第一話 家族③
彼女に巻かれた包帯を、一つ一つ、丁寧に解いていく。
一つ一つ解いていくと、彼女の腕に巻き付いているそれが白日の下に晒された。
蔓が、巻き付いている。
巻き付いている蔓には、枝葉が生えており、花が咲いている。
「これは……痛かったでしょうね……」
僕は、彼女に問いかける。
彼女は何も答えなかった。
彼女は何も、答えようとはしなかった。
「失礼します」
そして、僕は治療を開始する。
そして、僕は花を食べ始める。
初めは花を、そして蔓を、草を、枝葉を、ゆっくりと食べ始めていく。
彼女が呻き声を上げる。しかし僕は食べるのを辞めない。それは抵抗だ。それは意志だ。それは開花病の症状だ。それは開花病の患者特有の『痙攣』だ。
「……痛いだろう。辛いだろう。けれど、少し我慢しておくれ。少しだけで良いんだ。直ぐ終わるんだ。だから、我慢しておくれ」
僕は呪詛のように、祈祷のように、願掛けのように、縋るように、彼女に話していく。
それでも、彼女の辛さが和らぐとは思っていない。
だから、直ぐに終わらせなくてはならない。
なるべく早く、治療を終わらせなくてはならない。
僕は、それを行うことが出来る。
彼女たちを、救うことが出来る。
「……痛い」
そこで、彼女は漸く言葉を紡ぐ。
「痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛いよ! 痛い! 何故! 何で、食べるの! 何で食べるの! 何で! 何で? 何で! 何で!」
怨嗟のような、叫び。
耳が痛くなるような叫びだ。
だが、それでも僕は治療を止めない。
それで止めてしまえば、中途半端に症状が悪化するだけだ。
開花病を治療する場合は、その根元まで断ち切る。そうしないと彼女たちに平穏は訪れない。
「痛い! 痛い! 痛い! 痛いよ! 痛い! どうして食べるの! どうして食べちゃうの! どうして! どうして……うう……どうして……!」
徐々に、言葉のトーンが下がっていく。
それを見て、僕はほっと一息溜息を吐いた。
(これなら、何とかなりそうだ)
トーンが下がってきたということは、症状が和らいできたという証。
ならば、まだ残っている病原体を食べ尽くして、少しでも病状を良くしていかねばならない。
開花病は一度かかってしまえば、治らない病気だ。
そして、文字通り花が咲いてしまえば、致死率は百パーセントである。
しかし、それを押さえ込むのがシスターだ。シスターが花を食べれば、また花は咲くという危険性は孕んでいるが、花が咲くまでは普通の人間と同じように生活することが出来る。
ここまで聞いている人たちならば、少し疑問を浮かべるはずだ。
では、花を食べたシスターは毒を消化出来るのか、と。
……そんなことが出来るなら、とっくにシスターの身体を掻っ捌いて何らかの特効薬が出回っているはずだし、そうなっていればシスターは商売あがったりだ。
つまり、シスターは開花病の患者から毒を貰い受けることしか出来ない。
普通の人間よりも、毒のキャパシティが多い人間。
それがシスターだ。
つまり、シスターも開花病にかかっている、ということだ。
開花病にかかるということはシスターもまた身体に花が咲く、ということ。
そして僕は、開花病の患者の身体に開花する時間――五年をもうとっくに過ぎていた。
つまり、いつ死んでもおかしくない状態。
でも僕は、シスターとして活動しなくてはならない。シスターとして、毒を受けなくてはならない。いつ死ぬかどうかも分からない未来を、見ながら。
「……終わりました」
僕は根元まで花を食べ終えると、振り返った。
家族は笑顔で僕と彼女を――否、正確には彼女だけだ――見つめていた。
そして、彼女を抱きしめ、僕には手を触れることなく、代わりにこう告げた。
「ありがとう。そして、さっさと出て行ってくれ。病気が移ったらどうするつもりだ」
「……ええ、承知しています。それでは、」
治療が終われば、嫌われ者。
それはシスターの道理であり、シスターの仕組みであり、シスターがシスターたる所以。
他の人から毒を受け入れるということは、それほど重症ということなのだから。
いつやってくるかも分からない命のタイムリミットに怯えながら、生きていく日々をかみしめる。
路地裏を歩き、急いで町の外に出るルートを歩く。治療が終わったらさっさと出てしまったほうが良い。何か迫害を受けることは間違いないし、その可能性は非常に高い。だから、僕は路地裏を小走りで駆けていた。
そのときだった。
めきり。
僕の右腕から、確かにそう何かを切り開くような、そんな音が聞こえた。
そんな音がする状態と言えば――一つしか思い浮かばない。
「花が、咲き始めるんだ」
ゆっくりと、ローブの右腕側を捲る。
すると、僕の予想通り、その腕には芽が生えていた。
思わず、僕はその場にへたり込んでしまった。
「は、はは……」
いつやってくるかは分からなかったけれど、いつやってきてもおかしくは無かった。
その命のタイムリミットに、僕は着実に近づいている。
それを思うと、乾いた笑いしか出なかった。
乾いた笑いしか、出てこなかった。
「今、芽が出たということは、花が咲くまでは数日か。それまでは生命力を奪って花が咲き誇る。……きっと、綺麗な花を咲かせるのだろうね」
僕は、それほどに大量の毒を吸い込んだのだから。
開花病の患者から、それほどに大量の花を食べたのだから。
ああ、もし神様が僕を見ているならば、恨んでやる。
どうしてこんな世界を作ったのか。どうしてこんな世界の仕組みにしたのか。
人間が何か悪いことをしたのか。人間が何か、悪いことをしたっていうのか。
壁に寄りかかり、僕は目を瞑る。
残りの命は、短い。
それを噛みしめながら、僕はゆっくりとローブを元に戻すと、立ち上がるのだった。