2-23 暗い部屋
雲に覆われた夜空はその月明りが届くこともなく、外灯の少ない裏通りは常夜の闇に包まれていた。
竜一と水瀬が裏通りに入り歩くこと数分。竜一があるアパートの前で立ち止まる。
そのアパートは今にも崩れ落ちそうなほどのオンボロで、ドア横にある小さな窓から見るに何人かは住居者がいるのが見て取れる。
「……幽霊屋敷」
「言うな」
アパートに近づき、隅にある階段を昇っていく竜一。その足取りは慎重で、段によっては端を踏んだり飛ばしたりなど一風変わった昇降を繰り返す。
「そこの段は真ん中踏むと抜けそうだから気をつけろよ」
「おせーよ! 今踏んじまって足元でバキって何か割れる音したぞ!」
体重の軽い水瀬だからか階段は抜けることもなかったが、恐らく次歩いた者は誰であろうと抜け落ちてしまうだろう。注意書きでも備えておいた方がいいかなと竜一は逡巡するが、今はそれよりも大事な用がある。
「この一番奥の部屋だ」
階段を上がり切り、竜一は二階の最奥にある部屋を指し示した。
つい昨夜に訪れ、まさかこんなにも早く再訪するとは思ってもいなかった竜一は、その二階から見える景色に嘆息をもらす。
「ドア横の窓から明かりが見えないけど、居ないんじゃないか?」
「……」
水瀬の言葉に肯定も否定もせず、竜一は厳しい表情だけを浮かべドア前まで歩み寄る。
部屋前まで来てもその中からは物音一つせず、これが宅急便の業者さんなら再配達の用紙を準備するところだ。
だがそれでも、竜一はドアを一度二度、三度と軽くノックをする。やはりと言うべきか、当然反応は返ってこない。
「なぁ、やっぱり居ないんじゃないか?」
困った顔を浮かべる水瀬を他所に竜一が深く深呼吸すると、小さく、だが穏やかな声音で。
「優、穂乃絵。……俺だ、竜一だ。大丈夫、他に誰もいないよ」
そう小さく発すると、ドアの向こうからカチャリ……と小さな金属音とともにゆっくりと開く。
「……入りなさいよ」
ドアから顔だけ出した見境穂乃絵が少し不機嫌そうに、しかしどこか安堵しているかのような表情を浮かべ、二人を部屋へ招き入れた。
竜一と水瀬が中に入ると部屋内に明かりは灯っておらず、裏通りの暗闇が明るく見えるほどの暗闇に包まれていた。
「……暗くて歩き辛いと思うけど、我慢してね」
「わかってる」
まるで外に音が漏れないように、穂乃絵が小声で促してくれる。
昨夜訪れたばかりだからか、部屋内の物の配置が頭に入っている竜一は少し慎重に歩けば奥のリビングへと進むことができる。水瀬と言えば、初めて訪れた部屋に真っ暗闇と右往左往を繰り返し、最終的には竜一の服を掴んでリビングまで案内してもらっていた。
リビングでは暗闇の中、薄っすらとだが優が会釈しているのがわかる。こんな時でも二人に座布団を差し出す彼は、やはり根は優しい子なのだろう。
物音をたてないよう竜一と水瀬はゆっくりと座り、相対する優と穂乃絵に視線を向ける。
「それで、何の用で来たの? ……っていうのはさすがに野暮ってものね」
暗闇の中でも穂乃絵が相も変わらず生意気な表情を浮かべているのが容易に想像つくあたり、ある意味わかりやすい人物である。
当然、現在居合わせている四人は、今朝方の事件時でも顔を突き合わせている四人であることは全員の共通認識としてあり。
「昨夜のこと、今朝のこと。いや、そんなことはどうてもいい。俺の用事はお前たちのことについて……だ」
穂乃絵の声音に合わせ、竜一も小声で問いに返答する。
「まぁ、当然よね。言っておくけど、私たち程度を捕まえたってIrisはどうにもならないわよ。私たちなんて下っ端も下っ端なんだから」
まるで自らを卑下するかのように、そう穂乃絵は吐き捨てた。暗闇ではあるが、その目は自暴であるかのように、蔑んだ眼は己に向けているかのように見える。
「ベルモンド副隊長は捕まるし、禁呪書物は手に入らなかったし、もう散々。むしろ、私たちがアンタに仕返ししたいくらいよ」
肩をすくめ困ったように笑う穂乃絵は、自分たちがIrisの一員であることを隠す様子もない。それどころか、弁明する様子もないことから、半ば諦めているのか。
「アンタもバカよねぇ。私のあんな小芝居に騙されて捕まるんだから。でも結局扉の開け方は知らないし、役立たずにもほどがあるわよアンタ」
「――ッ! お前、竜一がどんな気持ちでここにきたか!」
「良いんだ水瀬。良いんだ」
挑発めいた穂乃絵の言に水瀬が噛みつくが、竜一が制止する。本来ならばこのまま殴りかかってしまいたい水瀬だが、それは竜一が望まないだろう。ここに来た目的、竜一が信じてくれと言った言葉。殴りかかってしまえばそれを否定してしまうことになる。
止まる水瀬にもだが、バカにした対象である当の本人が噛みついてこないことに苛立ちを覚える穂乃絵が、尚も不機嫌そうに言い放つ。
「それで? 私たちを糾弾しにきたの? それとも捕まえに?」
その言葉を口にする穂乃絵の表情は苦々しく、裏を返せばそれは自分たちが糾弾されるべき人間、捕まるべき人間であることを自覚していることになる。だからこそ、そんな自分を認め、口にするのが辛いのだろうか。
悪いことをしたのは事実であり、それを辛いと思うのは自業自得だろう。そんなことも当然わかっている。それを受け入れることが辛いと尚も自覚し、さらに辛くなる負の加算。
だからこそ、竜一は、その問いに返し。
「言っただろ。そんなことはどうでもいい。俺はお前たちのことについて……お前たちを助けたくて来たんだ」
「――はっ?」
平然と、しかしそこには強固な意志を携えた竜一の瞳が、真っ直ぐに優と穂乃絵を映し出す。
その言葉は穂乃絵にとって予想の範疇を遥かに超え、言ってしまえばある種の罠にさえ思えてしまう甘い囁き。
だからこそ、穂乃絵は竜一の言っている意図が理解できず。
「アンタなに言ってんの? 助けにきた? 昨夜と今朝、私たちがアンタに何をしたか覚えてないの?」
「覚えてる」
「私たちが助けてって頼んだ?」
「そんなこと、一度たりとも言われてないな」
「じゃあ何で……ッ!」
思わず、穂乃絵が声を荒げてしまう。当然だ。竜一の言っていることは悪人に救いの手を差し伸べるということだ。言わば共犯になるということ。そのようなことは赦されるものでなく、受け入れていいものではない。自分たちは社会的犯罪集団に身を寄せている……そう自覚しているからこそ、竜一の言葉が信じられない。
怒りと、悲しみと、嘆きと、それらを込めた震える声で叫んだ穂乃絵の問いは、しかし竜一を動揺させることもなく、竜一は楽しそうに笑い。
「昨日、約束しただろ」
「何をッ! 約束なんてなにも――」
「また、飯を食いに来るって。水瀬を連れて、今度は四人で飯を食おうってさ」
「あっ……」
思い出されるは昨夜の楽しい食後のこと。そこの優と穂乃絵は本当に楽しそうで、本当に普通の子で。だからこそ、この二人がIrisに属しているのは間違いで。
「俺は、お前たちを助けたい。誰かれ構わずケンカを売る穂乃絵を、そんな穂乃絵を臆病なくせに肝心なところでは止められる立派な優を、俺は助けたい。だから教えてくれ、何でお前たちがIrisにいるのか。だから頼ってくれ、同じ底辺である、俺ら先輩を」
屈託のない笑顔を浮かべる竜一の表情は、きっとこの暗闇で穂乃絵たちには見えていないだろう。でも、その声音から、その言葉から、その気持ちから、それが本心であり、竜一の心意であると伝えるには十分だった。
これまで沈黙を貫いている優も、竜一の言葉に開いた口が塞がらず、前髪で隠れた目で穂乃絵を見つめている。
「でも、それでも私たちは、アンタを……パパを……」
俯き、目を逸らし、涙が零れ落ちそうな穂乃絵の瞳は暗明し。
静寂を纏ったその瞬間、誰かが扉をノックした。
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