お兄様の帰還
邸に戻った私は、お父様とお母様に就寝の挨拶をし、自分の部屋に入るとすぐベッドに身体を投げ出しました。
「お嬢様、ドレスに皺がついてしまいます」
令嬢らしくない行動をとった私に、困った顔で注意するのは私付き侍女のサラ。
幼い時から私のお世話をしてくれていて、姉様みたいな存在です。
思った以上に疲れていた私は、数分ベッドに伏せてから、ようやく着替える為起き上がりました。
「サラ、私お友達が出来たの。女の子のお友達は出来なかったけれど、とても楽しかったのよ」
「そうですか。それは良かったですね。お嬢様のお人柄を知れば容易だと、私は何も心配しておりませんでしたよ」
サラはそう言って嬉しそうに微笑みました。
「お兄様にもお伝えしたいから、明日便箋を用意してくれる?」
「かしこまりました」
私には5つ歳の離れた兄がいます。
名前は、エヴァン・ルナ・トルストイ。
お兄様は1年前に留学され、現在邸にはおりません。
1週間に1度はお手紙でのやり取りをしていて、心配性なお兄様は付いて行きたそうになさっていましたが、留学先での試験と被っていたので許可が下りなかったようです。
寝間着に着替えた私は、今度こそベッドに横になり、お兄様の喜んでくださる表情を思い浮かべながら眠りに落ちました。
翌朝目が覚めた私は、目の前に誰かの顔があり驚きました。
よく見るとその人物は私のお兄様で、端正なお顔で覗き込まれておりました。
お兄様の少し長めで白に近い金髪が、さらりと私の顔に触れます。
「おはよう。私の可愛いエイミー」
琥珀色の瞳を細め、柔らかい表情で微笑まれます。
「…おはようございます、おにいさま」
起き上がろうと身を捩ると、少し距離を取ってくださいました。
「…いつおもどりになられたのですか?」
「早朝だよ。本当は昨日一緒に登城したかったんだけどね」
少し話しているとだんだんと頭が冴えてきて、久しぶりに会えたお兄様に嬉しさが込み上げます。
「お兄様!」
思わず抱き付いた私を受け止め、頭を撫でていただきました。
普段令嬢然とした話し方をしていても、年相応な態度で甘えたい時もあるのです。
「試験中だとお聞きしていたので、まだ暫くお戻りになられないと思っていました」
「試験は昨日までだったんだ。エイミーの事がどうしても気になってしまって、終わったと同時に馬車を走らせ帰ってきたんだよ」
「…!お会い出来て嬉しいです!」
「…私の可愛いエイミーに、変な虫がついたかもしれないと思うと……」
お兄様が何かをぽつりと呟かれたようですが、コンコンと軽く扉を叩く音で聞こえませんでした。
「お嬢様、朝のご支度に伺いました」
扉の外で声をかけてきたのは、侍女のサラでした。
私は「どうぞ。」と入室を促し、部屋に入ってきたサラはお兄様の姿を捉え、驚きに目を見開いています。
手には昨夜用意するよう指示した便箋がありました。
「…エヴァン様、お戻りになられていたのですね」
「ああ。父上にはこれから挨拶に伺うよ」
どうやらお兄様は、帰ってきてすぐ私の元へと来てくださっていたようです。
サラが来たことにより、お兄様に伝えたかったことを思い出した私は、昨日の事を話し始めました。
「お兄様、私お友達が出来ました。…と言っても、まだお1人なのですけれど…」
「へえ…それはどこのご令嬢かな?」
「いえ、あの…ご令嬢ではなく……アーネスト殿下、なのです」
そう告げますと、お兄様から冷ややかな雰囲気を感じた気がしたのですが、それも一瞬でかき消え優しく微笑んでくださいました。
「それは…おめでとう。さすが私の可愛い妹だ。あの人見知りのアーネスト殿下と友人になれるとは…」
お兄様にお伝えすることが出来た私は、お父様に挨拶に行かれるというお兄様を部屋の扉の前でお見送りし、サラに着替えを手伝ってもらって、朝食をとる為大広間へ向かいます。
そこには既に、両親とお兄様が揃ってお席に着いておりました。
テーブルには温かな食事が並んでいます。
「お父様、お母様。おはようございます」
「エイミー、おはよう」
「おはよう」
私が席に着いた事を確認し、お父様が食事を始める前の挨拶を言います。
「太陽の神、月の神が創造された全ての恵みに感謝します」
胸の前で右手の甲を左の掌で添えるようにクロスさせ、軽く頭を下げます。
これはグランディア王国の食事の際の作法です。
「…ところで、エイミー。昨夜はよく眠れたか」
「はい、お父様」
「ラティッツェ侯爵と少し話をした。エイミーの事を褒めていたよ」
「そんな…ご無礼をしてしまいましたのに…」
ラティッツェ侯爵様は本当にお優しい方です。
「エイミーは、ラティッツェ侯爵とも知り合いになったのかい?」
私とお父様の会話を聞いていたお兄様が、私にお尋ねになりました。
私は事の顚末をお兄様にお話しました。
「なるほど……そうなると、侯爵令息もか…」
お兄様は顎に手をやり、何かを考えるように黙り込まれました。
「ではエイミー。これからは、お茶会のご招待も増えることでしょう。新しいドレスを仕立てなくてはいけませんわね」
お母様が嬉しそうにドレスのデザインについてお話になります。
今まではお茶会の機会もなく、私も倹約的だったのでそれほど必要と感じず、ドレスの数は多くありません。
ーーお母様の仰るように、今後社交が増えるとなれば、伯爵令嬢として仕立てないわけにはいきませんね…。
ちなみに殿下の生誕のお祝いの時には、新しく仕立てる時間もなかったので、一度も袖を通していなかった淡い緑色のドレスを選びました。
お母様はお洒落が好きで、新しいドレスを仕立てるよう仰っていましたが、私がお断りしていたので堂々と仕立てられる機会が出来て嬉しいのでしょう。
私が生まれる前は、よくお兄様がお母様の着せ替え人形と化していた事を侍女頭から聞いたことがあります。
一度だけ、その事をお兄様にお聞きしたことがありましたが、大変ショックを受けられて、触れてはいけないことだったのだと思いました。
この時の私はまだ、お兄様がなぜあんなにもショックを受けていたのか知る由もありませんでした。
タイトルの割に出番が少ないお兄様。