3-6 無意識
寄せて上げるブラを着用し、店員の教えの通り背中から胸へ、脇から胸へと肉を寄せ上げブラの中へしまっていく。
慣れないその行為に悪戦苦闘する水瀬は、額から汗を滴らせさながら重労働のように奮闘する。
「くっ……毎回こんなことやるのか大変だな。だけどコレ……」
胸回りの肉を集めブラの中に結集させると、今までぺったんこだった水瀬の胸元は、確かに女性らしい『谷間』が出来ていた。
「コレ、谷間……だよな? オ、オレにも谷間が……」
腕を寄せ前屈みになり鏡を見やる。そこには確かに『谷間』が存在し、図らずとも水瀬の女性という部分に衝撃をもたらした。
「凄い何だこれ。う、嬉しい……のか? ワタシにも谷間作れた」
水瀬自身気付いていないが、表情は緩みきり、女性としての喜びを噛み締めている自分がいた。
女性の多くは胸を大きく見せたいという欲求を抱えている。それは生物として当然であり、そこにいやらしさも何もない。胸を大きくしたい、大きくなりたいという欲求を多少なりとも実現した水瀬が喜ぶのは当然のことである。
「え、えへへ。凄いなぁコレ。コレ竜一が見たら何ていうかな」
ふと、頭に相方の顔が浮かぶ。とある契約を結んだその相方は、より女性らしく、より魅力的になった自分をどう見てくれるのか。素敵だと言ってくれるだろうか——綺麗だと言ってくれるだろうか——。期待と不安で心が乱れる。
女性として褒めて欲しい、でもこの貧相な体は褒めるに値しないかもしれない。真琴や穂乃絵のようにまだまだ立派とは言えないその身体は、胸の谷間が出来たことにより、いっそう顕著になったのかもしれない。
そんな思いが交差すると気付いてしまう。
——なぜそんなことを考えているのだろう、と。
「べべべ別にあいつに見せるためにやっているわけじゃねーし! オオオ、オレがやりたくてやったわけだし!? せっかく女の身体になったんだから、ワタシだって谷間くらい作ってみたいし!? ……別に、あいつに褒められたいわけじゃない……し」
混濁する思いは整理がつかない。考えると多大なる労力を要するし、疲れもする。今はとりあえず谷間が出来た喜びだけを享受することにした水瀬は、元の服に着替えると試着室を出る。
◇◇◇
時刻は夕方。買い物袋を大量にぶら下げた三人は、昼間会ったカフェに戻り休憩をしていた。
「いやぁ、たくさん買ったわぁ」
「お、お姉さまありがとうございます。こんな服まで買ってもらっちゃって」
「いいのよぉ。あんなに物欲しそうにしている目をみたら買ってあげたくもなるわ。大事に着てね?」
「ハイ!」
大事そうに買い物袋を抱えた穂乃絵が幸せそうな表情を浮かべている。途中立ち寄ったショップで、穂乃絵的にドストライクの服だったのだろう。目を輝かせながら、しかし値札を見たあと自らの量販店の服を見やり絶望の表情を浮かべる様を見ていた真琴が買ってあげたらしい。
「葵ちゃんも、下着以外に女の子らしい服が買えてよかったわねぇ」
「ま、まぁ真琴ちゃんにあそこまで褒められた買わないわけにはいかないし!?」
水瀬も水瀬で、どうやら先ほどの下着以外にも服を買ったらしく、いくつか買い物袋を席に置いていた。
「でも水瀬先輩、そんな服買っても着るんですか?」
「着ないと思う」
「まるで意味がないです!?」
即答する水瀬の穂乃絵が驚愕するが、水瀬としては可愛いと思える服を買ったという行為ですでに満足感を得ている。
男だった頃は女性がなぜあそこまで買い物するのか理解に苦しんでいたが、今ならほんの少しだけわかる気がしていた。
「買い物って、楽しいんだなぁ……」
「あらぁ? 水瀬ちゃんも気付いちゃった?」
ニヤリと笑う真琴から目を逸らし、誤魔化すように苦笑する水瀬がアイスカフェラテを喉に流しこむ。
「さて、そろそろ今日は歩き疲れたし、そろそろ帰るか」
水瀬が提案すると、「そうね」と真琴も同意する。
やはり歩き疲れているのか、三人はそぞろに店を出ると、穂乃絵が真琴にお礼を述べ。
「お姉さま今度うちに食事に来てください。今日のお礼にご飯をご馳走させてください!」
「どうせ作るのは優だろ」
「水瀬先輩は黙ってて」
「ぜひお邪魔させてもらうわ。リューくんやウィルくんも誘って、みんなでやりましょ」
楽しみをまた一つ作り、三人は帰路につく。
◇◇◇
時刻は夕方の十八時半。まだ仄かに明るい外のおかげか、水瀬が自室を開けると窓から差し込む夕日でうっすら室内が照らされていた。
「竜一はまだトレーニングに行ってるのか。どんだけ鍛えるの好きなんだあの脳筋」
部屋の隅に買い物袋を置き、疲れた体をベッドへと投げる。今日一日のことを思い出すと、やはり今日一番の出来事としては下着を試着したことである。
ベッドに横たわったまま、水瀬が部屋の隅に投げ置いた買い物袋を見やる。手前に置かれたランジェリーショップの袋、その中にあの寄せて上げるブラが入っている。
「ただでさえ胸が少し大きくなって学校生活どうしようってなってんのに、あんなの買ってもつける機会なんてないよなぁ」
水瀬が独りごちるようにつぶやきながら、買い物袋を見続ける。やはり昼間試着室で見た自分の光景が忘れられないのだろう。
特に考えもせず、水瀬がベッドから立ち上がると。
「竜一もまだ帰って来なそうだし、ちょっとだけ……」
買い物袋から、件の下着を取り出す。
夕方の太陽は沈む速度が些か早いのか。夕日が差し込む室内は次第に暗くなっていく中、水瀬は電気を点けずに上着を脱ぎ、下着を着け始める。
昼間一度着けたからか、割とすんなりつけることのできた寄せて上げるブラはやはり谷間を作ってくれた。
「うーむ、やはりすごいなこれは。オレの胸でも本当に谷間ができるんだもんな」
自らの谷間に感心しながら、ふとあることを思い出す。
「……そういえばこれ、上下セットだったな」
袋の中に入っているパンツのことを思い出した水瀬は、一瞬のためらいを見せると。
「ちょ、ちょっとだけ履いてみる……か?」
ちょっとした出来心だろう。ほんの興味本位だろう。しかし、一度湧いたその気持ちは止められない。寄せて上げるブラで女性らしくなったその体に、女性らしいパンツも履いたら自分はどう見えるのか。
気になって仕方がない水瀬は時計を見やると。
「まだ、大丈夫だよな?」
誰に確認する訳でもなく、自分に言い聞かせるとズボンとトランクスを脱ぎ捨て、パンツを履く。
谷間のある胸に、れっきとした女性用のパンツ。きっとどこからどう見ても今の彼女は年相応の女の子だろう。
「な、なんか、なんというか……ちょっと良いかも」
上下を女性の下着姿となった水瀬は、全身鏡の前に立ち己を見やる。
暗くなった部屋で見るその格好は、まるで当たり前であるかのように、でもとても恥ずかしい気持ちもあり。
おそらく水瀬の中の男の魂と女の魂の二つが光点しているのだろう。一人で真っ赤な顔をしながら、でも嬉しい気持ちを止められない水瀬は両手を頬に添えて恥ずかしそうに、でもニヤケながら体をウリンウリンと振っている。
だからこそ、彼女は気付かなかったのだろう。——その存在に。
「えへへ、この格好竜一が見たらなんて言うかな。あいつ欲情しちゃうかもなぁでもそれはそれで……」
「み、水瀬……?」
「——え?」
隣から聞こえたその男の声に、まるでボルトで固定されているかの如くゆっくりとぎこちない動きで顔を向ける水瀬が見たのは、目を見開いて立ち尽くしていた竜一だった——。
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下着について調べてるときに感じた一言です。
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