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序章

 まだ朝焼けと呼ぶには早い時間、僕はコロニーの郊外――『枯れ花の丘』にやってきていた。枯れ花の丘は通称で呼ばれていて、本来は、ヴァルスタニアと呼ばれる小さな集落だった。ローブを被り、僕はなるべく人が通らない道を歩く。甘い香りが漂ってくるけれど、その誘惑に駆られることなく僕はただ目的地へと歩いていた。

 甘い香りは、きっと牛の乳のスープの匂いだ。このヴァルスタニアの名産でもあり、名物でもあり、嗜好品でもある。

 牛の乳のスープは、七十ゴールドもする。一日の生活費の実に三分の一だ。だのにお腹は満腹にはなりゃしない。だったら飲まない方が良い。けれど、あの味は一度飲むと忘れられないおいしさだ。

 だけれど、それよりも忘れられない味がある。

 渇望していて、この渇きを癒やしてくれるものが。

 人間としてはそれを必要としないのかもしれないけれど、僕にとってはそれが必要だ。それが無ければ、やがて僕は、法を違反してしまうだろう。

 それほどに、いびつで、間違いに満ちた存在。

 それが僕だった。

 全身を包帯で包んだ男、或いは女が僕をじろじろと見てくる。きっと彼、または彼女が僕の意志に気づいてしまったのかもしれない。

 少々僕は、その出会いに時間をかけすぎた。

 普通ならば七日ごとに会うことになるのだけれど、今回は仕事が忙しくて一日遅れてしまった。一日でもこれほどに渇望してしまうのだから、あともう一日過ぎたらどうなってしまうのだろうか。

 僕の身体は、病に冒されている。

 しかしその病は普通に活動していれば誰も気づかない程の小さな病であり、しかしながら『処置』を無視するとやがて渇きを癒やすために――僕は暴れてしまうだろう。

 でも、僕の存在はきっと気づかれてしまったら、世界から追放されてしまうか、或いは世界から希望されるかのどちらかだ。

 それほどに僕の存在は、いびつだった。

 生きていて、世界はなおも醜く美しい。

 そう思う僕に取ってみれば、そんなことは微々たるズレになるのかもしれないけれど。


「……やっと、来たね。遅かったよ」


 そうして、僕は約束の場所へとやってきた。

 ヴァルスタニアが一望出来る丘、ヴァルスタニアが『枯れ花の丘』と蔑称される所以の場所――ヴァルスタニア墓地がその場所にはあった。

 丘の上に立っていたのはローブを着けた少女だった。少女の身体の至る所には包帯が巻かれていて、その包帯は痛々しく映る。

 ローブを脱ぎ去ると、腕をまくり、包帯を外す。

 そこには彼女の細い腕と――その腕に寄生するように巻き付けられた蔦。

 いや、寄生するようにとは言ったけれど、実際には寄生されている。

 ある日、世界に流行した、開花病という病がそれだ。人間に花が咲き、花は人間のエネルギーを吸い取り、やがて人間は死に至る。それと同時に花は種をまき散らすため、死に至る場合は誰も近寄らせてはいけないと言われている程だ。

 花を切り取ろうとするものなら、そこから滴り落ちる血液により失血死するか、或いは花の自衛機能によって寄生元へ毒入りの血液を逆噴射され、そのまま死に至ってしまう。

 原因不明の謎の病には、治す手段が全くない。

 正確に言えば、公式に全くないということ。

 リスクがあるけれど、非公式な治療法はある。

 しかし、その治療法は――病を消し去る訳では無く、あくまでも延命させるためのもの。

 つまり、完全に治る訳では無いのだ。

 だが、それでもその方法を利用する人間は多い。どんな事情があるかは知らないけれど、人には生きようとする理由があるのだ。

 そして、その治療を施せる数少ない人物が――僕だった。


「立派な花を咲かせているね」


 僕の言葉に彼女はゆっくりと頷く。普通、その花を褒める人は居ない。そもそもその花を見せる人なんて居ないのだから。開花病になってしまっては、人に近づくことすら容易に出来ない。

 しかし、僕は、僕たちは違う。

 彼女たちの命を少しでも延ばすことが出来る。

 そうして、僕は花に顔を近づけると――そのまま頬張った。

 しゃり、しゃり、と音を放ちながらゆっくりと花と蔦は僕の口の中に消えていく。

 彼女はくすぐったいのか細かく身体を動かしながら、しかし僕の動きに耐えていた。

 痕は残ってしまうけれど、一時的に花を消し去る方法。

 それが、特殊な消化液を持つ僕たち『シスター』による『花食い』。

 花を食べることで、そのエネルギーと毒はシスターに移る。

 患者は一時的に回復するが、それでも病原体は消えることが無いから、また同じ場所か、或いは違うところから花が咲き誇る。

 だが、それでも一度僕たちによる治療を受ければ、半年から一年は長く生き延びることが出来る。

 花と蔦を食べ終えて、僕は漸く彼女の身体から顔を離した。持っていたハンカチで手を拭い、僕は顔を上げる。


「うん。これで終わったよ。……右手だけで良かったかな?」

「はい。私はまだ軽傷だから、それほど被害を受けていないので」

「そう。なら、これで問題ないね」


 そうして、僕は踵を返す。

 この事業に、金銭の見返りは無い。

 完全に慈善事業であるし、シスターに触ると開花病になるという心ない人間からの噂などもあるので、僕たちシスターはのけ者のような扱いを受けることもある。

 だが、僕たちは歩くことを辞めない。

 最後まで、開花病の患者は僕たちシスターを頼っているのだから。



 ――これは、開花病に見舞われた世界と、僕たちシスターの闘病の記録である。


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