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夏のホラー2020

彼岸

「それでは発車致します」

 電車はゆっくりと動き出した。白く、濃い霧の中に車輪の音だけがこだます。毎年彼岸になるときに切符を切る。それが私の唯一の仕事だ。

「すいません、車掌さん。わたし初めてで勝手が分からないのですが」

 振り向くと面長の女性が佇んでいた。

「これからあなたがた、すなわち死者は、生前のご家庭に戻ることができます」

「それじゃあ家族に会えるのですか」

「ええもちろん。あなたが望むなら」

 ほっと胸を撫で下ろした様子で女性は去っていった。

 途切れることのない濃霧は、車内に沈黙を連れてくる。車窓の向こうには真っ白な世界が横たわるだけで、退屈してしまうのは当然のことだ。

「行き先は選べるかい」

 運転室の手前に蹲る男性の嗄れ声が、私の足を引き止めた。

「選べる、と申しますと」

「オレには惚れた女がいてね。家族なんかには会わなくていいから、そいつの所に連れてってくれないか」

「あなたが望めば叶う願いでしょう」

「そうか、そりゃあ良かった。ところであんたは何者だい」

 彼岸の折りに乗客を目的地まで運ぶことが私の指命であり、関係のない質問には答えられない。口が針で縫われたように動かなくなるから、成す術がないと言い換えられなくもない。

「黙りか、まあ、いいぜ。それじゃあ質問を変えよう。生きてるやつに触れることはできるのか」

「はい、触れることができます。そして決して触れることはできません」

「謎かけか。随分と回りくどいんだな」

「生きている者に、死者が触れることは禁じられています。しかし、例外として彼岸の夢の中では、一度だけ触れることができます」

「確かに、触れるし、触れない、ってことだな」

 ただし、禁忌を犯すには代償が伴う。私は窓際の死人を指差した。

「死者が生きている者に触れるには、強い想いが必要です。彼の姿をご覧なさい」

 死人の輪郭は朧で、風前の灯火よろしく、瞬く間に消えてしまいそうだ。

「あいつ不思議と透けてるぜ」

「その通り。死人を死人たらしめるのは、生前の想いのみ。強く願うほどに、あの世からも消え失せてしまうのです」

「死人が消えたらどこへ行く?」

「人間に生まれ変わる。畜生として囚われる。天界へ導かれる。様々な道が控えています」

 霧が突然に分かたれて、大きな川が現れた。電車は上空を横切っていく。

「おや、あの川は」

「三途の川です。あなたも通ってきたでしょう」

「来るときも電車だったから分からなかったな。そもそも舟じゃなかったか」

「死後の世界への流入が増えまして、電車を使うようになりました」

「あの世も近代化するんだな」

 嗄れ声の男は嗤った。

「直に着きます。揺れにご注意を」

 川を渡った電車は鬱蒼と繁る林の中に突き進んでいく。木々の合間を這うように滑る。驚いた梟が飛び立っていく。緩やかに減速して電車は止まった。

 月明かりが眩しい夜だった。それぞれ想いの地へ向かっていく。面長の女性を除いて。

「どうしたんです。さあ、お行きなさい」

「いざとなると緊張してしまって。家族にもしばらく会っていませんし」

 女性は俯いたままじっとしている。落葉が風にさらわれて、乾いた音をたてた。

「では参りましょう」

「どこへ?」

「決まっています。あなたの家族のもとへ」

 電車は再び動き出した。

「さあ思い浮かべなさい。家族との日々を。心が導いてくれる」

「分かりました」

 女性は頷いて、手を合わせ瞳を閉じた。進路に光の輪が渦となって立ちはだかる。車体は頭から飲み込まれる。

 車窓はスクリーンとなって、女性の心を映す鏡となる。縄跳びをする二つ結びの少女。こたつに寝転ぶ眼鏡の男性は瓜二つだ。桜の花びらが舞う校舎。

 矢継ぎ早に風景が駆け抜けていく。大学合格駅、就活駅。人生の節目が駅となり、現れては消えていく。やがて線路は終わりを迎えた。

「終点ですので降車ください」

「ここは、一体」

 ホームには、墓参り駅、という看板がぶら下がっていた。改札を抜けると、小さな霊園が広がっていた。いつの間にか隣にいたはずの車掌はいなくなっていた。

 石造りの階段を登っていくと、栗の木が植えられていて、角を曲がるとわたしのお墓があった。百合の花がたむけられている。わたしの好きな花だ。

 墓石は濡れている。辺りには日が満ちて、昼間の明るさだ。

「お父さん、もう掃除はいいから」

 夫だ。夫が箒で枯れ葉を集めている。

「そんなこと言ったって、綺麗にしてやらないとお母さん怒るぞ」

「えー、お水もっとかけてあげないと、お母さん喉カラカラだってさ」

 夫の鞄を漁って、ボトルを取り出した息子は墓石の頭から水を注ぐ。毎日顔を合わせていたはずなのに、息子はたくましい表情をしている。

 墓石に向かって手を合わせる二人の背中をしばらく見つめていた。

「あなたが望めば触れることができますよ」

 車掌の声が背後から伝わる。

「いいんです。強く願うと消えてしまうんですよね。だったらわたしは夫と息子をあの世で待ちます」

 電車に戻った女性は私にかぶりを振った。この女性のように、現世に残した家族が一生を終えるまで留まり続ける選択をする者は少なくない。

「あなたがそう望むなら、それもいいでしょう」

 電車は再び林の中へ戻った。闇に包まれた森ではすでに、目的を果たした死者たちが迎えを待っていた。点呼を取るが、一人足りない。嗄れ声の男がいない。

「おいおいおい。ここは何だ。どうして集まっている」

 刺青を入れた人相の悪い青年がどなっている。乗せてきた覚えはない。

「失礼。切符はお持ちかな」

「切符ぅ?んなもんねえよ。お前誰だよ」

 叫び散らす青年に、死者たちも戸惑っている。

 途方に暮れていると、ふいに仲間から連絡があった。

「説明が遅れたが、その刺青の青年は今しがた亡くなった。帰りの電車に乗せてやってくれ」

「三途の川を渡るときは、彼岸の列車は使えない掟では?」

「報告書はこちらで用意するから、古い慣習に拘らずに、どうかそちらで輸送してもらいたい」

 刺青の青年を乗せることは承知したが、肝心の嗄れ声の男性が来ていないことは依然として問題だ。

「夢の続きなら醒めてくれ、夜勤前だってのに、気味の悪い」

 貧乏ゆすりをして、落ち着かない様子で刺青の青年は呟いた。

「これは夢ではありません。あなたは死んだのです」

「死んだあ?」

「ゆっくり思い出すのです。胸に手を当てて」

 虫たちが奏でる音が響く。あの世では聞けない音だ。刺青の青年は腕を組み、考えあぐねている。

「パチンコ行って、アパート戻って、タバコ吸って、寝た。ただそれだけだ」

「他に思い当たることは」

「ないね」

 電車のベルが鳴る。そろそろあの世に戻らなくてはならない。

「ああそう言えば寝入りばなに変な声が聞こえたなあ」

「変な声ですか?」

「うまく聞き取れなかったけど。それから首が熱くなって、苦しくて、思わず跳ね起きたら森にいた」

 深い闇の中をさまよった挙げ句、電車と死者たちの集う姿に辿り着いたらしい。

「これからどこに行くんだ。外は何も見えねえ」

 あの世へと近づくにつれ、霧は厚みを増す。電車の車輪の音だけが反響している。

「あなたはここにいる死者たちとは別の場所に誘われます」

 車掌の言葉を耳にした途端に視界がぐらつき、刺青の青年は微睡んだ。

 七日後に目覚めた俺はぐらぐらと燃える炎に目が眩んだ。柱が二本、両手を回しても届かないくらいに太い。太陽のプロミネンスを彷彿とさせる踊る火の玉。

「起きたか」

 野太い、頭蓋骨が震える声が、天から降ってきた。柱が動く。それは巨大な足だった。こいつはまさか、

「察するねえ、うん、我は不動明王なり」

 黒い靄に包まれた上空にオレンジの光が二つ、圧倒的な眼差しに射竦められる。

「君がここに来る前に、そう、ちょっと前に、ちょうど修羅道へ一人送った。生憎、我以外の王たちは休暇中でな、悪いが早速裁かせてもらおう。来世はー」

「ちょっと待ってくれよ。そんな簡単に決めるもんか?」

 暗闇から鋭い切っ先が、喉元に押し当てられる。俺は息を飲んだ。

「さあ告白したまえよ。君は今までどんなことをしてきたのかね。黙っているのなら餓鬼にでも飛ばそうか」

 不動明王の背後から熱風が吹き付ける。嘘を吐けばたちまち灰となるに違いない。

「他人の女をとった」

「ほう、君は糞野郎だな」

「才能があるやつで、羨ましかった。せめて少しでも泥をつけてやりたかった。まさか女を奪われたくらいであんなことになるなんて」

 不動明王の間を抜けると、真っ白な霧の中に放り出された。覚えのある音が近づいてきて、電車は静かに止まった。

「行き先は決まったようですから、迎えにあがりました」

 乗降口で車掌が呼んでいる。

「まだ何も聞かされてないぞ」

 炎に追いたてられて、逃げることで精一杯だった。

「あなたには未練がおありなのでしょう」

「未練、そうだな。夢ならさっさと醒めて欲しい、それだけだ」

「強く望めば、願いは叶います。それでは切符を」

 車掌は俺の掌から、紙片をもぎ取った。返された半券には、

「人間から修羅?」

「間もなく修羅駅へ到着です」

 前後左右は果てしない荒れ地。風はなく、閑散としている。電車の扉が閉まり、俺だけが残された。

「うう」

 頭がぼんやりして、意識が保てない。

 ふいに首筋に激痛が走る。堅い金属の塊で殴られたようだ。

 嗄れ声で唸る鬼の形相の男は、どこかで会った気がする。右手が地面に落ちていた縄に触れた。

 これは、あの夢と同じだ。最後に見た夢を俺は思い出した。

「お前に会いにきた。この手で始末してやる」

 嗄れ声の男はそう言うなり、刺青の青年の首を力づくで絞めた。青年の息が止まることだけを切に願った。苦しみのあまりもがく青年は、枕元の充電コードが手に絡まり、自らの首に結んでいく。

 腕の中で細い首が冷たくなるのを確認すると、嗄れ声の男の指先が陽炎の如く揺らめいては消えていく。やがて全身の輪郭があやふやになって、ついには跡形もなくなった。

「もうやり残したことはない」

 同じ言葉を繰り返す嗄れ声の男を思い出し、不動明王は嗤った。死してなお誰かを殺めたいと望むのは、人間道の住人くらいだろう。

 今日も冥界には夥しい数の亡者が列を成してやってくる。電車の車輪の音が、どこか遠くから聞こえていた。




人間そのものの怖さを書きたいと思いましたが、表現しきれない己の筆力のなさがよっぽど怖いです




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