

「それ見ろ! ティルシーもこう言っているではないか!」

「……」


 主導権を取り戻したジョシュアは、したり顔で口の端を吊り上げる。

 そして、彼はさらに話を続けた。


「ベアトリクス……貴様は同級生を脅した上、この俺まで騙そうと画策した──その罪は、万死に値するぞ!!」

「ジョシュア様……」


 言って、ベアトリクスはその美しい顔を歪ませる。

 スーパーポジティブ令嬢であるベアトリクスも、流石にこれは堪えたのかもしれない。

 でも、大丈夫。何故なら、彼女はこのパーティーで断罪された後、追放先で王家の親戚に当たる人物──アルヴィス・ハースト公爵に助けられる予定になっているからだ。

 ベアトリクスは、序盤はそれはもう不幸の連続で可哀想な目にばかり遭う。

 だが、小説のタイトルからも大体想像がつくように、追放後は幸せな溺愛生活を送るようになるのだ。

 そう……俺の使命は、その日が来るまでベアトリクスを陰ながら守ることなのである。

 そして、ベアトリクスとアルヴィスが結ばれるところを必ずこの目で見届けなければ……。


「よって、お前を王都追放の刑に処する!! 金輪際、俺とティルシーに関わらないでくれ!!」


 ジョシュアがそう言い放つと、ベアトリクスはゆっくりと俯いた。

 一体、何を考えているのだろう?

 そう思っていると、ベアトリクスがおもむろに口を開く。


「──なるほど。わかりました」

「ふん、ようやくわかったか」


 ジョシュアは鼻を鳴らすと、少し得意げな様子でそう返す。


「つまり……ジョシュア様は、わたくしを試していらっしゃるのですね。だからこそ、ティルシー嬢と組んであえて悪役を買って出られたのですね」

「………………は?」


 予想外の返答が返ってきたことに面食らったのか、ジョシュアは間の抜けた返事をする。


「ええ、承知しておりますわ。多少の逆境に耐えられないようでは、将来王妃など務まりませんものね。でも、どうぞご安心を。この程度の試練では、わたくしの心は折れませんので! ジョシュア様のご命令通り、王都を出て()()()()をして参ります! そして……必ずや、立派な淑女になって戻ってきますわっ!!」


 そう叫ぶと、ベアトリクスはフンスッと気合いを入れる。

 ……うん。やっぱり、うちのお嬢様はスーパーポジティブだ。

 なんというか……いい意味で鈍感だから、他人の悪意に気付かないんだろうな。

 通常運転のベアトリクスに安堵しつつ、俺はほっと胸を撫で下ろす。


「……!? いや、そうではなくてだな……!」

「それでは、ジョシュア様! 今夜はこの辺でお暇させていただきますわっ! 遅くとも来週中には王都を出たいので、今から準備に取り掛かからなくてはなりませんの!」

「は……? いや、ちょ……誰も花嫁修業に出ろなんて言ってな──」

「さあ、これから忙しくなりますわよー! ……というわけで、レオン! 屋敷に戻りますわよ! すぐにわたくしの荷物をまとめてちょうだい!」


 言いながら、ベアトリクスはスタスタと俺のほうに歩いてくる。

 後ろでジョシュアが何やらぎゃーぎゃー騒いでいるが、どうやら彼女の耳には届いていないらしい。


「は、はい! 承知しました、お嬢様!」

「ああ、それと……数日中には行き先を決めておきたいから、いくつか候補を見繕っておいてくれないかしら?」

「はい。でも、旦那様が何と言われるか……」

「王太子殿下のご命令とあらば、例えお父様と言えど拒否するわけにはいきませんわ! 大丈夫! お父様なら、きっと応援してくださるはずですっ!」

「ははは……そうだといいのですが……。旦那様って、結構心配性ですからねぇ……」


 そんな会話をしながら、俺とベアトリクスはパーティー会場を後にした。



 ***



 三日後。

 あれから、ジョシュアは何も連絡を寄越してこない。

 話をポジティブに捉えたベアトリクスが早々に切り上げて帰ってきてしまったため、恐らく奴のプライドは相当傷ついているはずである。

 もしかしたら、今頃ブチ切れてティルシーに八つ当たりでもしているのだろうか?

 元々、あの二人は物語の後半辺りで大々的にざまぁされる予定ではあるのだが……序盤で不仲になるのも、それはそれで面白い。


 ……そんなわけで。

 とりあえず、ベアトリクスの花嫁修業先は彼女の命令通り俺が見繕った。

 一つ目の候補は、辺境の村にある仕立て屋。

 田舎の仕立て屋とはいえ、それなりに名が知れているから奉公先として選ぶ平民も多い。

 二つ目の候補は、国境の町にある酒場。

 国境の町と言えば、人の出入りも多い。

 そんな町の酒場のウェイトレスとして暫く働いていれば、それなりに社会勉強になるしコミュニケーション能力もつくだろう。

 三つ目の候補は、旦那様──つまり、ベアトリクスの父親の知り合いの辺境伯が住む邸宅。

 実は、ここはベアトリクスとアルヴィスが初めて出会う場所でもある。

 物語の序盤で王都を追放されたベアトリクスは父の知り合いの辺境伯の元でメイドとして下働きをすることになるのだが、ある日、その邸宅にアルヴィスが所用で訪ねてくるのだ。

 ベアトリクスは緊張するあまり紅茶をアルヴィスの服に零してしまうのだが、優しいアルヴィスは笑ってそれを許す。

 それをきっかけに二人の距離はどんどん縮まっていき──いよいよ、甘々な溺愛生活が始まるのだ。


 恐らく、ベアトリクスが三つ目の候補を選ばなかったとしても、物語の強制力か何かが働いてそのうちアルヴィスと出会うことになるだろう。

 とはいえ、俺は全力で三つ目の候補を推すつもりでいるのだが……。

 そんなことを考えながら、俺はベアトリクスの部屋を訪ねる。

 そして、早速見繕ってきた候補先を書いたメモを見せた。


「お嬢様。ご命令通り、行き先の候補を見繕いました」

「ありがとう、レオン」


 ベアトリクスは俺に向かってお礼を言うと、早速メモに目を通し始める。


「ちなみに……私のおすすめは、三つ目です」

「お父様の知り合いの……?」

「はい。やはり、素性の知れない人間の元で働くよりかは、お父上のお知り合いの元で働いたほうが良いと思うので……」

「うーん……」


 ベアトリクスは腕を組み、考え込むような動作をする。


「それもそうですわね。レオンの言う通り、そこにしましょう」

「……! 左様でございますか。これで、旦那様も安心してお嬢様を送り出せますね」


 言いながら、俺は安堵のため息を漏らす。


「……ねえ、レオン」

「はい? 何でしょうか?」


 安堵していると、ベアトリクスが突然神妙な面持ちで尋ねてくる。


「わたくしが花嫁修業から戻ってきたら、また専属の執事として仕えてくれますか……?」

「……!」


 意外な質問をされて、言葉に詰まってしまう。

 きっと、ベアトリクスがここに戻ってくることはもうない。

 まずジョシュアが許さないだろうし、それ以前に……彼女は花嫁修業先でアルヴィスと出会ってそのまま彼と結婚することが確定しているからだ。

 それなのに……


 ──この胸の痛みは、一体何だろう?


 前世の幼馴染によく似たお嬢様だったから、情が湧いてしまったのだろうか?

 これから先も、ずっとそばに仕えたいと思ってしまう。

 主人の幸せを喜べないなんて、執事失格だ。


「もちろんですよ。お嬢様は、孤児だった私を拾ってくださった恩人です。あなたが私を必要としてくれる限り、私は死ぬまであなたの『執事』で居続けますよ」


 そう返すと、ベアトリクスは少し寂しそうな顔をして笑った。

 実は俺は孤児院育ちなのだが、十二歳の時にアリンガム侯爵に声をかけられて使用人になったという経緯がある。

 偶然、街中で俺を見かけたベアトリクスが何故か気に入ってくれたらしく、「ぜひうちの執事になってほしい」と頼み込まれたのだ。

 その後、ベアトリクスと同い年だったということもあり、俺は彼女の専属執事になった。


「ありがとう、レオン。……あなたがわたくしの執事になってから、もう六年が経ったのですね」


 感慨深い様子で、ベアトリクスがそう言った。


「そうですね。本当に早いものです」

「でも、向こうに行ったらもうレオンに頼ることはできません。……だから、そろそろ自立しなくてはなりませんわね」


 ベアトリクスは伏し目がちにそう言うと、寂しそうに窓の外を眺めた。



 ***



 あれから、約二ヶ月が経過した。

 今、俺は馬車に揺られながら、ベアトリクスが働いている辺境伯の邸宅に向かっている。

 というのも、心配性なアリンガム侯爵から「娘の様子を見てきてほしい」と頼まれたからだ。


 ──ベアトリクスなら、きっと大丈夫。


 そう思いつつも、俺も彼女のことが心配だった。

 だから、ちょうどいいタイミングで御用を申し付けてくれた旦那様には正直感謝していたりする。


「あと、どれくらいで着きますか?」

「そうですねぇ……多分、一時間くらいかと」


 御者に尋ねるとそう返ってきたので、俺は一眠りすることにした。

 長旅の疲れがどっと襲ってきて、自然とまぶたが閉じる。




 ──俺は、夢を見ていた。

 と言っても、今世の夢ではなく前世の夢を見ているようだ。

 場所は……幼少期、よく遊んでいた公園か……?


「うぅ……ひっく……」

「大丈夫か? 琴音。くっそー、あいつら! 琴音が大人しいからって、いつもいじめやがって……!!」


 そう叫びながら、俺は拳を握りしめる。

 どうやら、琴音をいじめていた子供達を追い払った直後のようだ。

 俺も琴音も、まだ体が小さい。背丈から察するに、六歳くらいだろうか。


「立てるか……?」


 俺はそう声をかけると、琴音に向かって手を差し伸べる。


「うん……ありがとう、柳太郎くん。また助けてもらっちゃったね」


 起き上がった琴音は、申し訳無さそうに謝る。


「気にすんなって。またあいつらがいじめてきたら、俺が追い払ってやるからさ! 俺、実はクラスで一番喧嘩が強いんだ! この間も、クラスメイトと喧嘩して相手を泣かせてやったよ!」


 腰に手を当てて、得意げにそう言ってみせる。

 すると、琴音は何かを決心したように口を開いた。


「……あのね、柳太郎くん。私、強くなる。これ以上、柳太郎くんに心配や迷惑をかけたくないから……」

「琴音……?」


 不思議に思った俺は、首をかしげる。

 そして、夢はそこで途切れた。




「……うーん……ハッ!」


 馬車がガタン、と揺れた衝撃で目が覚めた。

 腕時計を確認すると、あれから三十分ほど経っていた。


「それにしても、なんであんな夢を見たんだろう……」


 ──今思えば、琴音はあの日を堺にポジティブな性格になったような気がするな。


 そんなことを考えながら、俺は大きく伸びをした。



 ***



 辺境伯の邸宅を訪ね、中庭に行くと、すぐに洗濯物を干しているベアトリクスの姿が目に飛び込んできた。

 フリルの付いたエプロンと、ロングスカートタイプの黒いメイド服を上手に着こなしている。

 もうすっかり、この邸宅に馴染んでいるようだ。


「レオン!? どうしてここに!?」


 叫びながら、ベアトリクスは目を瞬かせる。


「旦那様から御用を申し付けられたんですよ。お嬢様の様子を見てきてくれないかって」

「まあ、お父様が……? 本当に、極度の心配性ですわね。お父様は」


 呟くと、ベアトリクスは苦笑する。


「それだけ、大事にされているんですよ」

「ふふ、それもそうですわね」

「あれ……そう言えば、他のメイドはどこにいるんですか?」


 ふと、疑問に思ったことを尋ねてみる。

 例え人手不足だったとしても、仕事をたった一人のメイドに任せるなんて考えづらい。


「休憩していますわ」

「えぇ!?」


 素っ頓狂な声を上げた後、ふとベアトリクスが追放されてからの展開が頭をよぎる。


 ──ああ! そうだ! うろ覚えだけど……確か、小説では追放先で他のメイド達からいじめられる展開が待っているんだったっけ……!?


「お嬢様。もしかして、仕事を押し付けられたのでは……?」

「押し付けられた……? いいえ、違いますわ」


 俺の質問に対して、ベアトリクスはきょとんとした顔でそう返す。


「彼女達は、わたくしのためを思っていつも沢山の仕事を回してくれていました! ……そう、わたくしが将来立派な王妃になれるよう、あえて厳しい試練を与えてくれたのですわ!」


 あー……やっぱり、メイド仲間達による陰湿ないじめもポジティブに捉えていたか。

 ていうか、婚約者であるジョシュア王子は「あの勘違い女が戻ってきたら、今度こそ追放してやる!」なんて言って息巻いているんだけどな。

 だから、ベアトリクス……残念だけど、君が王妃になる日は永遠に来ないんだよ。

 ……とは流石に言えないので、俺は黙り込む。


「でも……『もっと仕事をくれ!』と要求していたら、いつの間にか彼女達はわたくしを避けるようになってしまいましたの」

「へ、へぇ……」


 多分、ドン引きされたんだろうなぁ……と思いつつ、相槌を打つ。


「そんな経緯があって、こうして率先して仕事を引き受けていますのよ!」

「さ、左様でございますか! 流石、お嬢様です! ──話は変わりますが……ここ最近、何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと……?」


 俺が尋ねると、ベアトリクスは首をかしげる。

 さり気なくアルヴィスとの出会いについて探りを入れてみたのだが……この反応から察するに、まだ彼とは出会っていないのだろうか?


「いえ、その……例えば、誰か仲がいい人ができたとか。お嬢様に新しいご友人ができれば、旦那様も私もとりあえず一安心なので……」

「ああ、そう言えば……」


 ベアトリクスは一瞬考え込むと、思い出したように話を続けた。


「最近、知り合った方がいるのですが……その方から、何故か求婚されましたわ」


 その言葉を聞いて、俺は確信する。

 ベアトリクスが言っている相手は、きっとアルヴィスだろう。

 やはり、小説の展開通り彼女は運命の相手と出会い、溺愛された末に結婚するのだ。


「頭が切れて、冷静沈着で、しかも美形だけどちょっと強面な方なので周囲からは冷酷な人だと誤解されているみたいですけれど……実は、とても気さくで面白い方ですのよ。ちょっぴりドジなところもありますし……」


 アルヴィスとのやり取りを思い出しながら、ベアトリクスは彼と出会った経緯を語ってくれる。

 楽しそうに話している彼女を見ると、何故か胸が苦しくなる。

 つい先日も同じような気持ちになったが、今回はさらに胸が苦しい。

 やはり、主人に対して情が湧きすぎたか? そりゃあ、六年も一緒にいたんだもんな……。

 そんなふうに自問自答しているうちに、俺はようやく自分の本心に気付いた。


 ──いや、違う。これは紛れもない『嫉妬』だ。俺は、二人の仲がこれ以上進展することを望んでいないんだ。


 とはいえ、今さら気付いても遅いだろう。いや……身分が違いすぎて、それ以前の問題か。

 やはり、この気持ちは封印するべき……というか、墓場まで持っていく秘密にしなければ。


「……でも、丁重にお断りさせていただきました」

「ど、どうしてですか!? だって、相手はあのハースト公爵なんでしょう!? 結婚相手として申し分ないお方じゃないですか! ……ジョシュア王太子殿下の態度は、私から見てもかなり手厳しいように感じました! だから、いっそのこと王太子殿下との婚約を辞退して、気の合うハースト公爵からの求婚を承諾したほうがいいと思います!!」


 矢継ぎ早に自分の意見を伝えると、ベアトリクスは首を横に振った。


「それでも……わたくしは、どうしても王都に戻らなければならないのです」

「それは、ジョシュア様のためですか……? だったら、あんな男のために尽くす必要なんてありませんよ! この際だから、本当のことを伝えさせてもらいますけれど……あの男、ティルシー嬢と一緒になりたいがためにお嬢様を罠にはめようとしていたんですよ!? 今までは、お嬢様を傷つけないように黙っていましたけれど……お嬢様の将来に関わることなら、真実をお伝えしないわけにはいきません!」


 つい、語気が荒くなって真実を伝えてしまう。

 すると、ベアトリクスは全てを悟ったような表情で俺のほうに向き直った。


「そんなこと、とっくに知っていましたわ」

「なっ……! それなら、どうして……!?」


 わけがわからなかった。

 ジョシュアの真意に気付いていたのに、何故ベアトリクスは王都に戻ろうとするのだろう。

 彼女があえて『鈍感なポジティブ令嬢』を演じてまでそうする理由は何だ……?

 そう考えていると、ベアトリクスが強い口調で言い放った。


「王都に戻らないと、レオンに会えないからです!!」

「……!」


 俺は言葉に詰まった。


「王都に居さえすれば、王妃になったとしてもきっと会いに行けるでしょう。でも……もし王都を追放されて出入り禁止になったら、もう二度と大好きなレオンに会えなくなってしまいます。……だから、わたくしは意地でも王都に戻りたかったのです」

「お嬢様……?」

「わたくしが一番欲しいのは、将来有望な王太子との結婚でも、名家の当主である公爵との結婚でもなく……たった一人の大切な執事と笑い合って過ごす平穏な日々なのです!!」


 そこまで言われて、初めて気づく。

 きっと、ベアトリクスも俺と同じ気持ちなのだろう。

 ふと、小説の展開のことが頭によぎる。

 例えば、ここで俺がベアトリクスを攫ったとしたら──やっぱり、物語の強制力が働いて上手くいかなくなるのだろうか。


「ご……ごめんなさい、レオン。突然、こんなことを言われても困りますわよね……」


 伏し目がちにそう言ったベアトリクスを見て、俺は決意を固める。


「……一緒に逃げましょう、お嬢様」

「レオン……?」


 ベアトリクスの華奢な手を取った俺は、さらに言葉を続ける。


「たとえ、越えがたい身分の違いがあったとしても、俺はこれから先もずっとお嬢様のそばにいたいです。だから、逃げましょう。もちろん、お嬢様に全てを捨てる覚悟があればの話ですが……」

「レオン……」


 ベアトリクスは再び俺の名前を呼ぶと、ゆっくりと頷いた。

 俺は今、物語を歪曲させようとしている。

 本来なら、それは正しい行いではないのかもしれない。

 でも──


 ──小説本編ではほとんど出番がないモブ執事と主人公の悪役令嬢が恋に落ち、駆け落ちをする……そんな展開があったとしても別にいいんじゃないか?



 きっと……俺の行動次第で、未来はいくらでも変えられる。

 この物語は、無限の可能性を秘めているのだ。

 現に、(レオン)とベアトリクスが惹かれ合っている時点で、既に展開が変わっているわけだしな。


「ごめんなさい、レオン。なるべくあなたに心配や迷惑はかけないようにしよう、と心に決めていたのに……」


 ベアトリクスの言葉を聞いた瞬間、不意に琴音の顔が頭に浮かんだ。

 琴音も、俺に心配や迷惑をかけたくないからという理由で、多少無理をしてでもポジティブに振る舞っていたのだろうか……?

 ん……? ちょっと待てよ。琴音とベアトリクスは性格がよく似ている。

 そして、恐らく彼女は俺と一緒に交通事故に遭った時に死んだ。

 もしかすると、彼女の正体は────


 ……いや、今はそんなことはどうでもいいか。


 二人の身分の差、これからの生活のこと、待ち受けているであろう苦難の数々。

 俺達が抱えている問題は山積みだ。それに、ベアトリクスを幸せにできる保障もない。

 でも……俺は、好きでもない相手と結婚して後悔するベアトリクスを見たくない。

 だから、ベアトリクスの望みを叶えよう。彼女が望む限り、そばに居続けよう。


 ──悪役令嬢ベアトリクスの執事ではなく、レオン・アルダーソンという一人の男として。


「迷惑だなんて、とんでもない。むしろ、本望ですよ」


 そう返すと、ベアトリクスは嬉しそうに──そして少し照れくさそうに微笑んだ。

 俺はおもむろに彼女の前に跪くと、その白い手にそっと口づけをした。

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