3-3 バッタリ
三木の定期健診から二日後の時刻は昼の十一時前、土曜日で学校が休みな水瀬は寮からほどなく近いカフェテラスにいた。
白いTシャツにデニムジャケット、黒いタイトパンツにスニーカーと、側から見たらただのボーイッシュスタイルの美少女は、少し暑いくらいのテラス席でアイスカフェラテを口に運んでいる。
季節は四月も終わり。世間ではゴールデンウィークと呼ばれる大型連休中だ。こんな普通の街中にあるカフェですら、人が活気付き、席にあり付けた水瀬は運がよかったのだろう。満席でカフェを撤退する人々を眺めながら、水瀬は先日の三木が言っていた言葉を思い出す。
◇◇◇
「水瀬くんが元男であったことを知っていて、且つ信頼できる女の友達、いる?」
「はい?」
三木は決してふざけているわけでもない。それは真剣な面持ちで語る彼の表情から察することは水瀬にとってもそう難しくはなかった。
しかし、唐突の「友達いる?」という質問には思わず聞き返してしまうのも無理はないだろう。三木も言葉足らずであったと自覚したのか、説明を続ける。
「あぁいや、水瀬くんのその『うらやましい』という感情は、僕はあって然るべきと思っていてね。と言うのも、水瀬くんの中には男性の魂が分裂し、今は男性と女性の両方の魂が存在しているんだ。つまり、女性としての憧れが水瀬くんの中に湧いても、それは何らおかしいことではないと僕は思っている」
「ん……なるほど?」
「そして、水瀬くんはいつか男に戻りたいと思っている。その気持ちが強いが故に、そういった女性特有の感情に拒否反応を示していると推測するが、あまり無理はしない方が精神的に安定すると思ってね」
先ほどの水瀬の取り乱しっぷりは中々のものだったのか。三木は担当医師としての判断を告げる。
「確かに女性特有の感情を受け入れるのは大変だろう。しかし、いつかは男に戻る……つまりいつか魂を一つに戻すということを前提に行動するのであれば、その欲求を叶え、精神的負担を減らす方が良いと僕は思うんだ。つまり、水瀬くんの事情を知っている友達に、今の水瀬くんの気持ちを素直に伝えた方がいいんじゃないかと僕は思う」
「は、はぁ」
「その方が魂に変化が生じて良いサンプルが手に入りそうだしね……」
「今サンプルって言いました!?」
ボソッと三木が研究者としての本心の呟きに思わず水瀬もツッコむが、それはそれとして、先ほどまでの取り乱しっぷりが落ち着いた水瀬は、少し考えると。
「ん〜、三木先生にも正直に言うのでこれだもの。友達はいるはいるけど、言うのはちょっと恥ずかしいなぁ……」
「まぁ無理にとは言わない。ただ、事情を知っている友達なら、打ち明けた方が今後色々と楽になると思うよ」
水瀬にとって、かわいい格好をするに限らず、女性らしい行動をするのはやはりまだ抵抗がある。自分が女性になったという事実は受け入れられた。しかし、だからと言って女性らしく振る舞うかと問われれば、水瀬はノーと答えるだろう。いつか男に戻るつもりなのだから、女性らしく振る舞う必要はないのだ。
だからこそ、同い年の女の子に女性としての欲求があると言うのはとても気恥ずかしいのだろう。三木の言う言葉の意味がよくわからず、水瀬は困った顔をしながら三木に尋ねる。
「そういうもんですかねぇ……?」
「そういうものだよ」
三木は水瀬の問いに笑顔で答えながら、それ以上の追求はしなかった。
◇◇◇
「気持ちを素直に伝えるって言ってもなぁ」
アイスカフェラテを喉に流しながら、水瀬は快晴の空を眺め独りごちる。
「男のオレから女の子の服着たいなんて、ただ女装趣味に目覚めたとしか思われないだろうしなぁ……。でも今は女だし、女装ではないか。でも男のつもりではいるし、うぅ……」
考えれば考えるほどドツボにハマる。定期健診以来この件を考えると毎度毎度同じ考えに至る。気晴らしにと一人で出かけ、こうやってカフェでお茶をしていてもこの有様だ。
ふと、水瀬がスマホの時計を見やると、そろそろ昼の十二時になろうとしていた。お昼という認識をすると、悩みを持っていてもお腹は空く。水瀬の腹も例外ではないようで、そろそろ何か食べにいこうかとスマートフォンで近隣の飲食店を検索していると。
「あーおーいちゃん! だーれだ!」
「だあぁぁああ!? ビックリした!」
突如、水瀬の視界が暗転する。後ろから女性の誰かに目隠しされたのだろう。水瀬の後頭部にものすごく柔らかい何かが当たっているのがその証拠だ。
以前もこうやって登場したその友達に、一瞬驚きはしたものの、水瀬は慣れたように言う。
「真琴ちゃんだよね、奇遇だね何か飲む?」
「も〜葵ちゃんはクールだなぁ」
水瀬の視界を覆っていた手が離れると、ひょこっと水瀬の前に現れた真琴が溜め息混じりに肩を落とす。
「毎回毎回やるんだもの。もうそれやった人はみんな真琴ちゃんだと思ってるよ」
「それはそれで便利なものね〜」
楽しそうに笑う真琴に水瀬が下から上へと視線を巡らせる。今日も今日とて女の子らしい格好の真琴は、大きなそのお胸を強調するか如くのタイトなトップスに、長い生足を強調するようなスカートは実に真琴らしく、周りの男どもからの視線を独り占め状態だった。
おしゃれというのは女性を輝かせるのだろう。快晴の空の下、真琴はとても煌めいているように水瀬は錯覚し、ポツリと言葉が漏れてしまう。
「真琴ちゃん、相変わらずおしゃれさんだな〜。スタイルもいいし——いいなぁ」
「ん? 何か言った?」
「え? あぁ、いや、なんでもない。それより真琴ちゃんどうしたのこんなところで」
キョトンとした真琴へ誤魔化すように大きな手振りをする水瀬に冷や汗が流れる。ここ最近の悩みのせいでつい本音が声に出てしまっていたのだ。
「私は選抜戦の息抜きにお買い物でもしようかと思って。葵ちゃんは? 一人なの?」
「うん一人。オレもちょっと息抜きしたくて、竜一は置いてきた」
リューくんかわいそう、と笑う真琴はやっぱり綺麗だな——そう思う水瀬の心境はとても不思議な気分だった。以前までの男であった水瀬なら、今の真琴を見たら胸の鼓動が早まっていただろう。何なら好きになっていてもおかしくはない。しかし、今の水瀬の心境は……水瀬自身も理解できなかった。
「葵ちゃん、暇なら私も一緒していいかしら?」
「え? あぁうん、もちろん!」
水瀬の向かいのイスを引いた真琴は、そこにかの有名ブランドのバッグを置くと店内に飲み物を買いに行った。
それを席から見つめる水瀬が、やはり思わず言葉が漏れる。
「この気持ちは……なんだろう?」
「なんだろうってなんですか気持ち悪いですよ」
店内へ向かった真琴を見て、独りごちる水瀬の後ろから聞き慣れた女の子の声がする。振り向くと怪訝な表情を浮かべた見境穂乃絵が立っていた。
Tシャツの上に花柄のキャミソールを重ね着し、ショートパンツを履いたラフな格好の穂乃絵は、髪をお団子ヘアにしているからか、案外女の子らしい装いを見せていた。
「穂乃絵、お前もそういう格好するんだな」
「開口一番失礼な人ですねあなたは」
お前もだろ……と今度は心の中で呟いた水瀬は、当然の疑問を穂乃絵にぶつける。
「で、お前はどうしたんだ?」
「どうしたって、たまたまここを通ったら水瀬先輩がいたから話しかけただけじゃない。ふんっ」
そっぽを向きながら穂乃絵が言う。口は悪いが水瀬を見かけた穂乃絵が挨拶をしに来たようだ。見境家にご飯を食べに行く仲になった二人は、何やかんや仲良くなっていたのだろう。
「それは嬉しいな。で、穂乃絵自身はなにしてたんだ?」
「なにって、別になにも。暇だからブラブラしてただけよ」
「お前も暇人か……」
「ちょっと! 何で憐れみの目でこっち見るのよ!」
どうやら穂乃絵もこの大型連休に際して予定がないらしい。よくよく思い返せば、穂乃絵らも学校では底辺として同級生にからかわれる存在。友達らしい友達もいないのだろうと水瀬が憐れみの目線をしていた。
「大丈夫……オレはお前らの友達……と言うか味方だから……」
「ちょっと変な勘違いしないでくれません!? 友達くらいいるから!」
「あら? あなた?」
いつもの調子で騒ぐ二人のもとに、先ほど飲み物を買いに行った真琴が手にアイスコーヒーを持って現れる。
「あ、清水真琴……先輩」
「あら、私のこと知ってくれているのね。嬉しいわ見境穂乃絵さん」
「そりゃあ真琴先輩と言えば、今年の選抜入り候補として呼び声高いですし、そもそも真琴先輩自体有名と言うか……て! 何で私の名前も知ってるの!?」
岩太郎と真琴は注目ペアとして校内でも有名だ。穂乃絵も帝春学園の生徒として、それくらいのことは見聞きするらしい。が、そんな有名ペアの、しかもとびっきり美人な先輩に名前を知られていると言うことに驚愕する穂乃絵へ、真琴は見事なまでに柔和な笑顔を浮かべる。
「そりゃあ、葵ちゃんとリューくんと以前対戦したの見てたもの。それに、対戦前はしょっちゅう私たちのお昼ご飯見に来てたでしょ?」
「えっ、あれバレてたんですか!?」
「バレバレだったぞ……」
またしても、別案件で驚愕する穂乃絵のリアクションに疲れたのか、水瀬が少しぐったりしている。
「まぁあれだけ見てたらねぇ。それより穂乃絵ちゃん、もし暇なら私たちと一緒にお茶でもしない? 私もあなたとお話してみたかったのよ。飲み物買いに行きましょ?」
「え……でも私そんなにお金が……」
「もちろんここは私が出すわ。後輩にそんなことさせられないもの」
「奢り!? そう言うことなら是非お願いしますお姉さま!」
「露骨に態度変わったなコイツ」
目を輝かせた穂乃絵が真琴と腕を組んで飲み物を買いに店内へ向かう。
快晴な空は尚も日差しが強く、水瀬は苦々しくアイスカフェラテを口にした。
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