緑色ラプソディー ー君と交ざりあえたらー
「俺と一緒の湯につかってくれないか?」
“マジか……”
その言葉を聞いた途端、山里水菜は遠い目をする。大根と書いて“おおね”と呼ぶ、名前を持つ大根祐司から受けたのはきっと自分の思い違いでなければプロポーズの筈だ。見かけは細マッチョで色が白く、端正な顔立ちで見た目は爽やか男子。だがその中身見かけに反して残念すぎる。今も今日のデートコースと付き合った年数から推測してこれがプロポーズの言葉だろうと読みとった結果だ。
そう思った瞬間、私の口から漏れたのはため息だった。
「はぁぁぁ………」
プロポーズの言葉を聞いてため息を吐いた私に不届き者という言葉が聞こえてきそうだが、落ち着いて欲しい。まず、非難する前にまさか人生初のプロポーズの言葉が“一緒に湯につかろう“だなんて言葉をかけられた私を労って欲しい。
「水菜」
彼が私の答えをじっと待っているが私に次げる二の句は今の所まだでない。だが彼も不安だろう。だから違う言葉を紡ぐ。
「ありがとう。ちょっと待って。今、ゆっくり考えて返事するから」
“いい人なのは分かってる”
それは誰に対しても胸を張って言えること。
“でも…”
そう考えて前を向いてはいるが緊張しているのかハンドルを握る手は震えている恋人を見る。それを見て緊張しているのは自分だけじゃないんだとホッとする。
「ごめんね」
「いや、ゆっくり待ってる」
その言葉に微笑して、前を向いたままじっくりと答えを考える。フロントガラスの向こうの夜景がやけに遠い。きらめくビルの光を見ながら真剣に考える。
“本当に私はやっていけるかな…彼と………”
こうして想いを告げられて悩むのは贅沢な悩みなのだろうか。さっきの言葉だって彼の実家が老舗の温泉宿で彼がそこの跡取り息子だからこそのプロポーズの言葉だ。そう考えて目を伏せる。自分の周囲はどうしてこうも個性的なのだろう。そう思ってしまうのは決して水菜が悪い訳ではない。
ー就職した先の人間関係がちょっと複雑だっただけだー
水菜がデザイン系の大学を卒業して、就職したのは個人経営の小さなデザイン会社。中小企業のチラシから、インテリアのデザインなどなど色んな仕事を請け負う会社だった。そこの女社長であった小松恵里奈が新進気鋭のデザインを生み出すことを追及していた。今の世の中にないものを作り出す。その姿に惹かれて、面接を受けて無事に就職した。
だが、そこはワンダーランドな世界だった。
今は恋人になっている大根さんは最初から普通の方だった。新入社員の私にも根気よく仕事を教えてくれた。別に待遇が悪かった訳ではない。ブラック企業のように勤務時間が特別長かった訳ではない。
そう……ただ……大学の仲間で立ち上げた個人事務所は皆が小松社長を愛していた。
妻である社長を支える旦那の油板明夫さんは小松さんの強気な所も包容力で包むイケメン男子。小松さんのちょっとあくがある強さもそのほわっとした優しさで包むのだ。二人は結婚後も仕事中は夫婦別姓を貫いている。ただ、新進気鋭の小松社長はそんな油板さんの煮え切らない態度が嫌なのか時たま爆発する。
「私は普通と言われたくない。マンネリ化したくないの!常に新しいものを求めたい」
そう言って爆発する彼女にも笑って“そうか”と許してしまうその姿が眩し過ぎた。ちなみに大学生の時の仲間で構成された会社の社員は私と社長と派遣の事務員を覗けば後は男性社長ばかり。
ちなみに油板さんと私の恋人の大根さんは一番仲がいい。それ以外のメンバーは三十路を越えても細くもなく太くもなくほどよい肉感の妖艶で美しく小松社長を女神のように崇めている。
「お前にふさわしいのは油川なんかじゃない❗俺だ」
そう言って昼休みに迷惑にも社長を口説くのは海原克雄だ。
「いや、お前にふさわしいのはこの俺だ!」
そう言って海原さんの横から小松社長を口説くのはなぜか“じゃこ”という渾名を持つ小坂奈幸人さんだ。
「ふん、冒険するなら私だ」
そういうのは山所美晴というこれまたアジア系のスパイシーな顔立ちをしたイケメン男子。
「この事務所のイケメン率、おかしいだろ!」
その生々しいまでのやり取りに休憩中や来客のためのお茶の準備で給湯室に行く度に叫んだものだ。
“いやいや、そんな事を考えている場合じゃないだろ。私”
プロポーズという人生の大事な節目にいったい何を考えているのか。そう思い至って我に返るも新入社員から始まってもう8年目になる職場での出来事には本当に色々あった。
「油板さん!私なら小松社長みたいに油板さんに寂しい想いをさせません!」
そんな混沌とした場所をかき乱したのは赤い靴がトレードマークの赤根朋華。今時のモデル体型のように細くしなやかな派遣の事務職員だ。この事務所に派遣されて来た彼女は油板さんに一目惚れしたらしく、小松社長の油板さんへの態度に火がついたらしく一気に攻勢をかけた。
「君のような人に僕は相応しくないよ」
彼女の怒涛のアプローチに油板さんは困ったように断っていた。それを見ていた小松社長は“ふん”と鼻を鳴らした。
「貴方みたいな人は彼女に相応しいんじゃない?」
その言葉に小松社長と油板さんの愛に歯ぎしりしていた海原さんが小松社長に猛アプローチをかけた。
「小松、前からお前のこと……好きなんだ!」
昼休み中に禁断の一言を言い放った相手に食べていたコンビニ弁当についていた菜っ葉のお浸しを危うく吹き出す所だった。
「私なら小松社長みたいに影が薄いなんて言いません!」
それに乗っかって赤根朋華が一歩進み出る。それに油板さんは嘆息する。
「何度も言うようだけど、公私ともに僕のポテンシャルを最大に引き出してくれるのは恵里奈だけなんだ」
「そんな!」
「油板、恵里奈はお前のことが嫌いだと言ってるぞ」
小松社長の機嫌をとるように古坂奈さんが口を挟む。その言葉に今までは黙っいた油板さんが冷え冷えとした表情で古坂奈さんと海原さんを見る。
「悪いけど君たちに恵里奈の良さを引き出せるとは思えないよ」
『な…!』
普段は自己主張をしない油板さんは顔を赤くして激昂する相手に淡々と言葉を紡いでいく。
「恵里奈は一人では個性が強すぎるし、君たちも個性が強い。強いもの同士がいたら反発してしまう。海原でははきっと恵里奈の個性には打ち勝てないだろう。じゃこもあまり合わないだろう。個性のある彼女の傍にいるのは僕ぐらいの薄い存在がいいんだ…」
いつもは自己主張しない油板さんの言葉に全員が口を閉じる。そんな言葉に小松社長がぐっと唇噛みしめて必死な表情で叫ぶ。
「そんなのやってみないと分からないじゃない!」
そんな小松社長に向かって向き直ると油板さんは優しく微笑む。
「分かるよ………君の事なら何でもね…」
その言葉にいつもは気の強い小松社長が目を潤ませる。
「あなた……」
「恵里奈…」
いつもは自己主張の激しい小松社長がその言葉に引き寄せられていき、油板さんにそっと抱きしめられる。
「私、諦めませんから」
そんな二人の様子に油板さんを諦められない赤根さんが声を上げるも小松社長と油板さんの間には誰にも割り込めない強い絆があった。
ーこれは全て昼休みに起きた出来事ー
ちなみに……
誰の個性を邪魔することがない大根さんは常に私とともにご飯を食べる。
「この大根美味しい」
「そうなんですか?」
「うん。みんなの味を吸っておいしいよ」
どんな場所にいても自分を見失わない大根さんは気を抜くと誰にも存在を忘れられる私にとって憧れの人だ。
もちろん今も時々、誰がベストパートナーかを決める戦いは繰り返される。
だが…
この頃は違った様子もみられる。
「赤根」
「なんですか?克雄さん」
事務員の赤根さんは油板さんも気になっていたようだがこの頃は海原さんとのツーショットも多い。
そして……
「じゃこ!」
「仕方ないだろ!」
小松社長に思いを抱いていた山所さんとじゃこさんは急接近中。………色んな意味で今後の行く末が気になる所だ。
そこまで回顧して私は“ふぅー”とため息を吐く。
“本当に濃い8年間だったわ”
新入社員の時から見続けて来た戦いが大根さんの申し出を受けたらもう見られないだろ。
ーでもー
私はいつも変わらずに安定した関係が好きだ。個性が強すぎると私はきっと存在を消されてしまうだろう。大根さんはそんな私のことをよくわかってくれる。相手を殺さずにそっと傍にいて時には周りを引き立てる大根さんこそ、私に相応しい相手だろう。
“受けよう”
やはり自分には大根さんが必要だと再確認した水菜は改めて息を吸い込む。
「大根さん」
そう呼び掛けると相手が“ビクリ”と肩を震わせる。そんな彼に私は笑ってしまう。
“私と貴方は似たもの同士ね…”
決して主役にはなれないがなくてはならないものだから。いつもよりも緊張したその姿に私は顔が綻ぶのを止められない。
ー本当に彼は私には勿体ないほど純粋で綺麗な人ー
でも一人ではいられない。だから私は精一杯の笑顔を浮かべる。
「大根さん!もう一緒に湯だりましょう!くたくたのおじいちゃん、おばあちゃんになるまで」
個性的なセンスのプロポーズへのお返しはこれで合っているだろうか。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。
誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。