紫陽花の色
自分の作ったvtuberの肉体の話的なものです。一応作者=筆者なので一次制作物です。
梅雨入りを感じさせる気候は、機械油と金属音が響く工場内で働く私にもその匂いを与えた。社員食堂に置かれた、四半期ごとに発行される社内報の結婚の知らせには、青い紫陽花のイラストと、結婚したものの名前が多く載せられている。所謂ジューンブライドというものだ。
社内報を見るものは様々だが、深夜休憩のこの時間は、黄色い声は上がっていない。工業系の工場は、24時間稼働しており、生産ラインの安定化の他、機械の立ち上げにかかるコストよりも稼働させ続けた人件費が安上がりになることもあるため、この工場では24時間体制となっている。
女性の社会進出の影響により、工場にも女性はいる。しかし、身体能力の都合上、日勤ーおおよそ7時から18時の間の8時間勤務-が多く、深夜にあたるのは男性が多くなる。
「事務の山川さんはおめでた結婚だってよ」
同じ作業グループの情報通の男が、耳打ちする。大手の工場でも、現場で作業する人間の多くはその地域で採用されたものが多い。そのため、近くの高等学校出身で、顔の広いものはすぐに情報が回ってくるのだ。
「まじっすか。大人しそうな顔してんのに弾けてますね」
対面に座ってコーヒーを飲む後輩も、ゴシップに食い入る。そういえばなんとなく気になると言っていたのを思い出し、苦笑する。彼なりに変にがっかりすれば微妙な空気になることを知っていて、あえて下賤な単語を選んだのだろう。休憩所には他の職員もおり、後から自身の片思いを茶化されたくないのだろう。その片思いも彼が報告等で事務との使い走りに使われることがあるから、尚更だ。
(誰もかれも浮き足立ってるな)
他人の吉報、特に恋愛関連で同じ職場の人間となれば、「次は自分かも」という感情になる人間は一定数存在する。それを俯瞰している自信もその一つであり、いつそれを目の前の情報通の中年にいじられないかと、少し緊張していた。
「そういやお前、青紫さんとどうよ。ID交換したか?」
「いや先輩、いまは山川さんの」
「そうっすよ。前よりちゃんと髭剃って気合入れてるじゃないっすか」
一つ大きく私の心臓が跳ねたが、なるべく平静を保とうとする。現場の人間で、油で汚れる機会もあり、見た目に頓着しがちであった私の変化に目敏い後輩が追撃する。青紫陽花、技術職で入社した私の同い年となる人物である。管理を行うものや全国区から採用される総合職や技術職と呼ばれる人間は、私のような高校を出てすぐに就職した人間と違い、名のある大学から出たものが多い。例え現場に出ずっぱりであっても、給与・役職・仕事の責任も段違いであり、私からすれば高嶺の花である。また、容姿も整って見えて、通勤するときにたまたま見えた私服の青色がよく似合っていた女性だ。
「IDなんて聞けませんよ。仕事で会うのは試作品の調整ぐらいですし」
「情け無いなぁ。男ならもっとガツガツいかんとダメだぞ。残業とかして帰り合わせるとかしろよ」
「そっすよ。ガンガンいきましょ。最近青紫さんと二人になる時もあるでしょ!」
「あ、お前自分が標的から外れたと思って調子乗りやがって」
SNSのIDを聞けるわけないと心中でぼやきながら、先輩の矛先から逃れた後輩を睨みながらも先輩の話題には答えなければならない義務感から仕方なく現状を報告がてら茶を濁す。
実際は、もう少し自分がより打ち解けたら、見た目も相手に釣り合うようになれたらと思いながら、彼女を思っていた。
「仕事の合間でそんなの聞けませんし、あっちは上の人ですよ。俺なんかじゃとても」
「これはガチ恋っすね」
「ちょっとまじだわな」
「なんですか!聞いといて」
椅子がいつもより小気味良くなり、自身の動揺が伝わるのを感じる。他人の恋愛話や噂話は聞いていて楽だが、渦中のものとしては溜まったものではない。
時計を見てはまだ休憩時間が残っていることを喜ばなかったのは久々であった。以前ならば早めに戻り、作業することも可能であったが、働き方改革などの要因でしっかりと休憩を取らされ、残業も規制されている。
話題の一つに、先輩の言った戦法は時代遅れだと言おうとしたが、それをいえば狙ってることが見え見えだと、また茶化されるために照れているフリをして凄そうかと模索していた。
「まあでも青紫さんはハードル高いな」
「そうっすよね。キャリア組で男受けいいですし」
「そもそも工学系の女子なんかはめちゃくちゃ人気あるからな」
「え、そうなんすか?」
「工学系はな、男の学問だったからな。そりゃそこに女が入れば取り合いよ」
インターネットで検索したことと似たり寄ったりした言葉を先輩が後輩にレクチャーする。現代において、理系、特に工学系の男女比は殆どが男性であり、一昔前ではリケジョ-主に理系の女子大学生の俗称-が流行ったほどに文理選択でも男女の差が発生し、その中でも看護系を目指すために化学・生物・物理の中でも生物を専攻する女性が多い。
そうくれば、研究室ー大学などで教員と学生の研究グループ-で必然と一輪の花のような扱いを受ける場合があると記事で見た。
「先輩、頑張らないとすぐ取られちゃいますよ」
「いや俺はべつに青紫さんが絶対じゃないですし、べつに彼女さえいれば」
「じゃあ、証明して下さいよ」
「そうだぞ。先輩らしく後輩に夜勤の高卒でも女ゲットできるって見せないとな」
「…それだったら出会い系でもやって捕まえますよ」
つい小意地になって、青紫陽花の話題から外そうと意味不明なことを安直なことを口走った。その瞬間に、先輩の口がいやらしく曲がったのを確認する。先輩が本当に必要なのは、私の青紫陽花の恋話ではなく、身近な人間の噂話であり、それをネタに新たにネタを得ることだ。
「なら、これ出すからゲットしろよ」
有無を言わさず、先輩は財布から3千円を私の作業着のポケットに突っ込み、目標を言い渡す。
「青紫さんのネタ出して4ヶ月も立つからな。そろそろ別の女で練習するのもいいことだ」
最低なことを言いながら、お前もな。と後輩のポケットに同じく三千円を突っ込む。完全なパワハラであるが、なかなか憎めない上に、情報源としても役立つ先輩なので、私は後輩に対して一言、頑張ろうなと、同情とざまあみろというニュアンスを込めて肩を叩く。
後輩は、矛先が自分の方向に向いたことにより、顔を痙攣らせながら、小さく「うっす」と返事をした。
・
夜勤から解放された私は、先輩の言葉の整理に時間がかかり、就寝したのは午前9時ごろであった。近くの小学校の下校のチャイムとともに目が覚めた私は、机の上に乱雑においた3千円を見てため息をつく。
先輩は出会い系アプリが課金性なのを知っている。というのも、おそらくこうなることを最初から考えていたのであろう。情報通としての顔を作るには、こうして自分が描いたルートや進捗によって色々手を加えることで新たに情報を作っているのだ。
青紫をゲットするではなく、女をゲットすると言ったのも、私に女という括りで認識させる話術ではないのかと勘繰る。
しかし、先輩の言うことも確かだ。世間的に見て、私ができることは職場内で交際相手を見つけるか、自分自身で見つけなければ、学校のように勝手に異性が現れると言うことはない。それに加えて、大卒至上主義の、毎年就職活動の日程やら大学入試などと特集が組まれている中では、高卒の身としては厳しいものがある。タバコに火をつけ、一服をしてから、もう一度考えを整理していく。
不意に着信音が鳴り、メッセージが届いているのに気がつく。
『このアプリがおすすめな』
URLとともに送られてきたメッセージからは、その先輩からのメッセージであった。軽く調べると料金も1ヶ月3千円程度になるというものだ。用意周到すぎで後輩にが渡したのは私をこのアプリをさせるための共謀代金ではないかと勘繰る。
時間的にも自信を監視しているのではないかと勘繰ったが、先輩は常々奥さんがパートに行くため子供の迎えに叩き起こされていることを思い出し、その陰謀論を払拭する。
実際に勤め出して既に6年が経とうとしている。現場での仕事も慣れ、疲れて寝て過ごすような日々は無くなったし、夜勤にも慣れ、夜勤前に1日友人と遊ぶということもできるようになった。
同級生は身を固めたり、既に第三子を得た者もいる。それに加えて今の自身を顧みても、若さがなくなれば、独身で安酒のために金を稼ぐだけの人間になるという危機感が薄々あった。
などと、屁理屈を捏ねてはいたが、結局は、諦めが芽生えていたのだろうと我に帰り、アプリをインストールする。多少煩わしい年齢確認などがあり、最後にプロフィールを記入する。
「はは、なにもないな」
自分が打ち込んだプロフィールに軽く衝撃を受け、貯金が人よりも少し多いというだけの自慢が、単なる無趣味でギャンブルやタバコをしない無味無臭なだけの人間であると認識する。
こんなところで自身の半生の虚無を感じることにはならなかったと、プリペイドカードに変わった3千円に恨み言を言う。
インターネットサイトを片手に背中を丸めながらマッチングアプリを触る。しばらく触ると容量が解ってるのと同時に、画面には自分へのおすすめと表示された女性のプロフィールが出力される。私は、何も気にすることなく、気に入った外見やプロフィールの女性を片っ端から好みのボタンを押し続ける。青紫さんに似た雰囲気の、清楚で清潔で、それでいて優しげな雰囲気の女性に好みのボタンを押すのが早くなっている自分に苦笑した。
そしてふと、何故か目に止まったプロフィール画像があった。
「ん?」
どこかで見たような画像であった。それを見た瞬間今日の先輩の話よりもよほど。心臓が跳ね上がり、動脈が拡張したと錯覚されんばかりの血液が頭を駆け巡り、軽い目眩のように意識が飛んだ。
「青紫さん?」
仕事だけの髪型かと思っていたが、そんなことはない、編んでいるのかがわからない程度よ三つ編みを肩にかけた長髪と、童顔じみた顔つきが、加工した写真であってもそれが当人であるという確証があった。
「…うそだろ」
薄々、どころではなく、確実にモテる要素を持つ憧れの女性がマッチングアプリを利用していたという、フリーである照明を得たと同時に、若干の自身の中の淑女信仰が傷つけられ、絵にも言われぬ感情が、あふれる。その指先は停止しており、本能では、好みの方に進みたいという情念と、これが引き金になり、自分はマッチングアプリを使いだしたという欲に従順な人間の見られる被害妄想が錯誤し、そのまま私は停止した。
「はあ〜。どうするかな」
ここで足踏みしてはと思っても、この写真に謎の確証があるだけで、本人とは分からない。それに何より、自分がこれから何もしないままいれば、確実に青紫さんは、他の男と出会うだろう。
それは避けたいが、あちらからの反応がなければと思うと、様々な思考が飛び交う。
「…」
手元にある何かを探る。しかし、小銭はなく、自分でジャンケンするなど滑稽だった。
「ヨシ」
アルコールの強いチュウハイ飲料を一本一気飲みし、ぼやけた頭で好みと、好みではないのどちらかを意識が飛びそうになりながら、選び、眠った。
しばらく眠って、ピロン、と小気味良い電子音が鳴り、ゆっくりと起き上がる。アラームをつけた覚えはない。その音声に曖昧な記憶を頼りに、携帯を確認する。どうせいつもの後輩からの仕事の質問だろうか。そう思い、画面を見るといつもとは違うアイコンが表示されていた。
(もしかしたら)
昨日のアレが、気が動転するのをなんとかやり過ごしながらアプリを起動する。アプリの起動までの時間が通信制限が起こっているのかというほどに長く感じ、ポップアップを待つ。期待と不安の入り混じった中に見える一つのプロフィールの写真は、しかして望んだものではなかった。
「…副業かよ」
副業の斡旋。いわゆる業者である。近年ではサービスのレビューというものがあり、その中でもサクラのレビューとの区別がつきやすいため、運営も健全な運営を心がけている。しかし、データ商法はいまだに絶えず、副業の斡旋を目的としたマルチ商法の個人が紛れていた。
それが私の当たった女性である。プロフィール欄を見る限り、新しい生活など、楽しいことでお金を稼ぐなどといった怪しい文句が垂れ下がっており、露出度の高い服装でもあった。
落胆しながら時間を確認すると、既に次の日勤まで、4時間を切っていた。
「さて、行くか」
思いの外長く寝ていたせいか、重い心に反して、体は軽かった。何より、その日勤には青紫さんと仕事をする時間があったからだ。
15時の工場はほとんど夜間と変わりなく動いている。強いて言うならば、外での搬送作業の危険が増す程度であり、あとは人員の集中力と夜間の対応力のみで、機械には変化がない。工場の一角にある試験室で、青紫さんと私は作業がひと段落したため、談笑していた。
改めて見ると、先輩の言う通り、競争率が高いと実感させられる所作がいくつもあり、その数だけ、マッチングアプリのことが頭を過る。
「…そういえば」
「なんでしょうか」
「〇〇ってアプリ、ご存知ですか」
私は言葉に詰まってしまった。室内に緊張と沈黙が支配する。工場の機械の駆動音がこれほどまでによく聞こえることは後にも先にもないと思えた。
「…、すいません。もしかして」
「ええ、昨日。ちょっと驚いちゃって」
「「あの」」
「…」
まずい。それだけが私の頭の中をよぎり、次の会話についてなんの案も出なかった。向こうも同じようで、こちらの様子を伺っているようだった。しかし、彼女も理系である。物事の判断はつくだろう、と、私の中の謎の特攻精神が叫び。そのお膳立てされた緊張走る空間に一石を投じた。
「今度、食事にでも行きませんか」
昨日の、酒の勢いに任せて好みのボタンを押してしまっていることから、自分が青紫さんに対して好意を抱いているかなど見え透いていた。ならばと、玉砕覚悟でこの少し話して別の作業に移るという自分に甘えた安定を変えようとした。
「…」
青紫さんは少し固まったが、どこか安心したような顔つきになり、力を込めていた筆記用具の握りを緩めた。
「いいですよ」
「じゃ、じゃあ今度の金曜の夜、どうですか」
そこから先は自分でも思った以上に事が進んでいた。
・
その夜、私は尋常ではないほど緊張していた。ゆっくりゆっくりと信頼関係を気づいて行けばと思っていたが、ふとした拍子に週末の夜という好条件で食事に誘えたからだ。
人よりはあると自負していた貯金から、帰りのタクシー代などが払える程度には出勤しておいた。同じ職場ということもあり、勤務時間はある程度わかっていた。だからこそ、21時からの食事というのは、より、夜を意識してしまった。
普段よりも小綺麗で、タバコの匂いがない服を選び、再度匂いをチェックしていると、外灯が淡い水色の服を映した。
「お待たせしました」
手提げバックを持ちながら歩み寄ってくる青紫さんは、初夏の装いか、かなり肩が出かかった服装をしていた。
「いえ、大丈夫ですよ。行きましょうか」
ここで、今きたところですよという常套句を言えなかった自分に余裕のなさを感じるが、既に私の中ではそれでもいいと思えた。
普通の居酒屋。チェーン店ではない、個人の経営するもので広々としていて、ゆっくり過ごすには十分だった。自分のない知恵を捻り出し、インターネットの言う正解をひたすら近場でと考えながら選んだ店だ。初対面でもないしと酒の席に誘ったが、完全な居酒屋で大丈夫だろうかとちらりと見る。
自分の心配とは裏腹に雰囲気の良さを感じているような青紫さんを見て安心する。
「青紫さんってお酒強いんですか?」
「普通…ですかね。あまり飲む機会もなかったので…」
「そうなんですか。じゃあ軽いやつの方がいいですかね」
メニューを渡し、何か話の幅を広げられないかと、いつもできているたわいの無い話が今日は特別な会話のように感じて、若干の焦りがあった。
流れてくる料理が助け舟のように流れてきて、単なる刺身でさえも、上等なものに見えた。
「あ、これ美味しいですね」
「確かに美味しいですね。こういう凝ったもの食べるの久しぶりだなあ」
「自炊とかはされないんですか?」
「いやあ、やってはいるんですけど夜勤とかだと疲れて。青紫さんはどうですか?」
「私も週末はそれなりにきちんとするんですけどやっぱり平日はコンビニとかですねぇ」
しばらく取り留めのない会話が続き、時間は10時半になろうとしていた。たわいない会話がようやく普段通りにでき、踏み込んだ話が出そうになったころ食事も終盤に差し掛かる。
青紫さんの顔は酒のせいか赤みを帯びていた。アルコールの影響による潤んだ瞳と柔らかくなった口調により可愛らしさを感じた。
「青紫さん」
「…どうしました?」
「多分、わかってると思います。俺は…」
私がそう言いかけると、青紫さんは手でそれを制すようにジェスチャーする。それの様子に酔いが醒め始め、一気に血の気が引くように感じた。
「…お酒の回ってない時に行って欲しいです」
絡んだ頬に加えて、チラチラと髪から見え隠れしていた耳の頭が赤くなっている。桃色の紫陽花のように美しかった。
感想欲しい